十一月 フライング・ラストメッセージ  |  next   
十二月

鐘が鳴る






 中学二年から使っている細いシルエットの、フードのついていない黒いダウンジャケットを着て、田舎(いなか)の夜道を小走りに行く。履き慣らしたトレッキングシューズが、アスファルトを蹴ってごつごつ鳴る。
 田舎の夜は深くて暗い。時間も長い。東京とか、いちばん近い都会だと名古屋とかなら、きっとまだ明るい時間――関係ないか。今日はどこも大賑わいだろう。なんといっても、大晦日(おおみそか)なのだ。あっちこっちの寺とか神社とか、()(くら)饅頭(まんじゅう)状態になって、それでもみんな笑顔でいるんだろうな。
 走る俺の息が白い。ジャケットのポケットに手を突っ込みたくなる寒さだ。やらないけど。
 ポッケに手を入れて歩いてはいけませんよ、なんて、幼稚園の頃の注意が脳裏を(よぎ)る。転んだとき咄嗟(とっさ)に手をつくことができないから、ポケットに手を入れてはいけませんってやつだ。
 大晦日の夜ということで律儀(りちぎ)に晴れてくれた空は、いい具合に明るかった。でも、その代わり星座があまり見えない。
 こんなんほんとに役に立つのかよと思うような間隔で立っている街灯の明かりを頼りにして、静かな夜道をひたすら駆ける。女の子は大変だよな。こんな環境じゃ、絶対外になんか出られないだろう。
 男だから無事を約束されているわけでもないが。
 待ち合わせ場所の公民館前に着くと、ぼんやりとした街灯の下、出入り口の横で既にひとり待っていた。
「まだ少し早いけど、あけましておめでとう」
 ショート丈の黒いコートに黒と灰色のストライプのネックウォーマーをした一色(いっしき)が、笑いながら手を上げた。こいつは、どんなに早い待ち合わせ時間でも、絶対に最初にいる。遅れてきたことなど一度もない。
 一色の服装を見て、俺は大袈裟(おおげさ)に呆れてみせた。
「もう少し色のある服着てこいよ。どこにいるかわかんないじゃん」
穂高(ほだか)だって黒いよ」
 何を言う、俺のマフラーを見ろ。真っ赤だろうが。
佐伯(さえき)谷尾(たにお)は?」
「佐伯はトイレ。さっき急いで走ってきたよ」
「谷尾は?」
 (たず)ねると、一色は笑顔のまま眉尻を下げた。
 まあそうだよな。そんな顔にもなる。谷尾は一色とは正反対で、いつも時間ぎりぎりか、少し遅れてきた。
 自分で言うのもなんだけど、俺はそんなに短気な方じゃない。だから、谷尾みたいな五分や十分程度の遅刻なら腹は立たなかった。直せよとは思うけど。
 そりゃ、分単位で電車やバスがひっきりなしに来てくれる都会なリカバーも利くんだろうけど、ここじゃバスはよくて二時間に一本なのだ。曜日によっては半日に一本。しかも、バス運営会社は赤字続きでやばいことになっている。そうでなくたって、周囲からの信頼度のためにも、遅刻癖はとっとと直しておいた方が本人のためだ。
「ううー。手ぇ洗ったらさぶいよう。おお、穂高おめでとう」
 内側がボアの手袋をはめながら、佐伯がトイレから出てきた。鼻の頭と耳の先が痛そうに赤くなっている。
「『あけまして』つけろよ。俺がなんかめでたいことしたみたいじゃん」
 肩を(すく)めて言ったら、佐伯はにやりとした。すっきりした一重瞼(ひとえまぶた)下弦(かげん)の月に細まって、福笑いみたいだ。
 佐伯はその(まぶた)がコンプレックスらしいのだが、鼻筋が通っていて唇が薄く、(ほほ)のラインもシャープだから、さっぱりした顔をしている。そんなに気にすることはないと思うのだが、本人がコンプレックスにしているのだからフォローは難しい。何を言って褒めたところで、その部分が劇的に変わるわけではないのだ。
「いやさ、前祝いっつーの? 来年インハイ優勝するじゃん」
 この野郎俺が初戦敗退したと思って。
 俺は、ふん、と笑った。
「そらそうよ。全国紙に『隻腕(せきわん)の剣士優勝』ってかっこいい見出しで載るからな。お前らちゃんと切り抜いて保存しろよ」
「まず井名里(いなり)に勝てるようにならなきゃなー」
 後ろから声がして、俺はふり返った。
 ニット帽をかぶり、ファーのついたフードのジャケット姿の谷尾が、手袋もしていない手をひらひらさせていた。
