murmur * 2019

[  contents  ]  
2019.04.10

 ごきげんよう、先日『先見の薬師と、火灯しびとの水晶』後編配信がはじまりました。案の定告知が遅くて申し訳ありません。宣伝する気はあるんですよ、これでも。hontoさんでは前後編セットが配信されていますので、前編を読んでいなくて、一気に完結まで読みたい! という方は、こちらをどうぞ。Twitterのいちばん上にピン留めしてあるので、そこのリンクからも飛べるようにしてあります。どうぞよしなに〜!

 ・
 私のTwitterを見てくださっている方がどれだけいらっしゃるかはわからないのですけど、もしリプライまでチェックしてくださっている方がいたら、と考えまして。
 もしもそういった方がいらっしゃったら、恐らく「あれっ」と思われたことと思いますので、今回はそのお話をしようと思います。まああのリプライを読んだらどう足掻いてもばれるので腹を括ったと申しますか、なんと申しますか。
 今年は私にとって節目の年です。新年度もはじまったし、元号も変わるし、これはいい機会なんじゃなかろうかと思いましたので、説明を兼ねて告白することにいたしました。先週、病院でも私の人生最大の告白を先生にしてきたところですしね。それでちょっと楽になったので。
 友人をすべてなくす覚悟での突然のカミングアウトになりますが、私はアセクシャルというセクシャルマイノリティです。恋愛小説書いてるけどね!!! アセクシャルの詳細についてはそれぞれお調べいただけるとうれしいですよ!!!
 昨今セクシャルマイノリティがだいぶカミングアウトしやすい時代になってまいりましたが、その中でもノンセクシャルとアセクシャルはまだまだ認知度も理解度も低いようですね。わからんでもない。なんというか、曖昧なのよな。説明もしにくい。
 友人をすべてなくす覚悟、というのは、友人を信じていないという意味ではありません。カミングアウトはそれだけ大きなことであるという意味です。お気を悪くさせてしまうような言い方ですが、ではほかにどんなものを引き合いに出せばいいのかがわからなくて、友人をたとえに出しました。
 私にとって、友人は宝物だからです。
 で、私のセクシャリティのお話に戻ります。
 ノンセクシャル、アセクシャルといっても、性の許容範囲はひとそれぞれでピンキリです。私の場合は(恋愛感情を抱かないという点を除けば)、性的な接触シーンを見たり聞いたりするのがとにかく苦手だということが真っ先に挙げられます。
 もうね、本当にだめなんですよ。一定の条件が満たされていれば、ある程度は書けますし、描けます。それは楽しいですし、小説においては「必要なシーンだ」と思っているから書くわけで、そこに嫌悪感は含まれません。ただ書く、それだけです。必要性と必然性があれば、受け入れることができるのです。だから、抱擁やキスといった愛情表現は尊いものとして表現しています。もちろん読者様の目にどう映っているかはわかりませんが、私自身は、大切なことなのだ、あたたかい触れ合いなのだと心から思っています。その気持ちに嘘は一切ありません。
 ただ、見る、読むとなると話ががらりと変わってきます。
 まず実写はすべて無理です。問答無用でこれは無理。だからハリウッド映画とか苦手なんですよ……アクション映画は大好きなのに、何故かハリウッド映画は唐突にわけのわからないラブシーンが入ってくることが多いので。恋愛映画、ドラマも無理です。気持ちが悪くて目を逸らしてしまう。
 では二次元はどうなのかと言いますと、こちらは少し嫌悪感が和らぎます。ただし、描写の仕方によってはキスも無理ですし、セックスもやはり無理です(裏を返せば、描写の仕方によってはキスもセックスも一定レベルまでなら見られるし、読めます)。受け付けられません。生々しいのがつらいのです。たとえ男女の恋愛であっても、どこまでいってもふわふわとしたファンタジーであってほしい(この「ファンタジーであってほしい」という一文を書かれたイラストレーターさんのカミングアウトが、今回の雑記に影響を与えています)。場合によっては天下のディ●ニー映画ですら目を逸らしたくなります。
 私が書(描)くセクシャルなシーンは、基本的にはすべて私の中にある『理想の愛情のかたち』です。ストーリーの必要上避けられない一見愛情のない遣り取りでも、根幹にはなんらかの『愛』が含まれています。これだけは絶対です。
 サイトを立ち上げた当時、いっときR18を何本か書いたことがありましたね。実はあれ、非常に苦痛でした。何故やったのかといえば、強迫観念に駆られていたから、というのがいちばん近いかと思われます。その強迫観念の出どころは、やはり「私は恋愛小説を書いているのだから」という点にあったのだと思います。避けては通れないと思っていたのですね。
