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「柘植くんはなんでそんなに有栖川のことわかるの?」
 尋ねると、彼は再度朗らかに笑った。
「一奈さんほどじゃないよ」
 はぐらかした、と思った。
 柘植くんは本当に、自分の本心を他人に無防備に触れさせることをしない。
 思って、気づいた。――正しくは、思い出した。
 有栖川に似ているのだ、柘植くんは。
「きれいだなあ」
「え?」
「桜」
 柘植くんが指差した方を見る。私たちの座っているベンチの真ん前は小さな池で、そのちょうど上に傘を差しかけるように咲いた桜が、水面(みなも)にちらちらと花びらを落としていた。空の青を映して透明な青色に染まった池に、薄紅色の桜が舞い落ち、ひらりと浮く。しんと波紋が広がる。
「私の、有栖川のイメージ」
 呟くように言った。
「こんな感じ。晴れた日に湖にひらひら落ちていく桜の花びら、或いはそれが落ちた際の波紋」
「きれいだね」
 柘植くんは応えた。
「寂しいでしょう」
 私は返した。
「うん。きれいだけど、哀しい光景ではあるかもしれない」
 ああ、やっぱり、あなたは有栖川に似てる。
 隣の柘植くんの気配が、驚くほど有栖川に近くなっていった。綺麗だけれど哀しい、ふたりでいるのに孤独なあの感じ。柘植くんが有栖川と違うところは、私と彼の間にあるものがすべて、まるで流れていくようだということ。滞ることを知らずに、さらさらと流れていくようだということ。有栖川が水なら、柘植くんは流れそのものだ。有栖川との時間が、ゆっくりと音もなく雪のように降り積もっていくのに対して、柘植くんとの時間は綺麗な音を微かに奏でながら流れていく。
 このふたりは、抱いている孤独が似ているのかもしれない。似て非なるものだけれど、とても近い。だからこんなにも、離れていてなお、ふたりは深い交流を持っている。
「私、柘植くんのこと好きよ」
 柘植くんはあたたかく笑ってくれた。
 それからまたしばらくの間、桜を眺めた。咲いている桜は絢爛(けんらん)(あで)やかな華やかさを持っているけれど、散る花びらはひっそりと哀しい。……私の、有栖川のイメージ。
 夕焼けが私の頬を赤く照らす頃、私はようやく帰る気になった。付き合ってくれていた柘植くんも、よっこいせと腰を上げる。
「じゃあね」
「おう。送ってこうか?」
「ううん。すぐそこだからいい。まだ明るいし。柘植くん、いい歯医者さんになってね」
 まかしとけ、と柘植くんは笑って手を振った。私も笑って(きびす)を返した。次に柘植くんに会うのはいつのことかしら、と思いながら。
 私がのんびりと数歩歩いたところで、
「一奈さん」
 と呼び止められた。ふり向くと、柘植くんは背中を向けたままだった。「なあに」と訊き返すと、柘植くんは珍しく、うん、と言って黙る。逡巡(しゅんじゅん)が空気を伝わってきた。それから、
「俺が」
 と言って、やっと私の方をふり向いた。夕焼けの中で、彼は悪戯っぽく笑っていた。
「俺がずっと一奈さんのこと好きだったって、知ってた?」
 目の前が弾けた。
 狭い部屋に閉じ込められていたのに、突然草原の広がる、天井も壁もないところへ放り出されたような感覚だった。とても開かれた――何もかもが自由だった。
 何かが、すっと()に落ちていくのを感じた。ばらばらになった欠片(かけら)が、音を立ててもとのかたちに戻っていくような。
 私も笑った。
「うん。知ってたよ」
 愛おしい。
 とても愛おしいと感じた。
 私も、柘植くんを大好きだった、ずっと前から。
「でも、私も柘植くんも、お互いよりも有栖川を好きだったよね」
 柘植くんは声を立てて笑った。明るい、(かげ)りのない笑顔。それからもう一度手を振って、今度は止まらずに歩いていった。私はその後ろ姿を見送りながら、恋がひとつ終わった、と感じた。恋とは呼ばれなくても、これは、この瞬間だけは、確かにひとつの恋だった。
「ばいばい」
 声に出して言ってみた。柘植くんの後ろ姿は夕焼けのオレンジに染まって、景色に溶け込んで見えた。
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