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「ど、どうして笑うのっ」
「だって、いつも僕が呼び出されてるみたいで」
「いつもなんて、……そんなふうに思ってるわけじゃないけど……」
 声がぼそぼそと小さくなる。図星だったのだろう。でも、当然といえば当然だった。未冬はここで、凪がビンタを張られているのを目撃したのだ。
「いいよ、大体事実だし。浅野さん、こんなとこになんの用があったの?」
 体育倉庫の裏手にあるものといえば、竹箒(たけぼうき)熊手(くまで)くらいのものだ。化学の小テストも無事にクリアしたことだし、厭味で「掃除でもしてろ」なんて言われたわけではないだろう。
「え? 用事は特に……」
「ないのに、こんなとこに来たの? ひとりで?」
 少し意地悪をしたい気持ちになった。半袖から伸びる腕が少女らしいのが悪いのだ。ほっそりとして、しなやかで、少し陽に()けている。
 未冬が、う、と詰まった。
「はっきり言って。ぐずぐずしてるの嫌い」
 待っていてはいけない気がしていた。彼を忘れてもいないのに、新しいひとを待つなどしていいはずがないと思っていた。
 でも、和歌子に言われてしまったのだ。
 未冬を待っているのだろうと思われてしまった。
 あのときの凪の横顔は、美しかったに違いない。
「その……明日から夏休みだし、しばらく会えないから」
「誰に」
「竹原くん。それで、ちょっと思い出に浸りに来たっていうか……充電? みたいな感じ……? はじめて(しゃべ)ったの、ここだし。わたし、二階にいたけど」
「なにそれ告白のつもり?」
「えっ? …………あっ」
 未冬が、ぱっと両手でくちもとを(おお)った。肩にかけていた鞄がずり落ちて、彼女の(ひじ)にずしりと引っかかる。
 鬱陶しい前髪と野暮ったい眼鏡の奥の瞳が、思いっきり見開かれていた。
「そっ……あっ……うぅっ……そんな、ご、ごめん」
 未冬の顔が見る見る間に赤くなっていく。
「なんで謝るの?」
 笑いを(おさ)えきれない。未冬は頭の出来が悪いというわけではないのだが、どうにも間が抜けている。
 凪が笑って小首を傾げて問うと、辛うじて未冬の肘に引っかかっていた鞄が、どしゃっと音を立てて落ちた。
「だって……だって、わたしみたいなのが竹原くんを好きなのって迷惑じゃない?」
「やっぱり告白なんだ」
「もう! 茶化(ちゃか)さないで!」
 茶化すも何もないのだが、彼女の問題は、告白そのものよりも、好意は迷惑ではないのかという方にシフトチェンジしてしまったらしい。
「何と何がどう繋がって迷惑になったの?」
 未冬は両腕を胸に引きつけたまま、がっちり不動になってしまっている。凪は(そば)まで行き、取り落とされた彼女の鞄を拾い上げた。ぱんと軽く(ほこり)(はた)く。
「はい、鞄。重いね」
「ありがとう。本、いっぱい借りたから……じゃなくて、じゃない、違わないけど、わたしが竹原くんを好きなのって迷惑じゃない? 竹原くんみたいにきれいな男の子に、わたしみたいな()えないのが片想いとか……」
 きれいな男の子。
 ――『美少女』じゃないんだ。
 和歌子が言っていたのは本当だった。疑っていたわけではないけれど、本人の口から聞けるのが嬉しい。未冬にとって、凪は恋に足る異性なのだ。
 ――嬉しいのに。
 同じくらい後ろめたい。
 凪は睫を伏せた。
「……きれいじゃないよ。噂、知らないの?」
 (つぶや)くように問うと、鞄を肩にかけ直した未冬の目が、先ほどとは異なる開き方をした。
「……ほんとうなの?」
 素直な反応に、凪はくすりと笑う。
「売ってはないよ。でも、付き合ってたっていうのともちょっと違う。微妙なところなんだよね」
 はっきりとした名前もつけられない関係だった。秀一郎は、今どうしているだろう。凪のもとにはもう、彼の欠片(かけら)すら残っていない。
 薄情かもしれないけれど、どこかで笑っていてほしいと思っている。
 凪は少しだけ前傾になり、未冬の瞳を覗き込んだ。
「きれいじゃないどころか、汚いでしょ。売ってないってだけ」
 ここまで言ってわからないほど馬鹿ではない――
 ――と、信じたい。
 未冬はじっと凪を見つめて、それから首を横に振った。
「全然。だって、好きだったんでしょう?」
「……」
 彼女の中では、好き、と直結する行為なのだ。
「好きなら汚くないよ」
「でも、付き合ってたわけじゃない」
 繰り返した言葉は無理矢理絞り出したような声だった。(のど)が詰まっている。
 唐突に降り出した涙が、(あられ)みたいに落ちていく。季節外れもいいところだ。
「た、竹原くん……」
 未冬がぎょっとして、そのあとはっとして、制服のポケットからハンカチを取り出した。ピンクピーチのパイピングが(ほどこ)されたタオル地のものだ。
「泣かないで。あっ、違うの、泣いても大丈夫。でも、汚いなんて言わないで」
「んぐっ」
 顔に思いきりハンカチを押しつけられ、凪は思わず(うめ)いた。
「わたし、絶対誰にも言わないから。口が堅い自負はあるから安心してね。そのハンカチ貸――あげるよ。わたしのお古になっちゃうけど。捨ててくれてもいいから、とりあえず帰るまでそれで顔隠せば、泣き顔ひとに見られないで済むよ。男の子だもん、見られたくないよね」
 未冬はそう(まく)し立てると、凪の顔にハンカチをさらに押しつけてきた。涙も止まる勢いだったから、仕方なくハンカチを受け取る。
「じゃあね、また二学期にねっ」
 夏の真ん中に去っていこうとする未冬の手を、腕を伸ばして(つか)んだ。引っ張ると、背を向けて逃走寸前だった彼女が戸惑いながらふり向く。
「ただで帰るつもり? 僕の本気の泣き顔見といて」
 ハンカチをしっかり握りしめて、凪は未冬を恨みがましい目で睨んでやった。未冬が(ひる)む。
「それ……は……ご、ごめん……見るつもりじゃなかったの」
 不可抗力、未冬は半ば巻き込まれたもいいところだ。凪が勝手に泣き出しただけなのに、未冬は小さくなった。心底申し訳ないという顔をしている。
「それに、返事も聞かないの? 僕に告白してくれたんだよね?」
 一応確認を取ると、未冬は少し迷ってから頷いた。
「……うん。でも、……泣いたのは、そのひとのこと、今でも好きだからでしょう?」
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