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 そういうの、が何を指しているのか曖昧(あいまい)だったが、あえて(たず)ねようという気にはならない。
「でも浅野さんよりできるんでしょ? 教えてあげなよ」
「頑張って教えてあの点数だったんだよぉ。竹原くん教えるの上手いんだね」
 肯定も否定もしづらかった。
 あのあと、凪は本当にきつい言葉を飛ばしまくって未冬の追試対策に付き合ったわけだが、彼女はまったくへこたれなかった。そればかりか笑顔で礼を述べ、ついでに、実に九十七点を叩き出した追試の答案用紙を胸に抱いて、凪のもとに報告に来たのだ。
 ――ありがとう。竹原くんのおかげだよ。
 無邪気で純粋な笑顔だった。
 眼鏡はともかく、前髪をさっぱりさせたら垢抜(あかぬ)けるのではないだろうか。美少女になるとまではさすがに言わないが、少なくとも愛嬌(あいきょう)のあるかわいらしさははっきりするように思う。
 ――次もお世話になっていい? よろしくね。
 と、言われると思っていたのに。
 言われなかった。
 あんな笑顔で「竹原くんのおかげだよ」なんて言ったくせに、(はし)にも棒にもかからなかったテストの追試で九十七点を勝ち得てきたくせに、お愛想(あいそ)の約束さえなかった。
 それが凪は気に入らない。使い捨てにされた気分だった。
 なのに、凪はこうして夏休み間近の教室で未冬を待っている。
 成績には響かないのだから、0点でも構わないテストだ。厭味を言われてしまえばいい。
 でも待っている。
 蝉の声が(やかま)しい。彼らはたった七日間の恋のために身を(けず)る。
「なんで僕が浅野さん待ってるって思ったわけ?」
 自分の思考が気に入らなくて、和歌子に尋ねた。
 だって、彼女はいやに確信した口ぶりで言ったのだ。凪が未冬を待っていると、そのように見えたのだろう。
 もしも凪のその(さま)が和歌子の目に美しく映ったのだとしたら。
 笑顔を忘れた、花の翳のような横顔に見えたのだとしたら。
 それは。
 ――それは。
「……やっぱいい」
 答えられる前に打ち消した。きれいだったから、と言われたくない。言われてしまったら、認めるしかなくなってしまう。
 和歌子が小さな溜息をついて、眉尻を下げた。
「未冬がお世話になってるからってわけじゃないんだけど」
 おとなしく引き下がってくれたことに安堵する。どうやら、詮索(せんさく)好きなわけではないらしい。
「ちょっと……ね、あんまりよくない噂があって……竹原くん、知ってるのかなって」
 和歌子が目を逸らしたので、なんとなく察しがついた。
「借金はないよ。欲しいものもない」
 遠回しに、売春などしていないと告げた。
 ――あれは違う。
 一方的にプレゼントを贈られるだけの身体の関係くらい、()いて捨てるほどあるだろう。それらすべてが売春にあたるわけではない。現金を受け取ったこともただの一度もなかった。欲しいと思ったこともない。
 あれは、秀一郎が身勝手に、凪を買っていると思い込んでいただけだ。
 凪だって、本当は(こた)えたかった。
 何故駄目だったのだろう。どうして応じられなかったのか。
 何度自問しても、出てくる回答は同じだった。
 秀一郎に買われている自分が嫌だったのだ。そう思われているのが嫌だった。メロンソーダに浮いたバニラアイスをつつきながら、頬杖をつき、花の翳のような人待ち顔をしていたのは演技ではない。
 凪はずっと待っていた。
 本当にずっと、長い間待っていた。
 待ち人は来なかった。
「……僕って、泣いたらかわいいと思う?」
 凪の泣き顔はとてもかわいい。嫉妬しなかった女などいない。かわいく見える角度も知っている。
 だから嘘でも泣いてみせればよかったのかと思うと、たまらなく寂しい。
「思う。絶対かわいい。……男の子なのに『美少女』でいるのって、大変だね」
 凪の真実を、和歌子は静かな一言で捕まえた。
「でも、ごめんね。あたしは竹原くんに美少女求めちゃう」
「いいよ別に。そっちの勝手だし」
 美少女でいられる期間など短いのだ。花の命はとても短い。
 たとえ恋をしても、(なが)らえられるわけではない。
 和歌子が痛みを我慢するような顔で笑った。
「未冬は違うよ」
 それが何を意味するのか、わからないはずがなかった。
「そういうの、お節介(せっかい)だよ」
 笑顔を忘れた花の翳。人待ち顔のまま吐き捨てると、
「美少女が泣いた顔見たいって思っちゃったから、謝りたかったの。でも、謝るのもなんだか……馬鹿にされてるみたいで嫌かなって思って。だから代わりに」
「嘘でもいいなら今すぐ泣けるよ」
「寂しいね。そういうの」
「まあね」
 蝉が鳴き止まない。



 蝉が(にぎ)やかしく鳴く夏空は果てしなく青く、人気のない体育倉庫の裏に立ち並ぶ木々は背が高い。打ち()てられた弦を適当に束ねて無理矢理掻き鳴らすみたいな音が、木漏(こも)れ日とともに辺りに降り注いでいる。
 ここで女の子に囲まれ、嫉妬に狂ったひとりに平手打ちされ、おまけに淫乱とまで罵られたのが、ずいぶんと以前に感じられた。実際は、季節さえ変わっていない。
 指先で頬に触れてみた。
 たいして痛くもない平手打ちだった。
「竹原くん?」
 背後から聞こえた声は、ここ最近でよく聞くようになったものだ。
 ふり向くと、鞄を肩にかけた未冬が立っていた。
「たっ……」
 しばらく無言でいたと思ったら、未冬は突然挙動不審になった。きょろきょろと周囲を見回し、後ろもふり返る。わけがわからないまま眺めていたら、小走りで寄ってきた彼女は、
「また呼び出されたの?」
 と、深刻な顔で凪に尋ねた。ふっと吹き出してしまう。
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