back  |  next   
 どちらにせよすごい音がするのだ。
 ――いや、でも、誰。……んん?
 誰、って。
 この部屋の鍵を持っているのなんて。
 がちゃんっ、と派手な音を立てて、飾り気もなく防犯面でも不安しかないドアが開いた。
六花(りつか)ちゃん! ただいま!」
 でっかい黒いバッグやなんやら、とにかくあれこれ抱えた格好の男性が、私を見つけて満面の笑みになった。
 やわらかい癖っ毛の濃い茶色の髪と、くっきりした二重瞼(ふたえまぶた)鳶色(とびいろ)双眸(そうぼう)。洗いざらしのシャツにジーパンという非常にどうでもいい……もとい、ラフな格好で、私の恋人は突然帰ってきた。
 私はずるりと脱力する。
「おっ……おかえり柘植さん……びっくりした……」
 暴漢かと思った。
 柘植さんはもう一度、ただいまと繰り返し、大荷物とともに部屋に入ってきた。
「元気だった? 風邪引かなかった? 怪我しなかった? もししてたらちゃんと医者行った?」
「そっくりそのままお返ししますよ」
「俺は元気!」
「そうみたいだね」
 なんだか犬みたい。
 あちこち飛び回っているだけあって、柘植さんの身体は見るからに健康そうだった。大人の男性には違いないのだけれど、彼はかわいい。というのも、大きい瞳が悪戯(いたずら)っぽいのだ。おまけに、表情も無邪気だった。
 陽に()けて好きなものを夢中で追いかけている様が、まるっきり夏休みの少年だった。だから私は笑ってしまう。ときめくとか、守ってほしいとか、守ってあげたくなるとかではなく、ただただ笑ってしまう。
 柘植さんは、男性はいつまでも少年の心を持っているというのを証明してくれているようなひとだった。
 大きな荷物を隅に寄せ、彼はうれしそうに私の隣に座った。
「いつもきれいに掃除してくれてありがとう」
「ぉ……ぉお……」
 にこっと笑いかけられ、私は赤面した。思いがけないことを笑顔で評価されて、戸惑ったのだ。
「いきなりそんな……掃除するのは当たり前だよ」
「大変でしょ?」
 問われると返答に(きゅう)する。体力的には大変なのだけれど、精神的には全然そんなことはない。
 さてどちらに焦点を当てようかと考えていたら、しばらく私を眺めていた柘植さんが膝で歩いて荷物の方へ行き、がさごそして、また戻ってきた。四角い紙束を持っている。
「新しいの撮ってきたよ」
「わあ、ありがとう!」
 差し出された写真を見て、私は(ほほ)がきらきらするのを感じた。
「ポラロイド持ってたんだ。はじめて見た」
「こういうのもいいかなあって」
「うん、好き! ありがとう。うれしい……どこに飾ろう」
 飾るというのは、取りも直さず吊るすことを意味している。
 空ばかりのポラロイド写真を一枚ずつ(めく)っていく。水色だったり、青かったり、真っ青だったり、雲が光っていたり、飛行機雲が走っていたり、昼のお月様が()かっていたり。
 こんなにいっぱいどうしよう。
 あ、でも、ポラロイドって一枚きり? 褪色(たいしょく)が怖い。
 ――もったいないけどアルバムにしまおうかなあ。
「……なに?」
 視線を感じて横を向くと、柘植さんの鳶色の瞳が私をじっと見つめていた。
 たぶんときめく場面だと思うのだけれど、やっぱり私はときめかない。
 柘植さんが、うふふと嬉しそうに笑う。
「六花ちゃん、かわいい」
「……そう? ありがとう」
 どこをどう見て言ったのかはわからないが、かわいいは褒め言葉だ。ありがたくちょうだいする。
 私からすれば柘植さんの方がよほどかわいいのだけれど、女性の言う『かわいい』のニュアンスの違いは男性は(とら)えづらいらしいし、私も説明できる自信がない。なので、いつも心の中で思うに止めていた。
 窓から吹く風が、柘植さんのやわらかい髪をふわふわ揺らしている。ゴールデンレトリバーの尻尾みたいだ。
 柘植さんはまた、じっと私を見つめた。
 ――カメラマンってみんなこんななのかなあ。
 柘植さんは興味を抱いたものを、ものすごくじっと見つめる。穴が開きそうなくらい見つめる。私は柘植さんに興味を持たれる対象物のうちのひとつなので、一緒にいるときはしょっちゅう見つめられていた。
 最初は、なんだろう私何かしたかしらと思いもしたけれど、今では慣れたものだ。ああ、何かに()かれたのだな程度にしか思わない。
「六花ちゃん、撮ってあげようか」
「え、――わたし?」
「うん」
 無邪気な顔で笑って(うなず)くので、私も笑う。
「じゃあお願いしようかなあ。かわいく撮ってね」
「まかせて!」
 と自信満々の笑顔で言って、何故か柘植さんは私の手を引いた。部屋の奥、窓から遠ざかる。
「明るいところじゃなくていいの?」
「? だって、見えちゃうよ。二階でも気をつけないと」
 何か困ることがあるのだろうか。別に、自宅で写真を撮るくらい、窓辺でもいいと思う。SNSにアップするなら絶対におすすめしないけれど、不出の一枚だ。
 それとも、友だちに見せるつもりなのだろうか。だとしたら恥ずかしい。柘植さんだからいいと思っているのであって、私はもともと写真に撮られること自体は苦手だった。
「? 裸、見えちゃうよ」
 柘植さんは、あれ、と不思議そうにした。大きな鳶色の瞳がぱちぱち(またた)いている。
 私は唖然(あぜん)とした。
 しばらくして驚愕(きょうがく)という名の氷漬けから解凍され、私は顔を赤くして口をぱくぱくさせた。
「は、はだっ……?」
 裸? って、ヌード?
「やだ!」
「なんで?」
 ――なんで? なんでって、そんな、むしろこっちがなんで?
「だって、裸なんて」
 恥ずかしい。
 私はヌードの美しさに応え得るデッサンモデルではないのだ。写真のモデルでもない。指の先まで()ぎ澄まされた、つま先まで輝くような美しさを、私は持っていない。
 柘植さんはまったく理解していない顔をしている。
 back  |   next



 index