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 よっと、とまた軽く口にして、清家くんは縁石から下りた。本当に、一体なんなのだろう。
「それで、好きな異性のタイプってやつは?」
「え、えぇー……?」
 考えたことがなかった。
 今まで、お姉ちゃんよりかっこいいと思ったひとに会ったことがない。中学に上がってさすがになくなったけれど、男の子は私の身長をネタにするだけの生き物だったし。
 ――かっこいいじゃん。
 清家くんは腰を(かが)めて、下から私を(のぞ)き込んでいる。じっと見つめられて、私は思わず目を()らした。
 清家くんの瞳は人魚姫のそれほど美しくはなかったけれど、梅雨明けの青空にきらめいていた。
「……お姉ちゃんよりかっこいいひと」
 呟くみたいに言った瞬間、あ、と気づいた。
 あの人魚姫。
 私に文章で気持ちを伝えてくれた。
 人魚姫の恋は叶わないと思っていたけれど。
 声がなくても、声に代わる言葉があるなら叶うのではないだろうか。
「お兄ちゃんじゃないのかよ」
「お兄ちゃんいないもん」
 黒曜石の瞳の人魚姫。
 もしかしたら、恋したひとと結ばれているかもしれない。
 そう思ったら、胸の中がふわりと開いた。なんだろう。すごく明るい。白い花びらとか貝殻(かいがら)がゆっくり開いたみたいな感じ。
 中央は、まだ見えない。
 やわく光って、やさしく輝いて大切な何かを守っている。
「あたし、シスコンなんだ。だから、お姉ちゃんよりかっこよくないひとには興味ない」
 抱いていた傘を見る。
 梅雨の水底で貸してもらった黒い傘。
 もう、返さなくても大丈夫な気がした。
「自分で言うなよ。俺めげそうになるじゃん。有馬の姉ちゃん見たこともないのに」
 だるそうにしゃがみ込んで、清家くんが項垂(うなだ)れた。
 私は胸を張る。
「すっごいかっこいいんだから。焼き飯おいしいし!」
「なんだよ飯か。炒飯(チャーハン)ならつくれるよ」
「焼き飯! 炒飯とは違うの」
 大事なところだ。焼き飯は焼き飯であって、炒飯では断じてない。
 起き上がりかけた清家くんがまた項垂れる。
「なんだよ、ポイント稼げると思ったのにさあ。うち中華料理屋なのに、炒飯うまいのに、なんだよ焼き飯って」
 なんのことを言っているのか、清家くんは上がったり下がったり忙しい。私は、実は清家くんの言っていることは話半分で、よく聞いてすらいなかった。申し訳ないことに、そんな余裕がなかったのだ。
 蒸し暑いコンビニは、もう夏を控えている。
 今年はそういえば一本も虹を見られなかったけれど、代わりに虹よりきれいな宝石を見た。
 ――あの人魚姫が、どこかで笑っていたらいいな。
 寂しい目もとをうれしくさせて、好きなひとと結ばれていたらいいな。
 それで、夏の白い砂浜でふたりで海を眺めるんだ。
 もう(かえ)らない、懐かしい場所を。





END.
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