back  |  next   
 最後の便箋に書いてあったものを覚えていますか?
 有栖川の、産みのお母さんの連絡先です。
 私は、はっきり覚えています。住所と電話番号が書いてありました。私は、柘植くんと一緒に有栖川の手もとを覗き込んでいました。そして、一瞬、ほんとうにほんとうの一瞬しか見ていないのに、なぜかその連絡先は、お饅頭(まんじゅう)に焼印を入れるような強烈な熱さで、私の頭に焼きつけられました。今でも暗唱できます。
 私の記憶力は特別いいわけでもないし、けなされるほど悪いわけでもありません。それなのに、たった一瞬覗き見ただけの文字の羅列をここまで完璧にはっきりと記憶できたということは、何か特別な意味があるのだろうと思いました。空に舞い上がる灰と、空に上っていく煤色の煙を見ながら、庭先の木々を見ながら、寒い空の水色を見ながら、そう思いました。
 だから、有栖川に内緒で、有栖川の産みのお母さんに会いに行きました。
 有栖川のことなのに、有栖川にとってとても大切なことなのに、なんの相談もせずに、勝手にしてごめんなさい。
 有栖川が大学に合格して、東京に発ってすぐの春先に、私は自分でもよくわからない衝動に突き動かされて、無理なわがままを言って、有栖川のアパートを訪れました。有栖川に、有栖川のお家に住むことを許してもらって、久しぶりに一緒のベッドで眠って、帰りました。
 ベッドの中で、私はお母さんというものを考えていました。
 有栖川は、こうして『お母さん』と眠った記憶はないのかしら、と考えていました。
 翌日の始発で有栖川と別れて、その車中で有栖川の産みのお母さんにお電話をしました。お会いしたいんですけど、と言ったら快諾してくださったので、そのまま会いに行きました。
 有栖川。
 お母さんは、有栖川を覚えていたよ。
 建て替えたばかりの、かわいい小さな洋館みたいなところに住んでいて、私がチャイムを押して、「お電話差し上げた一奈(たかな)です」って言ったら、お家の中から走って出てきて(当たり前のことだけど、見たわけじゃない。でも、ばたばたすごい音が聞こえたし、ごん、ていうどこかにぶつけた音まで聞こえたから、きっと大慌てで出てきたんだと思う)、私がご挨拶するより早く私を抱き締めて、泣きました。
 ケーキみたいなふわふわした甘い匂いがしました。干したばかりの毛布みたいにふわふわしたさわり心地でした。ふわふわふわふわしたひとでした。あたたかいやわらかいひとでした。
 有栖川にちょっと似ていました。
 寂しいきれいな目をしていました。
 有栖川を、覚えていました。
 泣くほど覚えていました。
 私はさんざん迷ったんだけど、どうせ会いに来たんだから、会ってしまったんだから、思うところのものすべて吐き出してしまおうと決めていろんなことを尋ねました。
 有栖川は、「もし産みのお母さんが目の前に現れても、自分を産んだという女性としてしか認識できないだろうと思うし、家族はおじいさんだけというのが自然だし、会いたい気持ちはない」と言っていたから、産みのお母さんの名前だとか、今何をしているのかとか、そういうことは書かないでおきます。もし知りたいと思ったら、お手紙にその旨記載するか、真夜中の三時でも構わないから、電話してください。
 有栖川のお母さん(これ以降「お母さん」と書きます)は、有栖川のお父さんを嫌いになって出ていったわけではないそうです。おじいさんとの折り合いが悪かったわけでもないそうです。『家族』は仲がよくて、自分の赤ちゃん、有栖川のことは本当にかわいくて、愛おしかったそうです。
 お母さんは、
「あのひと(有栖川のお父さん)をとても好きだった。とても恋してた。だから、赤ちゃんが出来たときは本当に嬉しかったの。神様が私たちを祝福してくれている、世界は私たちを歓迎してくれているって思った。あのとき私は、きっと世界中の誰よりも幸福だった。自分のおなかの中に宝物が、どんな宝石よりも尊くて美しい宝物があるって思ったの。だから、お義父さまが有珠(ありす)という名前をつけてださったとき、本当に嬉しかった。その名前以上にこの宝物を表し得る名前なんてないと思った。妊娠してからも、出産してからもずっと、ずっと私は幸福だった」
 お母さんはほんとうに大切そうに言っていました。そっと自分のおなかに手を当てて、そっとそっと撫でていました。
 私も触っていいですか、と訊いたら、笑って「いいよ」と言ってくれたので、私は、ずっと前に有栖川が入っていた宝箱にさわりました。「今はぺたんこだけど、前はすっごく大きかったのよ。ぱんぱんに張った水風船みたいだったの」と言っていました。
 お母さんのおなかは、確かにぺたんこでした。でも、この中に有栖川がいたのだと思うと、とても不思議で、とても大切なもののように思いました。言葉では到底表現できない、きらきらした……そう、まるで奇跡みたいに思いました。
 お母さんのおなかはあたたかく、静かに呼吸していました。
 ああ、この中に有栖川がいたんだなあ、と思いました。
 ああ、この中に生命があったんだなあ、と思いました。
 お母さんは、自分の体で、自分自身の生命で有珠という生命を守っていたんだなあ、と思いました。
 そうしたら不意に涙があふれて、止まらなくなりました。
 なんて尊いのだろう、と思って。どうしてこんな奇跡が起こり得るんだろう。人間は――人間だけじゃない、どんな生命も、種族維持本能という言葉で表してしまえばそれまでだけど、新しい命が、命によって生み出されていく、繋がっていく、ずっとずっと途切れることなく続いていく。
 これは永遠ですか?
「信じてもらえないかもしれないけど、私には見えたの。あのひと、有珠のお父さんね、彼が、有珠を抱き上げているとき。その様子を、お義父さまが幸福そうに眺めているとき。私は、これはもう完結しているって思った。有珠は確かに私が産んだ子どもで、その風景の中に微笑む私がいることはきっと自然なのに、でも、その風景はそれで完成してしまっていた。そして私にはそれがわかってしまった。確かに私にとって喧騒の中で生きていくことはとても困難だったし、苦しいことだった。病院に通うほど。でも、私があのひとと有珠から離れたのは、決して嫌悪や憎悪が理由ではないの。誰よりも有珠の近くにいて当然の立場にいるはずの私がいないのに、有珠たちの世界は完成されてしまっていた。これはもう完結している、何かがそう定めているんだわって思った。あのときの想いを、感覚をなんて言い表したらいいのかわからない。でもね、私がいないまま完成されている完璧な世界が確かに見えたんだもの、(おか)していいはずがなかった」
「でも、有珠がいる、遠く離れていても、私には私が産んだ息子がいるって思うことで、その事実があるっていうだけで、私はしあわせになれるの。強く在れる。有珠に、勝手なことを言うな、母親顔するなって言われても仕方ない。私はあの子に対して、そう(そし)られても仕方のないことをした。本当、自分勝手で自己中心的な想いだけど、でも、私には有珠っていう息子がいるって思ってる。多分――会うことはないと思うけど、私は有珠の母親で、有珠を心から愛してるって言える。その気持ちだけはどんなことがあっても絶対に消えない」
 有栖川のお母さんは、有栖川をとても愛してました。遠く離れていても、会えなくても、有栖川のお母さんは、『有栖川のお母さん』であることを忘れていなかったよ。
 上手く言葉にできない。
 ただ、もう、どうしようもなく涙がこぼれた。
 お母さんは確かにお母さんだった。お母さんはためらうことなく「愛してる」って言った。そのとき、なぜか私は、神様はいるって思った。目に見えることはないけど、ひととひとはどんなふうにか、繋がっている。生まれてからずっと天涯孤独でも、それが生き物の真実だとしても、糸はある。
 誰かは誰かときっと繋がっている。ひとりひとりは孤独でも、ひとりぼっちではないんじゃないかしら、と思いました。そして、そうだったらいいな、どうかそうでありますようにと思いました。
 もしもそれがほんとうなら、有栖川だってひとりぼっちじゃないから。

