back  |  next   

ラヴレター






 有栖川(ありすがわ)

 ずいぶんと長いこと、あなたと会っていない気がします。
 有栖川、元気ですか? ちゃんと怠けずにごはんを作って、栄養にも気をつけて、毎日三食食べていますか?
 ……なんて、お医者さんを目指す有栖川にこんなことを訊くのはちょっと野暮だよね? 紺屋(こうや)白袴(しろばかま)とか医者の不養生とかいうけど、命の尊さを説き、健康を守っていくお医者さんが自分の身体を大事にできないなんて、それはやっぱりとてもいけないこと――うん、してはいけないことだと思うの。ひとを大切にするなら、同じくらい自分も大切にしてあげなきゃいけないと思う。
 だから有栖川、自分を大切にしてね。
 絶対に、ぜったいぜったい、乱暴に扱ったりしないで。
 有栖川はフィジカル・メンタルの区別なく、ひとの哀しさや苦しみを敏感に感じ取って、細やかに気を遣うけれど、自分のことになるとすぐに我慢してしまうから、とても心配です。
 有栖川はやさしいから、有栖川はしっかりしていて、自分でなんでも片付けてしまおうとして、しかもそれを他人に気取らせることなくやってのけてしまって、私は有栖川のそういう部分を知っているから、心配です。
 ついこの間、この前、どうしてもって私がわがままを言って、東京まで行って、お泊まりさせてもらったでしょう?
 そのときに、気づいたの。有栖川がどんなに静かなひとなのか。
 私と有栖川。
 二歳のときからずーっといっしょ。
 それなのに、おかしい。私、有栖川のこと、全然知らないと思った。
 そうしたら、すごく哀しくなった。
 知らないことが哀しいんじゃない。そうじゃなくて、有栖川は私をわかってくれていて、たくさんの哀しいことや痛いことから私を守ってくれていたのに、私は有栖川を守ってあげるどころか、守られていることにすら気がつかなかった。
 哀しかった。
 すごく哀しかった。
 電話よりもずっと哀しい。
 有栖川、今はどう? 学校は楽しい? お勉強は難しい? ごはんはおいしい? お友達は出来た? お天気はいい? 洗濯物はたまっていない? アップルパイの作り方、まだちゃんと覚えている? 忘れないでね。私、どんなお店のアップルパイよりも、有栖川が作ってくれるアップルパイがいちばん好きなの。
 夜はちゃんと眠れる?
 ひとりぼっちが寂しくて眠れないなんていうこと、ない?
 有栖川のアパートがどんなところだったか、まだそんなに時間は経っていないはずなのに、あんまり覚えていない。玄関と、あと、ごはんを食べたテーブルの色と、有栖川の黒い鞄と、分厚い本と、あ、あと辞書もあったな。うん。それくらいだ。それからベッドね。黒いスチールパイプのベッドだったような気がする。窓際にくっつけてあった。私は壁側、有栖川は部屋側になって、一緒に寝た。
 おんなじお布団で眠るのなんて、そういえばすっごく久しぶりだった。
 私たちがまだまだずっと小さな頃、私と有栖川は双子みたいに向かい合って、幸福な小鳥みたいに丸くなってよく一緒のベッドで寝てた。
 でも、大きくなるにつれて、同じ部屋で寝ても、同じお布団で寝るってあんまりしなくなったよね。一緒に眠るには私たちの手足はあんまりにも伸びすぎていて、小さなお布団では上手に収まりきらなかったから。
 実際、あの夜もすごくキュウクツだった。私は背中を壁にぴったりつけて、有栖川に腕枕をしてもらって。有栖川ひとりならきっととてもゆったり寝られるはずのベッドに、ほんとうにぎゅうぎゅうになって寝た。夜、何回も目が合った。そのたびにくすくす笑った。なんだか小さな子どもに戻っちゃったみたいに思った。とても狭くて、お互いの呼吸のリズムの違いがすごくよくわかった。私は「有栖川の呼吸のリズムが聞こえるせいで、自分のリズムがわからなくなって息苦しい」って文句を言った。そしたら有栖川が「ヒツジを数えるといいよ」って言った。本気にしてヒツジを数えたら、思いっきり笑われてなんなんだか妙にくやしい気持ちになった。忘れてないよ。有栖川は時々、私をからかって遊ぶよね。有栖川は私の嘘やなんかにはひっかからないのに、私はいっつもひっかけられる。
 朝、目が覚めてから、ほっぺたくらいつねってやればよかったと思って、ちょっと後悔した。今度会ったらつねることにするね。避けずにおとなしくつねられてください。
 だけど、有栖川がなんの不安もなく、何に怯えることもなく、次の朝の色を夢見ながらそっと眠れる夜を、私はずっと祈っているの。
 これは本当。
 祈るって、どうしたらいいか、本当はよくわからない。
 でも、私の精一杯で、有栖川のことを想う。薄紫色の空にひとつ、一番星を見つけるたびに、「有栖川が幸福な眠りにつけますように」ってお願いする。星が見えないほど月がきれいな夜には、その金色のお月さまに、「有栖川のまぶたにお陽さまのキスが降りますように」ってお願いする。
 有栖川が心配です。
 またひとりぼっちになってしまっているんじゃないかと思って、すごく心配です。
 北極星に私のおやすみのキスを預けておくから、眠る前に窓を開けて、北極星を探して。夜はとてもやさしいものだとわかるから。怖くないよ。大丈夫。有栖川はひとりぼっちじゃないよ。周りに誰もいなくなっても、私だけは絶対にあなたのとなりにいる。忘れないでね。私のことを忘れないで。

