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「重って呼べよ。なんだよ、いつも言ってんのに……」
「お茶を淹れよう」
「俺がやるよ。なんで湯呑ふたつもあるんだ」
「君とお花見の約束したじゃろ」
「急に(なま)るのやめろよ。もう……」
 不機嫌を(よそお)った声が弱々しい。耳が赤くなっていた。
 重は古木の上に立つと、窓辺の急須や湯呑をかたかた言わせはじめた。とおるは、押しつけられたビニル袋から花見団子を取り出す。
 透明なパックに、花見団子が三本入っていた。
「君、二本食べなされよ」
「とおるが食えよ。もっと太れよ」
 ほら、と湯呑を差し出された。ありがとうと言って受け取る。
 重は「もう」とか「なんでだよ」とか不満いっぱいに(つぶや)きながら、とおるの隣にやっと落ち着いた。とおるから花見団子のパックを奪い取り、ばりばりと開封する。
「コンビニのだけどいいだろ」
「うん、君が持ってきてくれたんでええ」
「重って呼べよ」
 開封されたパックを向けられ、とおるはありがたく一本いただいた。重はぷりぷり怒っている。
 今だけではない。彼は大抵ぷりぷり怒っていた。
 もぐ、と団子を食べる。もちもちしているのはいいが、味がどこかよそよそしい。なるほど、コンビニの花見団子はこういう味なのか。覚えた。
「とおるさあ」
「なんだね」
 とおるははじめてのコンビニの花見団子の味を楽しみつつ桜を眺めているのだが、重は桜をちらとも見ない。花見団子の串を握り締め、湯呑を持った格好で(うつむ)いている。
「とおるって普段からそんな口調なの? ばーちゃんみたいな」
「はっは!」
 とおるは声を上げて笑った。
「ばーちゃんみたいかどうかは知らん。でも普段からこんなだな。嫌かね」
 桜がきらきら舞っている。
「いやだ」
 低い声で重が答えた。
「なんかすぐ死んじゃいそうだ」
 低い、怒った……泣きそうな、(のど)が揺れた声だったから、とおるは「そうか」と笑いを収めた。
 何故重がこんなふうに通ってくるのか、とおるにはわからない。何か、特別これだということを彼にしたことはなかった。記憶にないだけだろうか。
 ただ覚えていないだけだとしたら、それはたぶん音の記憶だ。
 とおるの世界は、季節の色彩とにおいと天候で構成されている。
「私はとおるって名前なんだけどな」
 重が(もたら)す彼の当たり前は、とおるにとって多くの場合が初体験だ。
 今日なんか、団子はコンビニのもので、しかも串に刺さったまま食べてしまった。なかなか悪くない気分だったが、母は卒倒するだろう。
「そんなん知ってる。日下部(くさかべ)とおるだろ」
 重は不機嫌を隠そうともしない。
「うん、そうだ。表記はひらがななんだが本当は漢字がある。漢数字の(とお)に、一縷(いちる)の希望の()で十縷。ああ、一縷の希望は」
「んなの知ってるよ! 馬鹿にすんな!」
 本当は知らなかった。
「はっは、そうか。いや申し訳ない」
「そんな声で笑うなよ! 死ぬみたいじゃねーか!」
 涙声で、怒声(どせい)
 とおるは「そうか」と笑う。
 重が何を伝えたいのかはわかっていた。
 とおるの笑い方や、その声は、明るいが()れている。執着がないぶんさっぱりしていて、苛立(いらだ)ちや息苦しさと無縁なぶん乾いており、何より、緩やかな諦観(ていかん)に満ちていた。
「ひとはみんな死ぬよ。だが、明日死ぬとは限らない」
 その代わり、次の瞬間死ぬかもしれない。
 重はいやいやをするように(かぶり)を振った。認めたくないのだ。
「私は確かに身体が弱いが、それだけだ」
「じゃあなんでそんな声で笑うんだよ。やめろよそういうの。もっと、ほんとにばーちゃんになってから死ねよ! こ、こんな、こんな寂しいところになんでいるんだよ。俺んとこ来いよ! 絶対毎日楽しいから!」
「……君は生きているのだなあ」
 重が、大変な力で打たれたように面を上げた。仔狐のような目に涙が(にじ)んでいる。愕然(がくぜん)としていた。
 そんな顔で、そんな声で笑ってくれるなと、弟にも義妹にも言われた。そして今、年端(としは)も行かない少年に言わせてしまっている。
 言わなかったのは母だけだ。日頃とおると顔を合わせることがほとんどない父ですら言ったのに。
 彼らが本当に言わんとすることはわかっていたけれど、とおるは、ではどのように笑えばいいのかがわからなかった。
 ひとは必ず死ぬ。明日死ぬとは限らないが、その代わり、次の瞬間死ぬかもしれない。そんな静かな心でとおるは毎日生きている。母が大切な人形のために整えた、(さび)れた庵のような離れで、日がな一日古い薄い窓硝子の外を見て過ごす。
 たまに通ってくる、お姫様を救い出そうとする王子様のような野良猫を待ちながら。
 とおるは微笑んで、静かに首を横に振った。
「残念ながら、君。私はお姫様ではないのだよ」
「なんだよそれ!」
「王子様を待ってはおらんということだ」
 とおるは夢すら見ない。
 ――私の人生はそういうものなのだ。
 それが不幸とは思わない。
 世界は広いのだから、こんな人生もあるだろう。
「こんなことを言うのもなんだが、はっきりした方がいいのだろうな。私は今から君をふる」
 ひたりと見つめて言ったら、重が(ひる)んだ。
「恋は移ろう。人生は長い。君は私の(つがい)ではない。以上だ。二本目のお団子は君が食べなされ」
「な、なんだよ、それ。意味わかんねえ」
 重が顔を赤くしておろおろと口にした。
 ――春なのだなあ。
 とおるは思う。
 ――だが、季節は(めぐ)るものなのだよ、君。
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