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ゴールデン・スランバー






 八代(やしろ)は顔を洗うのが嫌いだ。風呂に入るのも好きではない。避けられるものなら徹底的に避けたいと毎日思っている。
 ――違う。
 洗うという行為や水が嫌いなわけではない。よくよく考えると風呂そのものは結構好きだ。だから正しくは、洗面所、脱衣所、風呂場――そう呼ばれる場所が嫌いなのだ。
 鏡がある。
 もちろん好んで設置したわけではない。が、設置されずに設計され建てられる家屋は恐らくほぼないと思われる。だから八代は、どこへ行っても鏡に追い詰められる。
 風呂場はまだましだ。(くも)らせてから入るという手がある。でも、洗面台に据えつけられている鏡はそれができない。曇り防止の機能がついている鏡はあれど、曇り誘発機能のついている鏡など聞いたことがない。どう考えても必要がない。
 毎日毎日、鏡から目を()らして顔を洗い、身支度を整える。鏡を意識の外に(はじ)き出そうと必死になる。
 今日は失敗した。
 うっかり見てしまった。真正面からはっきりと自身の顔を(とら)えてしまった。
 その瞬間、八代の今日一日は憂鬱(ゆううつ)に過ごされることが決定された。
 いつか読んだ小説を思い出す。スティーヴンスンの『マークハイム』。
 ――しっかり目を開けて、自分の顔を見ろ。どうだ? 見たくないだろう。私だって(いや)だ。
 そう、いやだ。八代は自分の顔を見たくない。
 ――鏡というのは、罪や愚かな行いに満ちた過去の年月を思い出させるものだ。自分の良心を手に取ってみるようなものではないか。
 まったくもって同感だ。鏡は(みにく)いものしか映してくれない。生まれてこの方、八代は自身の両目以上に醜いものを見たことがない。
 ――柘植(つげ)サンの目はあんなにきれいなのに。
 にこにこしながらまっすぐ見つめてくれる、秀才ではあるものの頭のネジが五、六本弾け飛んで失くしてしまっているとしか考えられない後輩を思い出す。彼女は八代から目を逸らしたことが一度もない。実際に見たことがないにせよ、イミテーションでしかない八代の黒い左目を(いと)わず、(まぶた)にキスをくれて信じてくれた。
 何をどう(まか)り間違っての発言だったのか今もって謎だが、プロポーズまでしてきた。弾け飛んだネジの数は五、六本どころではないのかもしれない。弘も弘だが、受けた自分もおかしいと思う。やはり罷り間違っている。しかも満更(まんざら)でもないのだ。
 けれど、鏡は駄目だ。受け付けられない。今でも。
 朝、顔を洗うとき、隠蔽(いんぺい)の瞳はまだ八代の目に重なっていないのだ。だから見えてしまう。
 正確な反転ですべてを映し出す忌々(いまいま)しいもの。割ってしまいたい思いで、てのひらを表面に叩きつけた。鏡の中の八代の両目が、鏡の外側に存在する八代の手によって覆われる。
 せめて、引っ掻くことができればいいのに。瞼の表面だけでいい、血の筋を走らせて、目を閉じなければ視界が赤く染まってしまうほどの爪痕(つめあと)を残せたらいい。
 ――その程度のことすらできない。
 八代の指先は、いつも整えられているから。爪が伸びていたことなどない。触れるものを傷つけてしまわないよう、いつも整えてあるから。
 若葉や(つぼみ)、開いた花びらは、八代が触れるにはあまりにもやわらかすぎる。
 緑や花の色に触れる、ただそのひとつのことだけのために、八代は手を整える。鏡に爪を立てることすらできない。
 ――ただそのひとつのことだけのために。



「視力のお裾分けができたらいいのにね」
 早朝の学校、成花(せいか)第一高等学校が誇る全面硝子(がらす)張りの大きな温室の中で、八代はぼんやり言った。柘植サンにならいくらでも分けてあげるよ、と。
 なんの仕事をするわけでもない。はっきりいって何もしていない。花々の茎の近く、土に差してある花の名前と日付を確認しながらノートに書き込んでいっている(ひろむ)の隣に一緒に(かが)んでいるだけだ。
「お裾分けですか。いいですね。わたしは裸眼視力が低いので、少しでも分けていただければとてもうれしく思います」
