back  |  十二月   
 ペンを握った手に力がこもって、B2のやわらかい(しん)がぽきりと折れた。
「だって、まだ……こんな、……二十年も生きてないじゃん……!」
 ()き込みながら言うと、呆れた溜息(ためいき)が聞こえた。
「成人式もまだなのにってか? 生憎(あいにく)、俺はお前と違って童貞でもねーし親父ともじーさんとも酒酌み交わしてんぞ」
誤魔化(ごまか)すなよ! そんなのあったって、」
 (うつむ)いていた顔を上げて反論しようとしたら、眉を顰めた章悟と目が合った。眉間の(しわ)が三白眼にプラスされて、凶悪な面構えになっている。
「なんか俺が死ぬような言い草だな」
「ぇ……ち、がう、のか?」
「いや死ぬ」
 息をつきかけたのに、章悟は無情に否定してきた。大和の中に数えきれないものが堆積(たいせき)していく。楽しかったものも嬉しかったものも苦しかったものも哀しかったものも。
 息が苦しいほどのものも。
「なんだよ! 俺は……俺は本気で……柘植(つげ)なんてカメラ片手になんとかいう遺跡行ってたりするのに」
「いやお前あいつと比べるなよ……あれレベルは総合しても少数派だぞ」
「……それは俺も思うけど」
 制服の袖で涙を(ぬぐ)って、大和はぼそぼそ言った。
 人間の四人にひとりは冒険者の血を持っているのだという。同級生の柘植は、まさにその血を持っているとしか思えない人物だった。
 彼は今日も、カメラだけは大切に持って、適当な荷物で世界のどこかを冒険しているのだろう。
「俺は結構生きた。十七年だ。(おん)の字じゃねえ?」
 章悟がなんでもないことのように言い放つから、大和はまた頭に血が上る。
「どこがだ!」
「……うるせ……もうちょい声落とせよお前マジ無駄に声でかい……」
 片耳を押さえて嫌そうな顔をする悪人面は、飄々(ひょうひょう)として大和に何も(つか)ませてくれない。
「黙れ、日本人の平均寿命何年だと思ってるんだよ!」
「知らねーよ。女八十、男六十五とか七十くらいなんじゃねえの? もうちょい長いか? 女の方が長生きだよな」
「それでなんで結構生きたなんて言えるんだよ……まだ、もっと、」
 やりたいこととか。
 欲しいものとか。
 叶えたい夢とか。
 章悟が何度目かの溜息をついた。
 大和は耳を(ふさ)ぎたい気持ちでいる。
 章悟が何を言うのか怖かった。彼がどんなふうに(とら)えているのかを知るのが、ひどく恐ろしい。
「……ついこの間まで。七歳まで生きられるかどうかがまず難しかった時代だったんだ」
 事実だが、そんなのいつの時代のことだよという思いが強すぎて、大和は涙が引っ込むほど呆れた。
「お前……何百年単位で物事考えてるんだよ……」
「それだ」
「それってどれ?」
 章悟にびしっと指を指された。大和はぽかんとする。
 たぶん何かが的中したのだろうけれど、何がどこに的中したのか本気でわからない。
 章悟は(うなじ)をがりがり()きながら、大和をじっとりとした目で見た。三白眼の半眼は不機嫌な死神みたいだ。
「だーかーらァ」
 彼は、その程度なんでわかんねえの? といわんばかりに面倒くさそうに言葉を伸ばした。
「もっと長い目で見てみろよ。もっと広く。生まれる前に死ぬ命だってあるんだ。俺は余命宣告されてからこっち好きなこと片っ端から全部やった。充実してる。今もな。人生長さよりも密度重視派なんだ。満足してる」
「俺は満足してない」
「知ったことかアホ」
 ――まだ。
 まだ、言いたいことが。
 きっと、伝えきれないことが。
 積もっていく。
 いっぱいになる。
 (あふ)れる。
 間に合わない。
 涙になる。
「今からそんなじゃ先が思いやられるな」
 ぎっ、と音がした。
 呼ばれた気がして顔を上げたら、章悟は椅子に背を預けて高々と足を組んで、偉そうに胸を張って笑っていた。
 きっと無邪気な笑顔なのだろうそれも、章悟にかかれば悪人の高笑いだ。
 けれど、大和には溌剌(はつらつ)とした少年の笑みに映る。
 章悟がそういう人間だと知っているからだ。
「泣くのは俺の葬式のときだけにしてくれ」
 ばちんと思いきりデコピンを喰らわされ、大和は泣きながら(うめ)いた。
 (ひたい)容赦(ようしゃ)なく(はじ)いた指の力強さは健在で、こんな遣り取りをしている方が夢か幻、でなければ過ぎ去った想い出みたいだ。
 校庭の銀杏が舞い落ちる。
 雪など知らんぷりの強風ばかりの冬が続いて、そうしたら今度は桜前線が北上してくる。
 別れの季節がやってくる。
 まだ少し、気が早い気はするけれど。
 桜が咲くのは門出の季節だ。
 涙と笑顔で忙しい季節がやってくる。
 章悟が笑う。
「だから、せめて、そのときまでは」
 三白眼がやさしく細められると、驚くほど穏やかな顔になった。
「笑ってろよ、親友」
 やさしい微笑はまるで別人で、大和は、
 ――なんだ、こんな顔できるんならいつもそうしときゃいいのに。これなら三白眼だって言われてもわかんないじゃん。
 と、つられて笑いながら、泣いた。





END.
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