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「今までの話とどう関係が」
「あるさ。彼方、話には順序が大切なんだよ。永遠とかいきなり持ち出されるより、客観主観の方が身近だし、わかりやすいだろう」
「変わんないよ」
 この際その突っ込みは無視することにする。
「永遠とか時間とか……心もそうだね。それらにはかたちはなくて、朝顔を観察するみたいにはいかないだろう? そういう意味ではとても危うい存在なのに、それでも、存在するか否かって言ったら、答えはやっぱり、存在する、なんだよ。認識されている証拠だね。認識っていうのは、かたちがなくても成される場合があるんだな」
「永遠はともかく、時間は時計の文字盤の上を動くかたちを与えられてるし、心の動きは表情とか声色とかに出るよ。それってかたちがあるってことには――できないか。できないね。自分で言っといてなんだけど、苦しすぎるね。駄目だ。忘れて」
「パラダイムの転換かい? ――うん、できないこともない……かもしれないけど……」
 僕はふと外に視線を投じた。
 彼方の解答は聞いていておもしろい。彼女と話すのは楽しい。その一方で、言葉がなくてもいいときもあった。僕たちの間には、空気の振動すら必要のないときが確かにある。
 彼方はまたノートを開いた。(まと)っている空気が軽い。彼女の機嫌は(すこぶ)るいいらしかった。
 私はね、と切り出す。
「永遠って、ずっと変わらずにあるものじゃなくて、ずっと続いていくことなんじゃないかなあと思う」
 私はそう思う。
 そんなふうに見上げてきた彼方の眼と、僕の眼が、合った。
 僕はいつものように微笑する。
 彼方も少しはにかんだような笑みを見せる。
 図書館の中では、夏の暑さも遠かった。
 僕らはもう、お互いがお互いでなくては駄目なのだと、とうの昔に気づいていた。
 それなのに、誰よりも近くにいたという事実が僕たちを雁字搦(がんじがら)めにしていた。あまりにも近くにいすぎて、どうしたらいいのかわからなくなっていた。
 言葉にすればこれまでの関係が崩れるのではないか、という懸念(けねん)ではない。ただ、この気持ちは、好きだとか愛しているという音では伝わらない気がしていた。
 そんなものではないのだ。
 そんなものではない。
 それらの言葉は、僕の心の深くに流れるものを(かす)りもしない。上滑(うわすべ)りに滑って、本質を何も(とら)えてはくれない。
 この関係に明確な名前がついていないことにも、僕の小さな苦しみがあった。僕と彼方の関係、ただの幼馴染みというには深すぎる、涙すら分かち合う、互いが重なり合うようなこの関係には、一体どんな名前を与えればいいのだろう。
 もどかしい。
 苦しい。
 想いだけが、静かに溢れてくる。両手で(すく)って届けたいのに、僕の手を広げただけでは、溢れる速度にちっとも追いつかないのだ。
 ……苦しい。
「あ」
「ん?」
「柘植くんだ」
 顔を上げる。ふり向くと、柘植が図書館に入ってくるところだった。道着に(はかま)姿、タオルを持っている。僕らの姿を認めると、ほっと安堵したように顔を(ほころ)ばせた。向日葵(ひまわり)みたいな笑顔だった。
「やっぱり。よかった、ここにいたなあ」
「どうしたの?」
 額に汗が光っている。それを手にした青いタオルで拭きながら、柘植は人懐っこく僕たちの傍まで寄ってきた。
「一奈さん、山本先生が呼んでたぞ。部活のことでどうとか」
 彼方に用があったらしい。柘植からの言伝(ことづて)を受けると、彼方は思いっきり顔を(しか)めた。
「ええー。どうせ何か、原稿を書けとか、文芸部らしくしろとか、そういうことでしょ」
 彼方は文芸部に所属している。といっても名前だけの幽霊部員だ。もっとも、文芸部自体が来年は同好会に格下げだろうと囁かれている弱小部なのだが。
 彼方が唇を尖らせても、柘植はどこ吹く風でさらりと受け流してしまう。
「さあ? 俺は伝言を預かっただけだから。職員室にいるって言ってたから、行っといで」
 行ってこい、ではないところが柘植らしいなと思って、僕はひっそりと笑ってしまう。彼方はぷう、と頬をふくらませた。面倒くさいのだ。それでも柘植に額を小突かれると、渋々(しぶしぶ)立ち上がった。
「しょうがないか。じゃあ、ちょっと行ってくる」
「うん」
「有栖川、先に帰っちゃ駄目だよ。ちゃんと待っててね」
「わかってるよ」
 僕が首肯(しゅこう)すると、彼方は確認して図書館を出ていった。その背中を見送っていると、柘植が、さっきまで彼方が座っていた僕の向かい側に腰を下ろす。
 ああ、どっこいしょっと。
「……じいさんじゃないんだから」
「疲れたんだ」
「部活?」
 そうそう、と柘植は愛想よく答える。
「終わったところでさ、弓道場の外で水飲んでたら、山本先生に会ったんだ。で、柘植くん、一奈さんと仲いいでしょうとかなんとか言いながら伝言を頼まれて。有栖川、夏休みは大抵ひとりか一奈さんと一緒に図書館にいるだろ。でも昼もそろそろ過ぎるし、着替えてるうちに帰られたら面倒だしで、着替える前に走ってきたんだ」
「お疲れさま」
「ほんとだよ。暑かった」
 素直な反応に笑う。柘植は手をひらひらさせて自分を扇いだ。道着の白さや、汗の残る日に焼けた筋っぽい首筋が、如何(いか)にも少年らしかった。
「で、有栖川たちは? どうせまーた小難しいこと話してたんだろうけど」
 悪戯(いたずら)っぽく尋ねてきた。僕は正直に首を縦に振った。
「不確定性原理とか、客観と主観とか、そんなところかな」
「フカク? なんだそれ」
「観測するという行為自体が対象に影響を与える、正しい観測結果は観測しない状態でしか得られないっていうもの。ああ、言い切ると語弊(ごへい)があるからよくないな。つまり」
「いや、いいよ。初心者向けに簡単に言うとそんなところなんだな」
「そうと言えなくもない」
 手を翳して僕の言葉を遮り、柘植はしかつめらしく頷いた。それから、有栖川たちはいっつもそんな話してるんだなあ、としみじみ笑う。
「僕と君だって、そんなに変わらないじゃないか」
「それもそうかなあ」
 言い返すと、柘植は少し間抜けに相好(そうごう)を崩す。その笑顔を懐かしく思った。目の前に柘植はいるというのに。
 柘植の明るさはあまりにも突き抜けすぎていて、時折遠く感じられた。強すぎる陽射しに目がくらむように、この身が清められる思いがするみたいに、彼の存在はさっぱりとして暗く(よど)むところがない。
「ねえ、柘植。君は永遠をどう見る?」
「…………は?」
 何を言われたのかわからないという間と、聞き間違いだろうかという気持ちのあからさまな応答だった。
「だから。永遠をどう見る? 永遠とは何か、君は如何(いか)な定義でもって永遠を(とら)えているのかと訊いているんだ」
「……ああ、そういうことか」
「わかってくれたかい? よかった」
「お前、大丈夫か?」
 心配そうに身を乗り出して、まじまじと僕を見つめる。その様子があまりにも真剣だったので、僕は、失礼な、と言いながら笑った。
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