 (ほが)らかに笑う弘は、言葉どおり眼鏡をかけている。八代も眼鏡をかけているが、こちらは度が入っていない。完全なる伊達眼鏡だ。
 少しでもいいから、自身の瞳と他人との間を(へだ)てるものが欲しかった。
「できるんならいくらでも分けてあげるんだけどなあ……」
 茫洋(ぼうよう)と言う八代に、弘はやっぱり朗らかに笑う。
「ありがとうございます。本当に少しだけでじゅうぶんですよ? わたしを平均値まで上げようとした場合、恐らくひとりでは無理だと思われますし、わたしほど見えなくなってしまいますと何かと不便ですから」
「そんなに見えないの?」
「はい。視力検査のいちばん上のいちばん大きなランドルト環、まったく見えません。ぼけぼけのぼやぼやです」
「へえ……」
 それくらい見えなかったら、鏡の真ん前に立っても人間の目なんか見えないだろう。(うらや)ましい限りだ。八代は視力は何故かいい。驚くべきことに両目ともに 二.〇。そんなに必要ない。
「柘植サン今なにやってるの?」
「観察記録です。日付や温度や開花時期など、これまでのものと比較してまとめています」
「ああ……」
 あれか。
 弘が入部してくるまでは八代がやっていた。植えつけや開花時期などを、温室内の温度はもちろん外気温も一緒に書き記していき、例年と比較して状態を見ていくというもの。八代は手入れが好きでやっているだけで記録にはたいして興味を抱けないのだが、やってみるとこれがなかなかに便利がいい。歴代園芸部員がこつこつと積み重ねていった記録ノートの冊数は大変な量だ。
「先輩は今日はしょんぼりな日なのですか?」
「可能な限り俺に理解できる言葉で()いて」
「少々元気がないように見受けられます」
 黙ってしまう。
「…………具合が悪いわけじゃないよ」
 弘はわかっているだろうが、一応言っておいた。偏頭痛持ちの八代がぐったりしているところを幾度となく目にしている弘は、体調の変化にすぐに気づいてくれる。恐らくは誰に対してもそうなのだろうが、なんとなく嬉しい――
 ……ような気がする。
 こういうことを考えようとすると、八代の思考回路の巡りは途端に悪くなる。
 確かに弘からプロポーズはされたが、彼女から、いわゆる『特別扱い』をされているかというとそんなことはないように思う。今までだって丁寧だったし、今だって丁寧だ。彼女は温厚でやさしい。誰に対してもそうなのだから嫉妬するところなのかもしれないが、そんな感情は湧いてこない。
 少なくとも八代にとっては、気遣われるとは必要以上に構われることと同義だ。だから、本来であれば体調不良や憂鬱さをいちいち指摘されるのは鬱陶(うっとう)しい。でも弘に言われるのはいやではない。好きという気持ちとは異なるから、余計にどうにもはっきりしない。
「ねえ、柘植サン」
「はい。なんですか、久我(くが)先輩?」
 この応答ももう何度聞いただろうか。彼女は何かセンサーかスイッチでもあるかのように、八代の「ねえ、柘植サン」という呼びかけには必ず「はい。なんですか、久我先輩?」と応じる。条件反射にでもなっているのだろうか。
 ――おもしろくない。
「はい」と(こた)えて顔を向けるときは意識丸ごと全部を八代に向けてくれているが、この「はい」のあとに「なんですか、久我先輩?」までついて完成している場合、弘は大なり小なりほかのことに気を取られている場合が多い。
 要するに八代に集中していない。
 ――おもしろくない。
 ふわふわしてやわらかい、少し癖のある濃い茶の髪を(つま)んでつんと引っ張ってみる。と、ノートから顔を上げた弘がやっと八代を視界に入れた。
「申し訳ありません。お花に集中してしまっていました」
 笑んだまま、厭味(いやみ)なく素直に謝ってくる。なんだか小憎らしい。
「俺より花の観察の方が楽しい?」
 こんなことを(たず)ねる自分も大概馬鹿だという自覚はある。
 ――あたしと仕事のどっちが大事なのよ!
 と必死で働く恋人に不条理な天秤(てんびん)を押しつける台詞(せりふ)そのものだ。
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