「少し早いけど、あけましておめでとう」
 俺に言ったのと同じ台詞(せりふ)を、一色が言う。そういやこいつ一体いつから待ってたんだろう。こんな寒い中一番乗りでずっと待っていて、それでも怒りのひとつも湧いてこないってすごいな。
「遅い谷尾。もっと早く来いよ。トイレすげー寒かったよ」
 遅いのは同意するが、トイレは言いがかりだ。一色がくすくす笑っている。
「泣き叫ぶ(めい)っ子をふり切って走ってきたんだぞ。大目に見ろよぉ」
「いいお兄ちゃんしてるんだね」
「まあなー我ながら。叔父(おじ)さんって呼ばれる予定で楽しみにしてたのに、気づいたらあいつ、(しん)ちゃんって呼んでるよ」
 時間に厳しい佐伯が顔も厳しくさせる。
「一色、甘やかすなよ。こういうときはがつんと叱らなきゃだめなんだ」
 きゃあ怖い、とふざけて笑い、谷尾は一色の背中に隠れた。
「寒いからさ、早く行こう。そんで豚汁食って甘酒飲もう。あと汁粉(しるこ)
「その台詞をいちばん最後に来たお前が言うの? 一色に土下座しろ」
 佐伯が思いっきり眉根を寄せて言うのに、谷尾は()りていない。へへへ、と笑っている顔を見ればわかる。全然反省していない。
「とりあえず無事(そろ)ったし、行くかあ」
 やっぱり反省していない。とりあえず揃ったも何も、お前が最後に来たんだよ。その台詞は一色のもんだろうが。
 頬が(しび)れるような寒風を受けながら、男ばっかり四人で、俺たちは神社に向かった。見上げると、やっとちらりちらりと星座が(こぼ)れはじめている。
「さっきのイナリとかいうやつ、強いの?」
 佐伯に()かれ、俺は(うな)ってから肯定した。実は、小学生の頃から一度も勝ったことがない。
「すげー強い。高台(たかだい)のやつなんだけどさ、籠手(こて)がえげつないの。取られるっていうより、なんか、盗まれるって感じで。あと延長負け知らずみたいなとこある」
「体力あるんだなー。あと集中力か」
 弓道をやっている佐伯はなんとなくわかるのかもしれない。剣道とか弓道とか、運動神経より集中力の方がずっと大切だ。
 俺は首を傾げた。
「それもそうなんだろうけど、なんつーか、こう……」
(ねば)り強い?」
「それ」
 一色がぴったりの言葉をくれて、俺は(うなず)いた。
 やっぱり、こういう話をしている方がいい。あとはサッカーJ1J2とか、野球のペナントとかWBCとか。あんまり詳しくないけど、そっちの方がいい。
 女の子の話題は苦手だった。
 友だちの中には、いわゆる童貞やめましたってやつもいないわけじゃないけど。そりゃ俺だってお年頃なわけだし、興味がないとは言わないけど。そういう話だって普通に聞くけど。
 恋ってやつが、俺にはよくわからなかった。
 かわいいとか美人とか、そういうのはわかる。たとえば一色と仲のいい女の子に、柘植(つげ)ちゃんがいるんだけど、彼女はかわいい。美少女っていうんじゃないけど、いつもにこにこしているところとか、素直なところとか、すごくかわいい。
 美少女っていうなら、名瀬(なせ)さんと宇佐美(うさみ)だ。同じクラスの宇佐美伊織(いおり)の美少女ぶりはものすごい。漫画かよってレベルで、毛先が自然に緩く波打ってる長い髪とか、(まつげ)の長いぱっちりした猫みたいな瞳とか、触ったことなんかもちろんないけど、やわらかそうな、すべすべの白い肌とか。
 性格にちょっと騒々(そうぞう)しいところがあるけど、外見だけなら人形みたいな女の子だ。
 宇佐美の対極に位置しているのが名瀬さんで、なんていうか、呼び捨てにできない。本人が寡黙(かもく)な、お近づきになりにくい性格だっていうのもある。彼女は長い真っ直ぐな黒髪の、凛々(りり)しい美人だ。
 遠くから眺めるのすら申し訳なくなるくらいだから、とにかく美人という印象ばかりが強く、パーツはあまり覚えていない。実際、クラスも違うし、顔のパーツの確認ができるほど近くに行ったことはなかった。
 俺は今のところ、恋をしたことがない。だから、その手の話をされると困った。どう反応するのがいいのか、わからないのだ。
 十一月 フライング・ラストメッセージ  |  next



 index