back  |  八月 くらげが骨に出会うとき   
「失恋の痛手は新しい恋で治すのが近道っていうじゃない」
 力尽くで掴んでいた手をほどいて、凪は、自身の手と未冬のそれをそっと繋ぎ合わせた。
 未冬の頬が赤くなる。
 てのひらが熱い。
 でも、きっと、夏のせいじゃない。
「治してよ。ハンカチだけじゃ足りない」
 もう、待つのはやめる。
 花の翳も終わりだ。だってこれから、影さえ鮮烈な季節になるのだ。輝く黄色の向日葵(ひまわり)に、人待ち顔の憂鬱(ゆううつ)はいらない。
 手持無沙汰なんて、そんな言葉も知らなくなる時間がやってくる。
「そんなこと言われても」
 未冬がまごつく。凪は少し眉を寄せ、冷たい顔をつくった。
「僕の本気の泣き顔なんて貴重なもの見たくせに、ハンカチだけで済まそうっていうの?」
「そうじゃないよ! そうじゃないけど……」
 はじめてなんだ。
 ――僕の泣き顔を見て、嫉妬の顔にならなかった女の子。
 男の子だから泣き顔を見られたくないだろうと思ってくれたのも。
 未冬は泣く凪を見て慌てたのだ。心配もしてくれた。
 未冬がそういう女の子なのだと、凪はほんの短い間で知ってしまったのだ。だからここに来ていた。思い出に浸ろうとまでは思わなかったが、彼女の影法師(かげぼうし)を追いかけてこの場所に辿り着いたのは事実だ。
「わたし……」
「冴えないって思ってて、僕のこときれいだって思ってるなら、かわいくなる努力してよ」
 言葉を取り上げて強引に繋げた。結果や結論がわかりきっているのに、ぐだぐだしているのを見るのは嫌いだ。
「でも、そういうのって逃避じゃない? 新しい恋を代替品にして、傷を誤魔化そうとするなんて」
 未冬が唇を尖らせる。代替品にされるのは嫌なのだ。そこは好きだと思った。代わりでもいい、なんて馬鹿げたことを言わない未冬の生真面目さは好きだ。
「そう思うなら、僕に恋させて。かわいくなってよ」
 隣にいてほしい。一緒に、並んで歩きたい。手を繋いで、想像すらできない健全なデートをして、ぎこちないキスをしたい。
 思いはしても言えなかった。凪は彼女ほど素直になれない。
 未冬は観念(かんねん)したのか覚悟を決めたのか、ぎくしゃくと頷いた。
「う、ん。じゃあ、がんばる」
「適当に言わないでよね。僕、そういうの大っ嫌い」
「ご、ごめん」
「安売りしないで。苛々(いらいら)する」
 本当に言いたいのは、こんなことではないのに。
 未冬はこんな自分のどこを好いてくれたのだろうか。
 そんなことを言い出すと(きり)がないのだけれど。
 まったくもって、恋って謎だ。
「あ、そうだ。じゃあねえ、わたし、どうしたらかわいくなると思う?」
 やっと凪の手を握り返した未冬が、すっきりと明るい顔で()いてきた。何か吹っ切れでもしたのだろうか。
 女心も大概謎だった。
 凪は溜息をついた。
「自分で考えなよ。頭の中花しか咲いてないの?」
「そうじゃなくて。――だって、竹原くんにかわいいって思ってもらえないなら意味ないもん。だから、好みを教えて。参考にする」
 恥ずかしげもなくよくも言う。逆立ちしたって、凪にはできない。
 未冬はどんなデートが好みなのだろう。好みとまでいかなくても、どんな内容のデートを夢見ているのか知りたい。
 ――カフェでランチ。映画。遊園地?
 案はまったく出てこなかった。
「……とりあえず、前髪切って」





END.
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