 彼方(かなた)より





 有栖川へ

 ついこの間、柘植(つげ)くんに会いました。
 うーん、前の手紙を書いてから、本当にすぐあとのことだったと思う。
 柘植くんは相変わらず、柘植くんでした。
 柘植くんが言っていた、ひとり卒業旅行のお話も聞かせてもらった。学校生活のことなんかもちらちらっと聞いた。有栖川と柘植くんは、どうしてるの? 手紙とか電話とかメールとかしてるの? なんだかあんまり想像できない。そんなものを使わなくても、柘植くんと有栖川は繋がっていられそうだし、ふたりの関係はそういうのとはちょっと違う気がする。
 で、柘植くんは、柘植くんでした。
 私はじめて気づいた。私はずっと、柘植くんを好きだったみたいです。
 きっと有栖川が柘植くんを好きなのと同じように、多分きっととても近い感情で、有栖川みたいに、でも私のオリジナルで、なんの干渉も受けず、私は彼を好きみたいです。
 柘植くんのいかにも男の子っぽい腕とか、道着を着た白い広い背中とか、濃い茶色のやわらかそうな髪の毛とか、意外に長い(やっぱり茶色の)(まつげ)とか。よく通る穏やかな声とか。
 一緒に学校に通っているときにはなんでもなかったそれらのことが、今、ものすごく鮮明に私の脳裏に蘇る。すごくはっきり思い出せる。ちょっとすごいことだよね。私は無意識に、柘植くんをじっと見ていたみたい。
 それでね、わかる? 有栖川。覚えてる? 気づいてた?
 柘植くんは私たちの歴史を何も知らなかったんだよ。
 それなのに、柘植くんは私たちの中で自然に居た。
 まるではじめからそこにいたみたいに、それがもうずっと昔から決められていたことみたいに、柘植くんは私の隣に、有栖川の隣にいた。
 柘植くんのことを考えていると、ほんの少し、泣けてきます。
 有栖川を思い出すから。
 有栖川はどう思っているのかなあ。
 私はね、有栖川と柘植くんって、すごく遠いけど、でも似てるって思う。思った。
 私の中で、有栖川は雪。漆黒の夜。銀色の涙みたいな星の降る夜。睫に宿った(しずく)まで凍りついて真珠になりそうな冬の夜。星と一緒に踊りながら舞う雪。それは静かに、なんの音もなく、しんしんと静かに降り積もっていくの。
対して柘植くんは、流れ。
 これを説明するのってちょっと難しい。
 有栖川を水だとするとね、柘植くんは流れなの。水じゃなく、『流れ』そのものなの。在るとわかるのに手に掴むことは決して叶わないというか。柘植くんはいつもとても静かです。有栖川と種類は違うけど、とても静かなひとみたいです。
 とにかく、そう、柘植くんは流れていく。流れている。
 きっと柘植くんは何ものにも固執することなく、あらゆるものを包括(ほうかつ)しながら(とら)われることなく、さらさらときれいなまま流れていくんだろうな。
 柘植くんはいつ会っても、とてもきれいなの。圧倒的に突き抜けていて、きっと誰も彼に傷をつけたり、ねじ曲げたりすることは出来ない。柘植くんは強い。世界を支える大樹みたいに。あったかい。お陽さまみたいに。
 それでやっぱり、どこか少し有栖川に似ているの。
 外から見ているぶんには、ふたりとも正反対のタイプに見えるけど、内側はすごく深い深――いところが繋がっているみたいな感じがする。二本の川が一本に繋がる、ちょうどその交差点みたいな感じです。
 back  |  next



 index