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二月

恋物語の舞台裏






 白皙(はくせき)美貌(びぼう)、なんて、小説でしか通用しない表現だと思っていた。どんなにきれいなひとでも、美形とか端正(たんせい)な顔立ちとか、どんなに褒めてもその程度で、美貌なんて言葉は大袈裟(おおげさ)だ。
 そう思っていたのに、彼を見て、私の世界は一瞬で変わってしまった。
 美貌としか言い表せない顔立ちがあるのだと知ったのは、高校一年の春。
 花のあとの若芽が初々しい教室で、私は生まれてはじめて男の子に見惚(みと)れたのだった。



 駅前のファーストフード店、窓際の席で、私は重苦しく口を開いた。
「悲劇的に台詞(せりふ)を覚えられないくらい深刻な片想いなの」
「あんたの台本と私の台本は別のもんなの? 今回台詞あるの主役だけじゃん」
 和葉(かずは)(あき)れた顔を見て、私は(のど)の奥をぐうと鳴らして目を()らした。
 今回のお芝居は変わっているというか、実験的というか。
 前提として、演劇部の部員数はものすごく少ない。具体的に何人いるかと問われると困るくらい少ない。というのも、同好会ではなく部として存続させるために、名前だけ入部してもらっているひとがいるからだ。そのひとたちも、通称『追い出し』の送別会や、文化祭前はちょこちょこ大道具とか小道具とかを手伝ってくれる。だから、部員数はと()かれると、私はいつも返答に(きゅう)していた。
 で、今回の送別会の演劇部の出し物はと申しますと。
 深窓(しんそう)のご令嬢が巨大な地球外生命体と恋に落ちて、駆け落ちするというお話だった。
 巨大な地球外生命体は、舞台上には一切出てこない。台詞もない。それでどうやってお話が進んでいくのかというと、舞台にひとりっきりで立っているご令嬢が、目線を上にしっ放しで(しゃべ)り続ける。喋り続ける、というのは、その何やらわからない巨大地球外生命体とおしゃべり――愛の語らい? をしている、という意味だ。
「自分に台詞がないからって、覚えなくていい理由にはならないもん」
 私は意識的にむっとした顔をつくって、レタスがめいっぱい突っ込まれているベーコンレタスバーガー、トッピングでチーズにかぶりついた。
 ファーストフード店に入ってダイエットのことを考えるなんて馬鹿馬鹿しい。本当に()せたいのなら、こんなお店には入らないのだ。
 だから私は一切我慢しない。ポテトだってLサイズ。
 もともと小食の和葉は、ダイエットとは関係なくあまり食べない。ダブルチーズバーガーのセットが苦しいらしいのだ。信じられない。それでよく生きていられると思う。
 高校生はまだ成長期だ。もっと食べないでいいのだろうか。余計なお世話だけれど、心配になってくる。
 和葉は今日も、Sサイズのバニラシェイクと、こちらもやっぱりSサイズのポテトをお供にしていた。
 トレイがきっかりふたり分乗るだけの小さな机を挟んで、私は溜息(ためいき)をつく。頬杖(ほおづえ)をついて憂鬱(ゆううつ)を表したいところだけれど、残念ながらスペースが足りない。それに、これだけしっかり食べる量を注文しておいて、深刻な恋の悩みなんて、そんなの。
 なんだか間抜けだ。
 落ち込んでいたっておなかは減るのに、食欲がなくならないと悲劇を演出できないなんて。
「ああまあわからないでもないかな? ごめんね名前だけの幽霊部員で」
 うひひと笑いながら、和葉はグレーの濃淡のラインが交差しているマフラーで(ほほ)を隠した。
 もっと明るい、たとえばライトグリーンとかレモンイエローとかの方が、和葉には似合うと思うんだけど。
 彼女はどうも、自分はおしゃれをしてはいけないと思っている(ふし)がある。
 すっきりした一重瞼(ひとえまぶた)が涼しい目もととか、色白なところとか、魅力的な部分はたくさんあるのに、もったいない。
「いやいや、助かってるよ大道具。むらなく塗るの上手いよね」
「誰にでも特技のひとつはあるもんなのよ」
「……彼方(かなた)は、文章かあ」
 ポテトを一本(つま)んで(つぶや)く。
 彼方は私とは別のクラスの女の子だ。和葉と同じクラスになって仲良くなったというので、和葉を通して私もすぐに打ち解けた。人見知りをまったくしない子だったのだ。ちょっとずれているところがあるような気がしないでもないものの、一緒にいて気が楽だし、気づくといつの間にか笑顔にさせられていたりする。
 窓の外は曇天(どんてん)で、強い風が真っ裸の街路樹をざかざか揺らしていた。早く帰らないと暗くなる。
「和葉は本、読むよねえ」
「人並みには」
「嘘つけ」
 一ヶ月の平均読書冊数三十五冊が人並みなのか。どこが。
 和葉はシェイクのカップを持って、ストローをぐるぐるさせている。
千花(ちか)だって読むでしょ?」
「あー、戯曲なら」
 シェイクスピアとか、あのへんなら。
 まったく読まないとは言わないけれど、和葉に比べれば全然だ。特に時代小説は、もうものすごく、これは本当にまったく読まない。火付盗賊改方ってなんて読むのよ。具体的に何をするひとなのよ。丁稚とか番頭とか、読めそうで読めない。藪入って何。
 彼方は小説家だった。
 驚きだ。
 自分の友だちが、しかも高校生の友人が小説家だというのにも驚いたのだけれど、それ以上にギャップに驚いてしまった。
 彼方は普段、なんとなくふんわりした物言いをする。穏やかに喋るのとは少し違って、選択する言葉の数々がどこかふわふわ夢見心地なのだ。馬鹿っぽいとは思わないけれど、のんびりしているなあといった印象の子だった。
 だから、和葉に借りて小説を読ませてもらったとき、びっくりした。

 一滴(ひとしずく)の星のような冷たさであった。井戸の中は七夕の夜ほどに澄み切って、真砂(まさご)の星を抱えていた。
 それは、成就せぬ恋であった。
 成就させぬことが唯一の純情であり、告げぬことでしか守れぬ慕情(ぼじょう)であった。

 ――こんな文章を書く子だったんだ。
 『真砂』をすぐに読めなかったあたりが私らしい、のだけど。
 ――成就せぬ恋であった。
 その一行は、たった一度読んだだけなのに、私の心に残った。
 ――成就させぬことが唯一の純情であり、
 その部分に、心当たりがあった。
 ――告げぬことでしか守れぬ慕情であった。
 私は泣いた。



 バレンタインが近づいてくる。
 めでたく卒業を迎える先輩方には大変申し訳ないのだけれど、私はいまいち気分が乗らないままだ。
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