 彼方より





 有栖川へ

 すごく、伝えたい気持ちがあります。
 とても、大切な気持ちがあります。
 でも、私はその気持ちを言葉にして、胸に思って、口に出すことができない。
 すごく伝えたいから、とても大切な気持ちだから、有栖川に伝えたいのに。どんな言葉を使ったらいいのかわかりません。気持ちがあんまり大きすぎるとき、言葉はあまり役に立たないみたい。それともただ語彙(ごい)の量に問題があるのかな? どちらにしろ、私は、私がずっとずっと長い間、大切に大切に心にしまっていた――というよりも、気がついたら心の中にあって、心の真ん中にあって――いつも当たり前のように中心にあったから、自分でも気づかないほどその気持ちが私の中にあるのは自然だったから、ずっと意識することさえしなかった気持ちがあります。
 有栖川の中にもそういう気持ちがあるのを知っています。哀しいくらい。
 どうしたらいいんだろう。どうしたら、この気持ちを有栖川に伝えられるだろう。最近、そんなことばかりを考えます。
 大切だから。
 これはきっと、有栖川に伝えなければいけない気持ちなのだろうと思います。
 でも、音にすることができない。文字に表すこともできない。
 どう言ったらいいかな。
 強いて言葉にしてたとえてみると、その気持ちは、透明です。
 透明だから目には見えない。
 その気持ちは、水の流れそのもの、風の流れそのもの、あるとわかってはいても、手にすることが決して叶わない『流れ』そのもの。
 だから触れられない。
 とても、もどかしいです。
 その気持ちは自分のものなのに、自分でコントロールすることができない。どんな表現方法を検索してみても、それを的確に表し得るものが見つかりません。
 柘植くんは流れみたいって言ったけれど、それとは全然違う。この想いを想うとき、私の中からは柘植くんが消えてしまいます。彼を大好きな気持ちはほんとうなのに、流れみたいだとも思うのに、この気持ちを抱くときだけ、私は彼から遠ざかる。
 私は言葉を(つむ)いでいくことを仕事にしているけれど、今まで一度だってこんなふうに悩んだことはありませんでした。言葉はすべてを表し得ると思ってた。言葉はすべてを表すためにあるのだと思ってた。
 でも、だめです。
 だめみたいです。
 全然思いつかないの。どんな言葉も、自分の中にある本当の意味の近似値でしかないのだと思い知りました。
 だから、これから『書く』数行に、私の気持ちをどうか見つけ出して。有栖川なら、それができると思うから。有栖川だけがそれを為すと思うから。










 こころときもちはどう違うんだろう。どう違っていたのか、以前はわかっていたような気がするのに、考えれば考えるほどわからなくなってきてしまいました。
 でも、そんなに難しく考えることではないのかもしれない。
 簡単にしてもいいのかも。
 それなら私にもできます。

 彼方より
 back  |  next



 index