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 久我くんが持っているガーベラが、十月の風に揺れている。ガーベラを守っている新聞紙が、かさかさ鳴っていた。
「焼酎とビールなら……ワインは好きじゃないみたい」
「それなら、二十八日に、ビール……ホップを送りつけてはいかがですか」
 そういう商品名の発泡酒があった気がする。発泡酒ではなかっただろうか。私は郁巳くんとは反対で、ワインは好きだけれどほかのお酒は苦手だ。だからテレビのCMもほとんど右から左で、覚えていない。
「なんで?」
 耳が冷たい。
 郁巳くんの手は、発熱しているのではないかと心配になるくらい、いつもあたたかい。冬、指が(かじか)み、(ほほ)が乾き、耳が痛くなる寒いとき、彼は決まっててのひらで私をあたためてくれていた。
 だから、私は毎年、冬が待ち遠しかった。
「十月四日の誕生花がホップなんです。二十八日も」
「私が贈るの?」
「ええ」
 私は贈ってもらう側のはずだ。苦手なビールをダースで贈られても困るけれど、差出人が郁巳くんならうれしい。
「ホップの花言葉をご存じですか」
 首を横に振る。
 ホップってどんな花だっけ。あんまり華やかな――ブーケにするようなタイプのものではなかった記憶が、ぼんやりある。確か、アーティチョークに似ていた。そういえば、アーティチョークも、あれはなんなのだろうか。(つぼみ)
 全然知らない。情けない。七月の末から入った新人ではあるけれど、私だってプロなのだ。もっと勉強しないといけない。
 長身の久我くんの背中に、秋の星座が広がっている。
「ホップの花言葉は、『不公平』、『天真爛漫(てんしんらんまん)』、『希望』、『信じる心』」
 最初のが引っかかる。
 でも、――『希望』と、『信じる心』。
 『天真爛漫』か。いいな。私もそうありたい。
「それから」
「まだあるの?」
 花言葉は、ひとつの花に複数ある場合が多い。同じ花でも、色によって全然違ったりする。国によってもばらつきがあるから、本はもちろん、インターネットですら網羅(もうら)することはほぼ不可能だ。
 繊細な輪郭の久我くんが、静かに微笑む。私は、私の涙で濡れた、久我くんからのプレゼントのハンカチをぎゅっと握った。
「『キスして』」
「――……」
 なんて、かわいい――
 ――ずるい、花言葉。
 『キスして』。
「絶対伝わらない」
「だから、遠野さんが抱えていけばいいじゃありませんか」
「ホップを?」
「ええ」
 それはそれで恥ずかしい。
「でも、ホップの開花時期は六月から七月なんですよ。残念ながら」
 誕生花とその花の開花時期が一致していないなんて、よくあることだ。
 久我くんが少し意地悪そうに笑うから、私も笑った。
「いいよ。風呂敷(ふろしき)にビール包んで押しかけてやるんだから」
 もしかしたら、もうふられているのかもしれない。
 もしかしたら、とっくに終わった恋にされているのかもしれない。
 でも、私はまだ恋してる。
 玉砕(ぎょくさい)したら、泣けばいいだけ。
「久我くん」
「はい」
「久我くんはさ、彼女に誕生日忘れられたらどうする?」
 久我くんの一輪の花を受け取るひと。
 どんな女の子だろう。
「忘れられるっていう想像がまずつかないんですが、そうですね」
 さらっと惚気(のろけ)やがったこのクソガキ。
「……やめておきましょう。秘密です」
 きれいな微笑で(ささや)くみたいに言うから、問い詰められなくなる。
 少年の溌剌さがない代わりに、涼しく整った静けさを持った久我くんが、恋人の前でどんなふうに振る舞うのか。
 私には、それこそ想像がつかなかった。
 ――キスして。
 そう囁いて、純情を捧げている恋人の耳もとに、髪に、唇に甘えることが、あるのだろうか。
「ビールかぁ。重いだろうなあ」
 空に向けた私の声は、清々(すがすが)しかった。





END.
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