back  |  next   
 ――おう久我、模範解答の解説してやってくれ。
 などと言おうものなら奴隷(どれい)決定、放課後大きな竹箒(たけぼうき)を持たされて、
 ――情けは人のためならず、を実感させてください。
 となる。
 八代の場合奴隷目的が最初にあるので本末転倒もいいところだが、何をどう言ったところで少なくとも言い合っている間は仕事をしているのだから、八代には利益しかない。
 そんな暗躍のおかげでもって園芸部は(おおむ)ね平和だ。
 ――平和だった。
 今までは。
「なにやってるの」
 うんざりした表情と声色を隠そうともせずに、温室の扉に片手をかけて八代は言った。
 昼休みだ。
 寝にきた。
 無駄に広く部屋数の多いマンションを自宅として与えられ、気ままなひとり暮らしをしている八代だが、実のところまったく気ままではない。自宅にいて落ち着けたことなどない。
 ――眠れない。
 ここのところだいぶ疲れてきたから今なら眠れそう、と思ってせっかく温室までやってきたのに、本来であれば心地よい静けさで満ちているはずのそこは(にぎ)やかだった。
 白い石畳(いしだたみ)の上に黄色いピクニックシートを()いて。
 広げられた重箱の中身の色鮮やかな、素晴らしく愛らしいおかず。
「久我先輩。今ちょうどお迎えに上がろうと思っていたところです」
 にっこりと言う弘は確かに(ひざ)を立てた中腰だった。立ち上がろうとしていたのは本当らしい。
 それはまあいい。
「で?」
「はい?」
「なにやってるの?」
 繰り返した八代の言葉に、弘はきょとんと小首を傾げた。
「ピクニックです」
「そのようだね」
 何が問題なの?
 ――といわんばかりの視線を向けているのは弘ではなく、彼女の友人たちだった。
 爪楊枝に刺さったタコさんウインナーを(くわ)えた鷹羽(たかは)が不思議そうに見つめてくる。折り目正しく学生服を着ている彼は見るからに穏やかな優等生だ。線の細い中性的な顔立ちで、女性ですよと言われればそうですかと納得してしまいそうな。
 八代としては、不思議そうに見つめたいのはこっちだといった心情。
 鷹羽の隣に座っている日本人形のような凛々(りり)しい美少女は、ちらりと八代を見遣ったあと、不機嫌そうに目を逸らした。プチトマトのへたを取りながら。
 整った眉の上できれいに切り(そろ)えられた前髪、長い黒髪は少しのうねりもなくまっすぐに流れている。少し微笑むだけでずいぶん印象が変わるだろうに、ほとんど感情を表に出さないから余計に人形みたいだ。弘の取り成しがあって一応会話はあるものの、綾野(あやの)は相変わらず八代の存在をおもしろく思っていないらしい。
 弘を好きで好きで仕様がない彼女としては当然といえば当然だろうが、この場面でそんな不機嫌な態度を取られる覚えはない。不機嫌になりたいのはこっちだというのが八代の心情。
 ハムとチーズのサンドイッチをもぐもぐしながら、面倒くさそうな視線を寄越してきたのは次子(つぎこ)だった。さんざっぱら弘に注意されているにも関わらず、彼女は相変わらずブラウスをスカートに入れず、(ぼたん)も上ひとつは外したまま、リボンタイなど当然結んでいない。太腿(ふともも)露わな短いスカートだというのに、片膝を立てて座って行儀(ぎょうぎ)の悪いことこの上ない。下着を指摘されても文句を言えない格好だ。とはいえ、指摘したところで慌てないだろう。ああ悪い、程度の反応に違いない。彼女のスカートの短さは、びらびらしたものが足にまとわりつくのが鬱陶しいという実用性及び機動性重視の理由で、色気とはほど遠い。
 次子は面倒くさそうな視線のあと、これまた面倒くさそうに溜息(ためいき)をついた。
 心外だ。
