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 うろうろと彷徨(さまよ)わせていた視線を上げると、彼方がにっこりしている。
「ノートを見せてくださるのと同じ気持ちなんでしょう。でしたら私と――ご迷惑でなければ、友人になってください。そしたら金銭の遣り取りは発生しません」
「あ……」
 そうか。
 ――こういうひとなんだ。
 雅と彼方を会わせようとした、美鳥の思いがわかった気がした。
 彼方は、楽しい気持ちでいていいのだと思わせてくれる。嬉しい気持ちでいても責められないし、笑っていても(なじ)られないし、幸せでいても(うと)まれない。そういう、言葉にするには難しいけれど、何かとてもいい心を持って存在していてもいいのだと思わせてくれる。恐らく彼女は無自覚だ。
「……はい。喜んで。友人になってください」
 声が震えそうになる。微笑が精一杯だ。それでも、彼方は頬を紅潮(こうちょう)させて笑ってくれた。
「ありがとうございます!」
 このひとは、なんて幸福そうに笑うのだろう。
 春先の、ちょうど今日や昨日みたいな良い日和に、(たたみ)の上に無邪気に散らばった小さな落雁(らくがん)みたいだ。うふふふふって、空気が笑い声を立てているようだった。
「ああでも、柘植くんが旦那さんなんだ……」
 彼方が感慨深げに呟いて立ち上がる。そのまま窓辺に行って、からりと障子(しょうじ)を開けた。
 一気に光の量が(ふく)らんだ。玄関に招かれたときとは反対に、雅の視界は一瞬白くなる。
日向(ひなた)でお話ししましょうよう」
 縁側で彼方が手招きをする。
「はい。行きます」
 雅はくすりと笑って、ふたり分の菓子と緑茶を盆に載せた。それを持って移動し、彼方の隣に腰を下ろす。
 ほっかりあたたかい。座布団はいらない。
 庭には桃が見事に咲き誇っていた。
「ありがとうございます、雅さん」
「どういたしまして。彼方さん」
 (なら)うように応じて、ふたりでくすくす笑い合う。
「柘植くん、どんなですか」
 もちもちした苺大福を食べながら、彼方が雅を(のぞ)き込んだ。
「学生時代にどんなだったか聞いてみたいと思いますよ」
 答える代わりにそう返すと、彼方はそうですかそうですねと頷いた。緑茶をひとくち、うふふと笑う。
「たぶんね、これは私の予想ですよ。柘植くんにはずっと会ってないので――でも、きっとあんまり変わってないと思います」
 はあ、と生返事になった。苺大福は甘い。
「ちょっと変わった子だなあって思ってましたよ、私は。柘植くんは私のこと変わってるっていいましたけど。柘植くんはね、なんだか風とか……そういうものみたい」
 はあ。
 もう一度生返事。
「風ですか」
「風です」
 彼方は確かに少し変わっている。
「雅さんは、どうですか」
「……へんなひとだなあとは思います」
 正直に答えると、彼方は笑った。雅も唇を(ほころ)ばせ、そして逡巡(しゅんじゅん)しながら、
「あの」
 どうしよう。傷つくことになるだろうか。
 わざわざ自分から傷つきにいくような真似をする必要はないはずだ。
 でも、訊かずにはいられなかった。
「彼方さんには、双子のお子さんがいらっしゃるって……」
「ああ、いますよ。男の子が(さかき)で、女の子が椿(つばき)っていいます。今寝てるんですけど、叩き起こします?」
「いいえ!」
 思いきり首を振った。なんだか本当にやりそうだ。
「お、お話だけで。どんな子なんですか?」
 雅の問いに、彼方があははと笑った。
「今年で四つになるんですけどね、父親に似ちゃったみたいで言葉覚えていくのが早いんですよ、わかってるのかいないのか、妙に小難しいこと言い出したりして。ふふ、こないだまで赤だったのにね」
「あか?」
「赤ちゃんの赤」
「ああ……」
 突拍子もない、というか。
「そういえば名前もね、植物の名前がいいねってなって。女の子なら薔薇子(ばらこ)とかどう? って言って周り中に即刻却下されたことがありましたよ。私はかわいいと思ったんですけど。野ばらだったらいけたのかなあと今になって思います」
 確かに、薔薇子と野ばらなら圧倒的に後者だろう。それにしても、
「どうしてまたよりにもよって、薔薇(ばら)……?」
 知らず(いぶか)しげな口調になってしまう。雅からすれば、完全に発想の外にある名詞だ。
「だってほら、子どもは神様がくれた冬に咲く薔薇だっていうじゃありませんか。冬生まれなんです。だから」
 ――神様がくれた冬に咲く薔薇。
「一緒にいると、育ててるとか世話してるっていうより、なんていうか――世話してるには違いないんですけど」
 彼方は残った菓子をひとくちに口内に放り込んだ。しばらくもぐもぐしてから、雅に向き直る。
「子ども育てるのって、親も一緒に成長するってよく言うじゃありませんか。あれ本当だなあって思いますよ。ふたりが一歳のときは私も一歳、十歳のときは私も十歳なんだなあって。そう思うとなかなか寿命って来ません」
「……そう、ですね」
 心中、穏やかでいられなかった。まるで見ている世界が違う。やはり訊かない方がよかったのか。「ご予定がおありなんですか?」と尋ねてきた彼方の表情がとても明るかったので、雅の心はさらに沈み込んでしまう。
 いいえと短く否定し、話題の中心が自分になってしまうのを恐れて、
「結婚されてすぐのお子さんなんですか?」
 と咄嗟に口にした。
「ええ。というよりも、子ども産んであげるって言ったんですよ。高校生のときに。結婚はそれに(ともな)ったって感じです」
「高校生のとき?」
 『薔薇子』の比ではなかった。今度はあからさまに怪訝(けげん)な顔をしてしまう。雅には想像もつかないことだった。
「夫とは幼馴染(おさななじ)みなんですよ、二歳のときからの付き合いで」
「へえ……いいな、素敵ですね」
 本心から言うと、彼方はまだほんの少女のように頬を染めた。
「ありがとうございます。……なんかかんか色々あって、気づいたらそう言っちゃってました」
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