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十一月

フライング・ラストメッセージ






 僕たちは もう二度と会わないだろう。
 いや、

 ――会えないのか。


 大和(やまと)は真向かいに座る級友をちらりと(うかが)った。机の上には正答率がとんでもなく低い数学と英語のテストの解答用紙と模擬論文が載っていて、教科書とノートが広げられている。
 定期テストのものだ。
 毎度真面目に勉強しているのだが、何がそれほど悪いのか、大和の成績は伸び悩みに伸び悩んでいる。
 大学受験を控えた身にはあまりにも目に痛い紙面だ。
 が、良くも悪くも、大和は「もう駄目かもしれない」と思う性格ではなかった。そんな言葉も知らない。
真田(さなだ)お前やる気あんのか」
「あ? あっ、ああ、うん、おう、ある!」
「ねぇだろ」
「ある!」
 いつの間にかじっと見入っていたらしい。大和の嘆願(たんがん)に根負けして教師役を買ってくれた章悟(しょうご)が、これ見よがしに溜息(ためいき)をつく。
「あのな、お前ほんとにこれで大学受けんの?」
「受かる!」
「お前落ちるわ。絶対滑るわ。今ので確信した。俺はな、受けるのかって訊いたんだよ。受かるのかとは訊いてない。今の質問に対する解答は、『受ける』もしくは『受けない』だ」
 (にら)み上げてくる目が怖い。章悟は漫画のような三白眼(さんぱくがん)の持ち主で、ただでさえ目つきが悪い。(いか)めしい顔つきとは異なるのだけれども、三歩歩いただけで敵ができるような顔つきではある。おまけにこの口ぶり。
 大和も、最初はあまりお近づきになりたくないと思っていた。なんか怖い、という単純な理由だ。そして、単純な理由だったからこそ、気持ちはあっさり解けて友人になった。今では、章悟が前髪を伸ばしているのも、主張がやたら激しい黒縁眼鏡をかけているのも、すべては悪人面(あくにんづら)を演出している三白眼を気にしてのことだと知っている。
 個人的には、眼鏡はともかく前髪が長いのは悪人面に拍車をかけていると思う。
 思うから、正直に伝えた。大和はこれもやはり良くも悪くも隠しごとができない上に、この点に関しては隠しておかなければならない意見だとも思わなかったのだ。
 ――今さら短くなんてできるか。
 章悟はそっぽを向いた。
 大和はその様を見て笑った。
 いつも余裕(よゆう)綽々(しゃくしゃく)で大和をからかっている章悟がはじめて見せたその顔は、バツが悪そうな、必死で照れを隠している表情だった。
 こんな関係、取り立てて珍しいものでもないだろう。
 こんな遣り取り、そこかしこで似たようなことが日常的にあるだろう。
 ありふれた高校生活の当然は、年末ジャンボ宝くじ一等前後賞合わせて当選どころではない幸福なのだと、大和は知った。
 小突き合う日々の中で章悟の身体のことを唐突に突きつけられたとき、大和にとっての日常は足もとから瓦解(がかい)した。
 泣きながらベッドに(すが)りついた大和を、章悟は点滴を打たれた格好で笑っていた。もう慣れたモンだと言った不敵な笑顔が、まるっきり時代劇に出てくる悪代官で、大和はさらに泣いた。
 思い出すと手が震える。
 あのとき握りしめた章悟の手は、ひどく冷たかった。
 思い出してしまうのは、桜の季節を想像してしまうから。
 まだ冬と呼ぶには(わず)かながらに秋の気配が残っていて、春はまだ遠いのに。
 この辺りは一年中暖かいから、雪などほとんど降らない。一応十一月は冬なのかな、でも秋のような気もする、そんな気候だ。
 大和の中ではまだ秋だった。
 銀杏(いちょう)の黄色がまだ残っている。これから日に日に減っていって、風に吹かれてばらばら散ってひらひら舞って、どこかへ行ってしまうけれど、山だってもう分厚(ぶあつ)い上等のゴブラン織りみたいになっているけれど。
 まだ秋だ。
 誰がなんと言おうと秋だ。
 冬なんか来なければいい。
 冬来たりなばナントカって言うから。
 春なんてずっと来なくていい。
 春は別れの季節だから。
 ――門出(かどで)の季節のはずなのに。
「あの……さ、山瀬(やませ)は……」
 ――進路は?
 今さら()くのか。そんなこと。
「えっと……」
 冷たかった。
 あのてのひら。
 ――手が震える。
 胸が詰まっているから、言いたいことがたくさんあるのだろう
 伝えたいことが。
 章悟が眉を(ひそ)めた。
 彼は眉を顰めるとき、思いきり眉根を寄せる。少し眉を顰めたとか、そういったワンクッションがない。ジャブがないのだ。いつもストレートだった。
「なんだ気持ち悪ぃ、言うならとっとと言えよ。つーかお前勉強するんじゃねえの? ひとに頼み込んどいて」
「うん、それはする、するけど、俺は受験するんだけど」
「知ってるよ。だから男ふたり教室に居残ってアホみたいにツラ突き合わせてんだろうが。ほんとなんなんだ。俺は早く期間限定のバーガー食いに行きてえんだよ」
 ――でも、言えない。
 元気でいろよとか、また集まろうとか。
 いちばん言いたいありふれた言葉が、いちばん言えない。
 がたんと音をさせて、章悟が椅子ごと盛大に()()った。
「うわっ。なんだよお前なに泣いてんだいきなり」
 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔というには、怖すぎる顔だった。
「なんで……」
「あ?」
 ノートの上に、音を立てて涙が落ちた。染みになって広がり、赤ペンのインクを(にじ)ませていく。
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