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「入れない」
「おいしいよ蛸」
 で、入れた。
 博は今日がおでんの蛸初体験になる。
 そういえば、コンビニのCМではおでんに蛸が入っている。が、近辺のコンビニの店舗どこにも蛸はない。地域差の大きな具なのだろう。
 (くし)に刺して鍋に入れると思ったのだが、博の予想を大幅に裏切って、雅は蛸の足を大胆なぶつ切りにした。
 改めて思う。
 結婚はこれ以上はない異文化交流だ。
「みーさん、ほんとによかったの」
 土鍋の湯気越しに尋ねると、雅は首を傾げた。
「よかったも何も、だってもうどっちみち間に合わない」
「……そうだね……」
 クリスマスだ。
 その日に、雅が日本に、しかも博の目の前にいる。確かについこの間、クリスマスもきもので過ごすことにすると雅は言ってくれた。博からのプレゼントを抱えての台詞(せりふ)だったのだから、よく考えなくたって、少なくとも今年はクリスマスは日本にいるということなのだろうけれど――
 ――博は、雅とクリスマスを過ごすのははじめてだった。
 何か明確な境界線があるわけでもなく、気がついたら「お付き合いしています」っぽく一緒にいたので、付き合い何年、というのは難しい。けれども、結婚前、博は雅と一度もクリスマスを過ごしたことがない。
 何故かといえば簡単な話で、雅はその時期になると海外にいる。『家族』に、パーティーするからあなたも来てねと誘われるのだ。
 そして雅を誘う彼らはクリスチャンなので、クリスマスはとても大切だ。雅が博よりもそちらを優先したところで、博には彼女を責めるつもりなどさらさらない。雅の選択は当然だろうと思っている。
 だからこそ信じられなかった。
 鍋から大根を取った博を見て、雅は小さく笑った。
「だってさ、ほら、クリスマスは家族で、って。ね」
「うん?」
 ――やっぱり鍋は使い込まないと駄目だ。
 博は、この冬は鍋を使いまくろうと心に誓った。
「博さん、家族だからね。だから、一緒にいようかなって思っただけ。あ、来年は出かけるから」
「……」
 そこで雅はちらりと博を見、
「もちろん、博さんも一緒だからね」
 と言って笑った。
「俺も?」
「当然ですよ。夫婦だもん。家族だもん。大事なひとだから、大事なひとに紹介したいの」
 雅は餅巾着(もちぎんちゃく)を取りながら答えた。
 ――ああ、そうか。
 家族なんだ。
 奇跡的な当然だ。腹の底が、そしてどこより胸があたたかくなって、博は笑った。
 雅にとっては、特別なことではないのだ。
 当然なのだ。博と一緒にいると選んだこと。
 それが嬉しかった。
 湯気立つ鍋の隣には、雅の好きな大吟醸(だいぎんじょう)清酒(せいしゅ)一升(いっしょう)立っている。博の誕生日に、有栖川(ありすがわ)夫妻が贈ってくれたものだ。
 雅の(ほほ)が幸せそうに紅潮(こうちょう)していた。
「あー、枡酒(ますざけ)ってなーんでこんなにおいしいんだろう。博さんありがとう。もっきり上手だねえ」
「どういたしまして。じーさまが好きだったんだよね。気づいたらやってたなあ。誰に教わったんだろ」
「お祖父(じい)様の直伝(じきでん)じゃないの?」
「違うと思うよ。直伝だったら覚えてると思うから。俺の中ではじーさまと枡酒ってセットだからね」
「ああ、そういうのあるよねえ。私は花札誰に教わったのか覚えてないなあ。祖母や伯母の目の届かないところの話だから、家の外ではあるんだろうけど」
「みーさん如何様(いかさま)レベルで強いよね」
「月見、花見は譲らない」
短冊(たんざく)もくれないでしょ。なんなんだろうなあ、あの引きの強さ。カードもねえ……」
「将棋は下手だよ」
「下手ではないと思うよ。攻め方がえげつないだけで」
「守りの(いくさ)は苦手なの」
「そうだ。戦といえば、大掃除だねえ。もう終わらせたかったんだけど」
「結婚一年目ってお互いのペース(つか)んでないから難しいね。でも、博さんがいつもきれいにしてくれてるから、たいしてやることないよ。風物詩(ふうぶつし)だから大事にするけど」
「ああそういう……」
「からっと晴れたら障子(しょうじ)も張り替えたいけど、十二月はさすがに無理かなあ。畳は干そうね。で、終わったら飲む」
「一杯のためなんだ」
「大仕事終わったあとの一杯最高」
「否定はしないけど俺はそこまで飲まないしなあ。このプレゼントも、俺の誕生日だったのにねえ、あのふたり雅の好きなもの持ってくるんだから」
「そこまで飲まなくても博さんだって好きでしょ?」
「好き」
「お塩乗せるのたまらないよねぇ」
「ほんと。みーさん、飲み過ぎたらだめだよ」
「はあい」
 そうしてしばらく、ふたりとも黙々と(はし)を進めた。
 おでんをはふはふする生活の音と、銀の鈴のような夜の音が、薄く薄く積もっていく。
 愛されて使われている石油ストーブが、載せられている薬缶(やかん)を熱する。火と水のにおいがしっとりとフローリングを(みが)いていた。
 リビングの(すみ)までを、あたたかい光が満たしている。
「あ、そうだ。それでね博さん」
 雅が今思い出したように顔を上げた。
「クリスマスにね、私も博さんに何かちゃんと贈ろうと思ってたんだけど、何も思いつかなくて。ううおいしい」
 しらたきと(くだん)の蛸を皿に取る博に、雅は普段となんら変わらない様子で言った。直角三角形の分厚(ぶあつ)いこんにゃくを鍋から引き上げている。
「だからクリスマスのプレゼント、買いそびれ、つくりそびれちゃって。なんにもないの」
 ――何もいらない。
 もう、もらってしまっている。
 雅は、にっこりと笑みを深くした。雅は酒には酔わないが、楽しさや嬉しさにはすぐに酔う。いい酔い方をする人間の典型だった。
 少し、酔っているのかもしれない。
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