 溜息をつきたいのはこっちだ、というのが八代の心情。
 絶対にいるだろう人間が足りない。と思っていたら、右下方からばかっ、と音が聞こえた。
 聞き慣れた音だ。
 温室には、蔓薔薇の意匠の白い円卓と揃いの椅子二脚、それから長椅子が(しつら)えられている。それから、観葉植物に隠されるようにして小さな冷蔵庫。その開閉の音だ。無遠慮極まりないこんなことを平気で、しかも厭味なく愛嬌たっぷりにできる人間はひとりしかいない。
 案の定、ばくんと扉を閉める音のあとにひょっこり顔を覗かせたのは伊織(いおり)だった。
 華やかな顔立ちだ。綾野は日本人形の美しさだが、伊織は西洋人形のようで、長い(まつげ)に縁取られた大きな瞳が猫みたいだ。我儘(わがまま)でおしゃまで自分がかわいいことを知っていて、それを武器にする血統書つき。
 毛先が緩く波打つブルネットの髪は手入れが行き届いて(つや)がよく、色白で目鼻立ちすべてにおいて整っている。同性の羨望(せんぼう)と、それ故の嫌悪の対象だったというのは本当だろう。嫉妬されるにじゅうぶんな要素を備えている。
 八代は人間の顔にほぼまったく興味がない。男にも女にもない。区別できればそれでいい、区別しなくていい人間は最初から記憶に残らない。
 それでも、伊織は文句のつけようのない美少女だとは思う。言われてから意識して、見るつもりで見てそうだねと思ったので(はなは)だいい加減なものではあるけれども、否定する気にはならない。
 だが伊織の『文句のつけようのない美少女』には注釈がつく。
「えー。何か問題あるの? いいじゃんみんなでピクニック。楽しいよ。弘君のごはんおいしいし。やっしー先輩も早くおいでよ」
 注釈。
『※黙っていれば』。
 伊織は猫のような大きな瞳を悪戯(いたずら)っぽく細めた。
「許可してくれたんでしょ?」
「何を。ここは関係者以外立ち入り禁止」
「でも許可してくれたんでしょ?」
「だから何を」
(らち)が明かねえなあ……この現状だよ。ピクニックごっこ」
 今度はたまごサンドに手を伸ばしつつ、次子が補った。伊織は基本的に言いたいことしか言わず、説明と呼べる過程はほぼない。
 八代はわずかに目を(すが)めた。状況が把握できないのは嫌いだ。
 説明を求めて下を向くと、弘が見上げていた。至近距離に立って彼女を見ると、本当に小さい。弘は小柄で華奢(きゃしゃ)だ。伊織も身長そのものは小柄で弘より少し高い程度なのだが、何せ存在感が突き抜けているのであまり小さいとは感じない。
 自身の目線から約三十センチの高さを見上げる弘は、今日も仔犬のようだった。
「先日、最近お日和(ひより)もよくあたたかくなってきましたので、みんなでピクニックに行きたいものですねとお話ししました」
 したようなしなかったような。
「先輩は、面倒くさいからいやだと」
 言ったような言わなかったような。
 でもその会話があったなら、自分のことだから絶対言っただろう。
「で?」
「わざわざ他所(よそ)に行かなくても植物は学校敷地内に(あふ)れ返っているし、芝生もある、花が見たいなら温室に来ればいいと」
 ……言った気がする。
「関係者以外立ち入り禁止となっていますけれど、こちらでみんなでピクニックしてもよろしいですかとお(たず)ねしたら、好きにしていいよと」
 …………言った。
「先輩もご一緒しませんかとお誘いしたら、いいよと」
「本気にしたの?」
「えっ」
 訊くと、弘はひどく衝撃を受けた顔をした。
「いけませんでしたか」
「俺は自分の縄張り内に他人に入られるのは嫌い」
 犬か、と(あき)れた声の次子を無視して改めて弘を見ると、彼女は悄然(しょうぜん)と肩を落としていた。
 back  |  next



 index