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 有栖川へ

 きっと有栖川は、もうとっくに、私が手紙にこめた秘密がどんなものなのか気がついているだろうと思います。
 そう思うと、顔から火が出そうなくらい恥ずかしいです。
 ただ口で言うだけなら簡単なのに。小さな頃から何度も言っているのに、とても恥ずかしいと照れてしまいます。
 多分、それは、この言葉が持つ意味が違うからです。
 幼い頃の約束や、挨拶として交わされた一言、それらのものとは完全に意味を異にしているから、きっとこんなに大切に思ってしまう。大切だから、そのぶん重さを感じてしまうんじゃないかと思います。
 今までの言葉にだって、嘘はなかった。私も、きっと有栖川もいつも本気で、真実としてそれを扱ってきたと思います。
 同時に、いつだって違和感があったんじゃないかしら、とも思います。私が感じていた“なんだかいまいちぴったりとはまらない感覚”を、有栖川も感じていたかしら。
 違和感に気がついてから、私はずっとその正体について考えてきました。
 どんな名前をつけたらいいんだろう、とただそれだけを思って、考えてきた。
 本屋さんには色々な言葉があった。
 本の中には色々な言葉があった。
 辞書の中で、小説の中で、詩の中で、歌の中で、何千年も昔から、それらは人と人とを結びつけてきた。現代も、昔と変わらずそれはひとびとを結びつける。
 私たちはその中のどれなの?
 私たちはその中にあてはまる?
 日向ぼっこをしながら、お風呂に入りながら、原稿を書いている合間、ふっと浮かび上がってくる疑問を解こうと私は考え続けるけれど、未だに私にとっての正解に辿りつけません。私の語彙の中には、どうやらそれはないみたい。
 だから、いちばん簡潔で明瞭なものを選んでみました。
 私の気持ちは有栖川のこころに上手に辿りつくことができましたか? 過去も現在も未来も包括する言葉を選んだつもりなんだけど、幼い頃の有栖川に、現在の有栖川に、そしてこれから過去になっていく未来の有栖川に、この言葉は届きましたか?
 「普遍的ではないけれど、大丈夫だと信じていいと思う」と言った有栖川を、私は信じました。信じたから、手紙を書いたの。私は上手に言葉を選ぶことができたかしら? 有栖川に、まっすぐに届くことを祈ります。