 まあ冷静に考えればそんなことはないのですが。
『十二ヶ月』で顕著なように、恋愛小説は直接的なセクシャルなシーンがなくても成立するし、描写できるものなのです。そもそも、性的な接触というのは、広義で見れば『手を繋ぐ』程度のことも含まれます。
 恋したことがないのに恋愛小説を書くことができるわけがないという意見には、私は賛同いたしかねます。
 私は魔法使いになれるからです。世界中のどこにもない国を想像し、創造できるからです。
 私は万物の真の名前を習得するために缶詰めにされたこともないし、黄金の羅針盤を手にしたこともないし、指輪を火口に投げ捨てに行ったこともないし、ホグ●ーツに通ったこともありませんが、魔法を使うことができます。それが小説を書く人間、絵を描く人間、何かを創造するすべてのひとが持つ尊い魔法です。
 ミステリ作家さんは殺人犯ではないし、SF作家さんは人類を滅亡させたことは(たぶん)ないし、ホラー作家さんは(たぶん)電ノコ持ったクリーチャーに追いかけられたことはないし、時代小説家さんは(たぶん)その時代には生きていなかったと思います。
 現実と創作をごっちゃにしないでね、ということは、そういうことなのです。体験だけがすべてではありません。
 体験しなければ書けないのは、日記だけです。
 大体、体験しなければ無理だというのなら、世の中のBL作家さんは軒並み男性ということになります。女性の身体を持っている以上、男性同士の性交渉は体験しようがないわけですから。ついでに、男女では恋の在り様も異なるのでしょうから。
 業界では、『エロ漫画は童貞がいちばん上手く描く』ともいわれていますね。そういうことです。私たち創作する人間が持っている武器と盾は、想像力なのです。表現力なのです。「ああ、わかる」と思っていただけるものを表す説得力なのです。
 それに、ひとくちに恋といっても、その色は千差万別でしょう。共感できる恋、できない恋、ひとそれぞれによって違うでしょう。
 これを読んで、私の作品が色褪せて見えるようになる方もいらっしゃると思います。醒めてしまって、くだらないと思うようになってしまう方、「どうせ知らないくせに」と思われる方もいらっしゃるでしょう。私はそれを責める気持ちはありませんし、そうしていいとも思っていません。ただ、今までありがとうございました、と思うだけです。
 勘違いをしないでいただきたいのは、アセクシャルは恋愛感情や性的欲求を抱かないだけで、愛情がない人間ではない、ということです。
 愛情はあります。家族を愛し、友人を愛します。ただ恋をしない、性的欲求を持たないというだけです。
 もちろん、この「だけです」というのが大きな違いだと理解はしています。
 ただ、どうか、これだけは本当にお願いします。アセクシャルの方々を、愛情のない冷たい人間だと断じないでください。
 仲の良い恋人同士やご夫婦を見れば素直に素敵だなあと思うし、私の場合、憧れを抱いたりもするのです。楽しそうに、うれしそうに、幸せそうにハグした写真を見れば、「いいなあ、素敵だなあ」と思います。毎年年賀状にご夫婦ラブラブなお写真を送ってくださる友人がいるのですが、私はそれをいただくのをとても楽しみにしています。
 恋愛小説を読んで、泣いたり笑ったり、ほっこりと心をあたためてもらったりもします。タイトルに惹かれさえすれば、コバルト文庫だって読みます。
 ですからどうか、愛情のない人間だという誤解だけはしないでいただきたいと思います。もしかしたらあなたのご友人のひとりが、アセクシャルやノンセクシャルかもしれません。それを知ったとき、どうか、冷たい人間だと断じてしまうことだけはなさらないでいただきたいというのが、私の願いです。祈りでもあります。

 長々と書いてしまいましたが、とりあえず今のところ思いつくのはこれくらいです。たぶん、何か思いついても、よほどのことでなければ追記はしないと思いますが、ご質問がありましたら、ご遠慮なくどうぞ。お答えできる範囲で答えさせていただきます。
 私はこれからも恋愛小説を書きます。それらは恐らく、すべてこれといった刺激のないものとなるでしょう。私にとっての『恋』は、常に穏やかなものだからです。
 でも、私としてはそれでいいのです。私の中では、恋や愛は取りも直さず、無償のものであったり、救済であったり、日常に零れ落ちる一滴の光のようなものなのですから。

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
 これからもお付き合いいただける方は、どうぞよろしくお願いいたします。

1.  contents  ]