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 食後の緑茶を吹きながらそう零すと、
「僕じゃ駄目かい?」
 蒼が微苦笑とともに雅を見る。僕もお父さんなんだけどね、と言われた雅は曖昧(あいまい)に微笑むことしかできなかった。
 蒼はあまりにも雅と似ていて――だから蒼では駄目なのだと、さすがにそれは口に出せなかった。
 不思議なものだ。
 かのんと小鞠に血の繋がりがないように、蒼と雅にもまた、血の繋がりなどありはしないのに。それなのに、こんなにも似通ってしまっている。
 ことん、と湯呑(ゆのみ)をテーブルに置いた。
 小鞠は帰宅した虎徹と『とってこい』をして遊んでいる。どこで覚えてきたものやら、虎徹は投げてもらったボールを走って取りにいき、また投げてもらって――という、犬とすることが多いだろう遊びが大好きだ。かのんはリビングの片隅に移動して、工作の続きに没頭していた。
「赤ちゃん」
 雅が口を開く。
 風が止まったようだった。
 蒼の、小鞠の、かのんの視線が雅に集中する。雅は膝の上で丸くなって眠る長船の黒い虎模様を撫でつつ、「私に赤ちゃん産んでほしい?」と言ってみた。
「なあんだあ」
 小鞠が溜息をついた。
「できたのかと思った」
 その言い方にあまりにも悪意がなかったので、雅は笑ってしまう。
「できててほしかったの?」
 冗談のように言ったつもりだったけれど、本気がこもってしまった。胸の中はざわついている。肯定されたらどうしよう。
 が、小鞠は、小鳥のように首を傾げて考え、
「みーちゃんが嬉しそうにできたよって言ってくれたら嬉しいけど、そうじゃないならいやだなあ」
 簡単に答えを出した。
「どうしてそんなこと、僕らに訊くの?」
「……歌子伯母様に」
 本当だ。
 博に言うことだ、これは。
「会ったの」
 告げると、蒼の表情が見る間に(くも)った。
「まだ子どもつくる気はないのかって言われた」
 この台詞を言ったのが父や母だったら、義父や義母だったら、受け止め方ももっと変わっていた。博にだって、いつものように冗談を言い合うように、「赤ちゃん欲しい?」と訊けたに違いない。
 でも駄目だ。
 その言葉を放ったのは、紛れもなくあの伯母なのだから。
 小鞠がむっと眉間(みけん)に皺を寄せる。
「そんなの、歌子伯母に関係ないじゃんっ」
「小鞠」
 静かな声で蒼が小鞠を(いさ)める。小鞠は聴かない。
「なんで? だってそうでしょ。歌子伯母は、みーちゃんのこといっつもいじめるんだよ! こまは歌子伯母のこと、好きじゃないもん」
「小鞠」
 (たしな)めるように、再度蒼が小鞠を呼ぶ。目もとをうっすらと赤くして、小鞠は唇を()んで(うつむ)いた。
 小鞠は伯母を嫌っていた。戸籍上は小鞠と歌子伯母の関係は、赤の他人だが。
 橘川家の家族構成は少し変わっている。
 まず、蒼とかのんは夫婦だ。その娘が雅なのだが、実父は蒼ではない。さらに雅の妹ということになっている小鞠は、蒼の子どもでもかのんの子どもでもなく、圭一郎の娘だ。
 そして、蒼と圭一郎は恋人同士で、圭一郎とかのんは、かのん(いわ)くマブダチ。
 蒼と圭一郎は遠縁の従兄弟同士なので、まったくないわけではないが、彼らと違い、雅と小鞠の間に血縁はなく、戸籍上も繋がりはない。
 そんな事実を知りながら、雅も小鞠もお互いを姉妹と言って(はばか)っていない。ふたりとも、蒼と圭一郎の両方を「お父さん」と呼ぶ。そしてそう呼ばれる彼らも、雅も小鞠も「自慢の娘」だと胸を張っている。
 雅はただ単に、同じアパートで暮らしている人間同士の仲が非常に良い状態であると考えればいいだけの話だと思っているが、歌子伯母にとってはそうではないらしい。
 歌子伯母にとっては圭一郎は他人だし、その娘の小鞠も他人だ。それだけが絶対なのだった。
 けれど、小鞠が彼女を嫌っている理由は、それとは完全に別のところにある。
「へんだよ、歌子伯母がそんなこと言うの。だって歌子伯母、みーちゃんのこと、ろくな人間じゃないって言ったんだよ。高校も卒業できないような子、ろくな人間じゃないって。だめな子だって。なのに、そういうこと言った相手に子どもつくれって言うの?」
 薄茶色の、大きな瞳。扇の睫。
 雅とは似ても似つかない。蒼とも、かのんとも。
 伏せた長い睫に、ちらりと(しずく)が跳ねた。すっくと立ち上がって、けれど頼りなく俯いたまま。
「……みーちゃんはだめな子じゃないもん。こまの自慢のお姉ちゃんだもんっ」
 宣言するように強い調子で言って、小鞠はぱたぱたと二階へ上がっていってしまった。引き止める機会を完全に逸して、雅はなす(すべ)なくその背中を見送る。
「みーちゃんは」
 黙っていたかのんが、呆然と口を開いた。
 身体の方向を変え、正面から雅を見据える。
「みーちゃんはどうしたいの? 欲しいの? いらないの?」
 いつ見ても、硝子球のような瞳だ。黒く濡れて綺麗な、けれどあまりにも透明すぎてものを映すのは難しい、それ。
 直視できなかった。
 弱々しく首を振る。左右に。
 ――欲しい。いらない。
 ――身体は大丈夫なの?
 誰も物じゃない。者と物はまったく違う。
「欲しいとかいらないとかじゃない。……私は、自分が子ども産んで、育てていけるとは思えない。そういうことしていい人間だとも、思ってない」
 涙が浮かんだ。
 命に向き合うときはいつも苦しい。やさしくなれない自分がつらい。
 子どもは好きだ。かわいい。でもその気持ちがぬいぐるみを見て抱く感想とどう違うのか、雅にはまだ判別がつかない。ただ、ひどく無防備な命の(かたわ)らに在るには、半端な覚悟ではいけないことがわかるだけで。
 自分は泣きじゃくる赤ん坊を抱き上げる手を持っているのだろうか。自信がないのだ、まったく。
 (こら)えきれない涙が、ぽたりと長船の耳に散った。三角形の黒い耳が、くすぐったそうに素早く振られる。
「……なんか、ちがうなぁ」
 かのんが呟いた。
「わたしは、みーちゃんがしあわせになってくれるって思ったから、みーちゃんの結婚、すごくうれしかったのに。そんなふうに泣いてほしかったわけじゃ、ないよ」
 母は、いつまでたっても童女のような物言いをする。それが雅の中心に響いた。飾らない言葉が身体に沁み込んで、いつも涙が零れてしまう。


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