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 ――明るいのに、なんで困ってる気がするんだろうな。
 一色が佐伯の背中に向かい、やさしい声で応援する。
「階段上りきったら豚汁と甘酒とお汁粉が待ってるよ。がんばろう」
「う、う」
 うん。
 佐伯は震えながら頷いた。
 ことんことんと靴底が鳴る。
 階段の両脇には雑木林が広がっていて、いつもなら真っ暗だけど、今日ばかりは石灯籠(いしどうろう)(あか)りが入っていた。さすがに本物の蝋燭(ろうそく)じゃないものの、あたたかい色の光にほっとする。
 ざわざわと葉擦れが聞こえ、またふたり、どこかの誰かとすれ違った。新年の挨拶を微笑とともに交わして、上を目指す。
 風向きが変わった。
「鐘の音だ」
 空を見上げて一色が言った。
「おお、ほんとだ。結構はっきり聞こえる。何回目だろ。ほら佐伯、除夜の鐘!」
「うう」
 谷尾が佐伯の分厚(ぶあつ)いジャケットの腕を引いてはしゃいだ声を上げるが、佐伯はやはり凍りついている。
 ごおん――
 ごおん――
 ゆっくり、耳に残る震動が長く尾を引く。
「一年終わるなあ」
 清々しい夜空を見上げて、白い息を吐いて、手の冷たさなんかものともしない谷尾が晴れ晴れとした声で言った。
 階段の途中で止まったまま、一色がくすぐったそうに笑う。
「すごい一年だったよ」
「なんかあったの?」
「人生が変わった」
 ――一色。
 なあ、一色。
「すごいじゃん。何があったの?」
「秘密」
 そんなふうに笑うなよ。
 お前、今、絶対柘植ちゃんのこと考えてるだろ。
 ――好きだって言えよ。
 弘君を好きだって言えよ、一色。
 恋なんだって言えよ。
 そうじゃなきゃ、
 ――そうじゃなきゃ、誰よりお前が(むく)われないじゃないか。
「さぶい、さぶい」
「おう悪い。鐘の音聞きながら上ろう。なんかいいことありそうだよな」
「穂高、行こう。佐伯が凍死しそうだよ」
「……おう」
 俺もいつか、誰かに恋することがあるんだろうか。
 そのとき俺は、一色みたいな顔をして笑うんだろうか。
 あんな声で、恋しい愛おしいひとを呼ぶんだろうか。
 なんだか少し怖かった。
「なあ、一色」
「うん?」
 とっ、とんっ、と、階段を飛ばして一色の隣に並んだ。
 きれいな顔してるよなあ。
 ()(もの)が落ちた顔だ。
「お前ってさ、いちばんふり払いたい煩悩(ぼんのう)って何?」
 恋とか愛とか、煩悩だよな。
 一色はきょとんとした。それから、中性的な面差(おもざ)しの睫を伏せ、忍びやかに、(ひそ)やかにすっと微笑した。
 俺は言葉がなくなった。
 数段上から、「さぶい、うう、さぶい」という慣れ親しんだ呻き声が聞こえた。





END.
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