 彼方より



 彼方からの手紙を読んで、――最初に届いたものから順番に読み返して、僕はふと笑った。
 薄い桃色の便箋に並んだ彼方の丸っこい小さな文字を、ひとつずつ丁寧になぞっていく。
 彼方の手紙は率直で単純で、そして信じられないほど純粋だった。そこには彼方の笑顔があり、涙があり、幼い疑問や甘い空想、そして祈りと願いがこめられていた。
 彼方の告白はまるで幼い子どものようだった。
 初恋に至るまでもない微かな心の揺れを必死で伝えようとしているような、淡い羞恥と飾り気のない原石の気持ちが、どの手紙にも、美しい蝶の燐粉(りんぷん)()()いたように静かにきらめいていた。
 彼方は本当に、どうしようもないほど素直で、率直で、真摯(しんし)で、泣き虫だった。
 僕はそれを、誰よりも近い場所でずっと見つめ続けてきた。
 彼方さえ知らない彼方の癖を、僕はたくさん知っている。
 そして恐らく、彼方は僕でさえ知らない僕の癖を知っているのだろう。
 僕らは双子のように、鏡のむこうの自身に触れるように近くあり、生きてきた。何かに定められているように。
 ――何かに、定められてでもいるかのように。
 何かの約束事があるように。
 本当に僕らは、お互いがお互いではないといけないことをわかっている。哀しいほどに確信している。
 世界にはこんなにもひとが(あふ)れているのに、どうして僕は彼方の隣に生まれ落ち、育ったのだろう。どうして彼方は僕の(かたわ)らで微笑む役割を請け負ったのだろう。
 言葉にしなくてもわかる。
 顔が見えなくても、手を触れ合わせることができなくても、どんなに遠く離れても、わかる。
 僕らは繋がっている。
 僕のすべてが彼方に共鳴している。
 一生天涯孤独であるという一定の限界を定められながらも、どんな未来を選択することも出来るという無制限の自由の中で、僕と彼方はお互いが共にあることを選択し続けてきた。
 彼方の声は僕の耳の奥で笑ってくれる。
 彼方の瞳は真っ直ぐに僕の瞳を見つめてくれる。
 彼方の手は僕の凍えた頬をあたためてくれる。
 ――彼方の足は迷いなく前に進み、僕を導いてくれる。
 ずっとそうだった。彼方だけが僕の痛みに気づき、癒し、孤独に寄り添ってくれた。いつも。――いつも。
 ふっと、てのひらに彼方を抱き締めたときの感覚が蘇った。僕にしがみついてきた、あたたかい弾力。
 「こんな細い身体が、僕を支えているんだなあ」。
 失う恐怖や不安は消えない。それらは絶えず僕を(おびや)かし、苦しめる。僕を憔悴(しょうすい)させる。僕にとって彼方はあまりに大切すぎて、僕を苦しめるものの根源となってしまっている。けれど同時に、彼方は恐怖や不安から僕を守るのだ。彼方の強い生命力――よく笑い、泣き、食べて、眠る。生きるということを全身で為す彼方は、死に立ち会いながらも圧倒的な生命力を失わない。彼女は強い。空や自然が季節と共に姿を変えていくように、刻々と変わりながらも、変わらない本質を確固として中心に抱いている。彼女は変化を恐れない。たとえその変化が死だとしても、彼方は臆することなく正面から立ち向かい、対峙(たいじ)し、涙と共に認めて、そしてまた変化していく。
 『外』が変化することも、彼女は受け入れる。
 変わっていくことを、彼女は彼女のすべてで肯定する。
 絶えず不安と孤独に囲まれ哀しみの底で揺らめく僕を、僕のすべてを、僕の周囲を取り巻く環境までも含めて、忘れなくても変わっていっていいのだと、その存在で示してくれる。
 言葉でなど、到底表せない。
 だからきっと、彼方のとった方法が、彼方が選んだ言葉がいちばんいいのだろう。単純明快でわかりやすい。わざわざ難しい言葉を探さなくてもいいのだ。真実はお互いの胸中に等しくあることを、僕らは感覚で捉えている。だから、単純でいいのだ。
 ずっと気づけなかっただけで、僕はとうに理解していた。
 過去を(さかのぼ)ってみれば、僕はそれを何度も口にしている。
 途端に力が抜けた。難しいと思っていた手品の種は存外簡単で、なあんだ、と笑いながら肩の力を抜くように。なんだか間抜けに思えて、僕は再度、ふと笑った。
「――彼方」
 机の上に並んだ、彼方からの七通の手紙。
 (ひそ)やかな恋を包んだ一通一通。
 この想いを恋と表現して間違ってはいないだろうか。
 そんなことを考えはするけれど、そう、単純でいい。
 今まで持っていた便箋を元通りに折って、封筒に戻した。別の一通を手に取り、便箋を出して、字面に指先で触れる。
 こんな告白には、どう応えたらいいのだろう。
 僕も同じ気持ちだと、どうしたら伝えられるだろう。
 ダ、イ、ス、キ。
 ズ、ッ、ト、ダ、イ、ス、キ。
 過去も現在もやがて過去になる未来も包括した、単純で率直で純粋な告白。あまりにも彼方らしい、彼方らしすぎる告白。
 僕は笑うことしかできない。
 昔からそうなのだ。
 何かやらかすのはいつだって彼方で、僕はいつも彼方を眺めて笑う。
 空が広がった気がした。
 夏の空が。
 快晴が頭上高く果てしなく広がっていく。風に吹かれて流れる緑の草の海。草の流れが風のかたちを浮かび上がらせる。僕は中央に立っている。永遠の半ばに立っている。
 ――永遠は続いていくこと。
 だから私は、自分が永遠じゃなくていいと思います。
「自分が永遠じゃなくて、いいと思います」
 小さく声に出して、(つぶや)いた。穏やかに(まばた)き、深呼吸しながら目を閉じる。
 うん。
 僕も、そう――……
 自分が永遠じゃなくていい。
 永く永く果てしなく続いていく線を構成する点のうちのひとつでいい。
 隣に君がいるのなら。
 愛したひとが存在した証となれるなら。
 続きを続けていけるなら。
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