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 でも、きっと一生忘れない。
 そして翌日、椿は何故か五円玉を私の手に乗せてきた。
 実のところ、貸すとは言ったけれども、本当に返せと思っていたわけではない。だから私は遠慮した。
 それくらいいいよと言ったら、椿は柳眉(りゅうび)をきゅっと寄せた。
 ――借りたものなんだもん、ちゃんと返す。それに、一円を笑う者は一円に泣くんだから。
 はあ、と生返事しか出なかった。
 ――なんで五円?
 ――利子。
 ――どんなにひどくても十一(といち)でしょ。
 呆れたら、椿は花が開くように笑った。
 ――ご縁がありますように。仲良くしてください!
 私は撃ち落とされた。



 ぅおおお、と(うな)って机に突っ伏す。
 夏休み中、申し訳程度にあるテーブルゲーム同好会の活動は、視聴覚室の片隅で行われている。テーブルゲームと銘打(めいう)ってはいるものの、実際には幅広い。
 将棋とか囲碁とかトランプとか、ゲームをしている生徒もいるけれど、私はそれどころではない。宿題も無事片付いた私は、なんと椿と水族館に行くことになってしまったのだ。
 ――何着ていこう。
 もちろんおしゃれしていく。
 ――スカート……ワンピースってなんか、デートって感じだよねえ。デートには違いないけど。なんかイメージ的に。……デニムのミニとか? さっぱり白いTシャツ着たら、ミニでも甘くはならないよね。靴、どうしよう。電車に乗るし、正直ミュールとかサンダルは怖い。こないだ親指の爪が()がれたって話、聞いたばっかだしなあ。
 親指の爪が剥がれた、まで考えて、ううっと背筋が震える。爪が剥がれるのはどのくらい痛いのだろう。幸いにして今のところ未経験だけれど、ろくに歩けなくなるに決まっている。お風呂も入れなくなりそうだ。
 そうすると、スニーカーが無難だ。痛いのは嫌なのだ。靴ありきでコーディネートを考えることにした。
 ――なんか私、恋する乙女っぽくない?
 いやいやいやいや。
 椿は確かに美しい。十分どころか、外見だけなら有り余るくらいに憧れる。けれど中身を知っているから、心情としては妹ができたようなものだった。
 でも、この思考回路は恋する乙女のそれではないだろうか。
 まあ、椿がほかの子と仲良さそうに話していたりするとちょっとむっとする。これはどう考えても嫉妬だ。けれども、この手の嫉妬は思春期の女の子にはよくあることだと思う。何せ、同性に疑似的な恋をして予行練習するのだから。
 私を見つけた椿が、理子ちゃん理子ちゃんと笑顔で駆け寄ってきてくれるのが嬉しい。これは独占欲とかそのあたりに相当するのではないだろうか。
佐久間(さくま)、どしたん。元気ないじゃん」
 中学から一緒の八木沼(やぎぬま)がトランプをケースに戻しながら(たず)ねてきた。開襟(かいきん)シャツの(えり)もとから、コロナみたいなオレンジ色が(のぞ)いている。
 私はやや疲れた心持ちで、ずるずる引きずるみたいにして上体を起こした。右手で(ひじ)をつき、(ひたい)を押さえて(うつむ)く。
「いや……すごい説明しづらいんだけど」
「なになに?」
 怖いのだ。
 恋は外見だけではないけれど、椿ほどの美貌を見慣れた身にとっては、芸能人もモデルも色褪(いろあ)せて見えてしまう。あんなのがずっと傍にいて、自分を(した)ってくれるのだ。性格も真っ直ぐで、素直なところが好きだった。
 女の子の素直さと男の子の素直さなんて、比較したことがないからわからない。でも、椿は私に大変な影響力を持っている。もしも私の恋の予行練習の相手に彼女が選ばれているのだとしたら、私のこの先の恋愛人生は薄暗いものになるとしか思えなかった。
 実際に恋すればそんなことはないのだろうけれど。
 不幸なことに、私には片想いの相手はいない。憧れの異性もいなかった。
 ――なのに。
「大事な友だちがいてね」
 かわいい子が、とか、美人なんだけど、とは言わない。私が仲良くしている美人といえば、椿しかいなかった。そして、椿の美貌は知れ渡っている。
「その子が恋してるんだけど」
「ふうん? その友だちって女?」
「うん」
「好きなひとが同じとか?」
「全然」
「じゃあいいじゃん」
 普通そうだよね。
 私も、椿でなければ応援したと思う。
 でも、応援できなかった。
「相手がおじさんなの」
「え、それって」
 八木沼がうわ、という顔をする。私は即座に否定した。
「悪いこととは無関係。そういうんじゃなくて、ただ単に、おじさんって年齢の男性に恋してるってこと」
 椿は現在、『図書館の(きみ)』に片想い中だった。
 あのひとなの、と本棚の(かげ)から(うかが)ったそのひとの姿を見て、私はがっかりしてしまった。
 ものすごく普通のひとだったからだ。
 不細工ではない。ただただ、本当に、なんの変哲(へんてつ)もない、これといった特徴のない、三秒で忘れるようなどうでもいい顔。
 ――どこがいいの? いいとこって、背が高いところくらいじゃん。
 清潔感のあるひとではあったけれど、それだけだ。
 私が言うと、椿は少し()ねた顔で反論してきた。
 ――身長なんかどうでもいいの。やさしいひとなんだから。
 なんでも、椿が本を棚から出そうとしたところ、図書館の君と手がぶつかったというのだ。彼も椿と同じ本が目当てだったらしい。椿は手を引っ込めようとしたのだが、図書館の君は微笑んで、
 ――お先にどうぞ。
 と、椿に本を差し出してくれたのだという。
 ――椿が美人だったからじゃないの?
 美人にはやさしくなるだろう。
 理由が短絡的なものであってほしくてそう言った。
 ――違うよ。わたしの後ろにいたもん。わたしの顔なんて見てなかった。
 どこか別の場所から見ていた可能性だってあるのに、椿はそのあたりはどうでもいいらしかった。
 私はものすごく不機嫌になった。気に入らない。
 ひとの恋に口を出すどころか、恋する相手が気に入らないなんてひどい話だと思う。椿は私の友人であって、所有物ではないのだ。
 わかっていても、やはり気に入らないとしか思えなかった。
 私の勝手な押しつけだけれど、椿の隣に立つひとは、美しいひとであってほしい。現実離れした美貌とまでいかなくても、せめて、ああきれいなひとだよねくらいの評価を得るひとであってほしい。
 あんなどこにでもいそうなひと。
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