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 年上の異性に憧れる気持ちはわからなくもない。
 弘が思ったように、七緒も、ああ憧れのひとがいるのだろうなと思ったのだ。七緒自身、ものすごく身に覚えがあった。
(さかき)さんは、そりゃ憧れるでしょ……」
 白い息を吐いて独りごちる。
 白皙(はくせき)美貌(びぼう)とは、まさにああいうことをいうのだ。父親の遺伝子を丸ごと受け継いだとしか思えない彼は、声を持たないことも相まって、いっそ神秘的なほど美しかった。
 双子の姉の椿(つばき)も美しいのだが、こちらは(はし)が転げただけで笑うような性格をしているため、神秘性はかなり薄まっている。黙っていれば、立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花、なのだが。
 外見と内面が一致しないので、外見より内面より、そのズレ、つまりギャップそのものに目が行ってしまう。
 日が暮れるのが早くて、暗い道が怖い七緒は早く家に帰りたい。
 は、は、と息を吐くごとに夜が近づいてくる。()えた冷気が耳を切っていく。
 七緒は真冬の間、緑の北欧柄のネックウォーマーをして、その上からさらにベージュとブラウンのチェックのマフラーを巻く。身体が冷えると(うなじ)の辺りが痛くなるのだ。
 セーターを着てダッフルコートを着て、分厚いタイツに裏側起毛のデニムを()いて、靴も雪山だって登れるようなものばかりだ。
 ――ものすごくださいと思うんだけど。
 ひとつひとつのものはお気に入りだが、好きなものと好きなものを掛け合わせれば大好きなものになるかと問われると、少し違う。寒さで思考停止してしまう七緒は全部一気に身につけるから、どう考えたってかわいくない。
 なのに。
 ――もこもこなお姉さん、かわいいです。
「ふざけんなよあのマセガキ……」
 毒づいてみるが勢いが出なかった。
 マセガキが、那津(なつ)が嬉しそうに笑ったからだ。あの邪気(じゃき)のない笑顔を見てしまったから、嫌いになれないでいる。
 七緒が、「君、ちゃんときれいに畳んでハンカチ持ってるんだ。えらいねえ」と感心したとき。
 那津ははにかんで、抱きしめたくなるような健気(けなげ)な顔で笑った。
 転校してきた那津は、男子がチェック模様のハンカチを持っているのは変わっていると指摘され、一部の男の子にはからかわれまでして戸惑ったのだという。
 七緒から見た那津のハンカチは、確かに小学生男子が持つには大人すぎるきらいのあるものではあった。でも、それだけだ。弟の三波なんかはどれだけ注意してもきちんと隅を揃えて畳むことをしないから、七緒はそこに感心した。
 坂を駆け足で下りていく。
 は、は、は、は、
 弾む息。
 (ひび)割れる唇、すぐに冷える(ほほ)、痛い耳。
 一月の、冬の深い夜が追いかけてくる。
 真っ暗が怖い。
 アルデバランが藍色(あいいろ)を引き連れて、七緒の小指を引っ張る。



 冬休み真っただ中なのは、何も七緒だけではない。
 弟の三波も冬休みだし、もちろんその友人の那津も冬休み中だ。
 ――鍵がついてないのをこの年になって恨むことになろうとは。
 魔法瓶にスープやココア、あたたかい麦茶を入れて、おにぎりを持ち込み、七緒は完全に籠城(ろうじょう)を決め込んでいた。
 向かいの部屋では、弟たちがわいわい何やら遊んでいる。
「外で遊んでよお、子どもは風の子っていうじゃん……」
 それとも、今はもう言わないのか?
 わいわいやっている中には、もちろん那津も含まれている。
 七緒は朝から部屋に(こも)っていて、おじゃましまーすの声が聞こえてから、ささっと玄関に行って靴を確かめた。
 あった。
 きれいに揃えて置いてあった。
 七緒はまた、ささっと部屋に戻った。
 バリケードになどなるはずもないが、扉の前に体長九十センチのテディベアを座らせた。外開きの扉を開けたとき、抵抗を感じ取ってもらいたい。
 そしてお引き取り願いたい。
 大体、那津が小学生だというのがいけない。自分が馬鹿みたいに思えてくる。
 美人なわけでも、かわいいわけでもない。ごくごく普通の顔だ。まあ、フランス人の父のおかげで、少しばかりくっきりした目鼻立ちであることは認めざるを得ないが。
 それが美に直結するわけではない。
 それに、那津が七緒に執心(しゅうしん)気味なのは、例のハンカチの件があったからで、顔立ちは関係ない。
 ――この部分だけを抜き取ると、ものすごく純粋な恋心のように感じる。
「……でもあんなことくらいで恋ってするもんかな?」
 ベッドに腹這(はらば)いになり、テディベアで武装されている扉を(にら)む。
 どうだろうなと自問して、
「――するか……」
 自答した。がっくり肩を落として枕に顔を(うず)める。
 そうなのだ。恋は結構くだらない理由で勃発(ぼっぱつ)する。だから落ちると表現するのだ。
 ――キスがなきゃかわいい恋だねで終われたんだけどなあ。
 幼い頃における年上の異性に対する憧れや恋は、破れることに価値がある。ただ片想いされているだけなら気づかないふり見ないふり、告白されてもやさしく断って終わりだ。想い出にしてもらって終わるのだけれども。
 乙女の唇を盗んでいったのだ。寝ている間に。
 そんな無体(むたい)がリリカルに許されるのは、少女漫画の作中屈指の美形キャラクターだけだろう。いくら那津が小学生だからといって、好きなんだもんしょうがないよねではすませられない。ものの道理がわからない年齢ではないのだ。今後、こういうことは当たり前にしてもいいのだと勘違いしたら、彼は大変なことになる。
「齢の差は問題じゃないんだよ……」
 ――寝てる相手にキスしてくって、ひどいことなんだよ、那津くん。
 好きなひとだからこそ、絶対にしてはいけないことがあるんだよ。
 ――もし次に誰かに恋して、その子にあたしと同じようなことしたら。君は女の子ふたりをすごく傷つけたことになるんだよ?
 なんだか泣けてきた。
 齢の差など関係ないと言ってしまった結果がこれなのだろうか。齢の差などなんの問題にならないと、七緒が伝えたかったのは心のことだ。身体のことではない。何をしてもいいんだよなどとは言っていない。
 言葉の意味は受け取り手によって変質する。
 そんなことはわかっている。
 でも、だから相手のことなど考えず、自分の好きに解釈していいとは、七緒にはどうしても思えなかった。
「もう……」
 枕を抱きしめる。
「等身大の恋しなよ……」
 ――小学校の五年生の男の子って、赤ちゃんじゃないでしょ?
 ことん、と音がして、七緒はがばっと跳ね起きた。
 足音。
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