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「申し訳ありません……」
 ああかわいい。
 八代は弘の困っている顔が好きだ。自分の意地悪を本気にして落ち込んでいる様子が好きでたまらない。
「八代、弘君をいじめるのはやめろ。子どもじゃないんだから」
「柘植サンをいじめていいなら子どもでいい」
「……弘、婚約解消した方がいいわ」
 鷹羽が眉を(ひそ)めながら言うが気にしない。彼は小舅(こじゅうと)のようなものだ。しかも疑似的なものなので容赦なく切り捨てていいと判断している。綾野はいつも辛辣(しんらつ)だから放っておいて構わない。
「でーもぉ、もうはじまっちゃってるもん、ピクニック。やっしー先輩早く来てってば。お弁当なくなっちゃうよ」
 知らない間に冷蔵庫で冷やしておいたらしいプリンを持ってきながら伊織が言った。ここは本来関係者以外立ち入り禁止で彼女は完全に部外者なのに、まるで遠慮がない。勝手知ったるなんとやら、だ。彼女は八代をどうでもよく扱うので、八代も伊織については好きに言わせておけばいいくらいにしか思っていない。
 じっと見つめてくる弘だけが申し訳なさそうにしている。ほかのメンバーの態度のでかさといったらない。
「んもう、早く来てったら!」
 シートに座って伊織がむくれる。本当に勝手だ。ここまでやれとは言わないが、弘は少し見習ってもいいんじゃないかとは思う。
「久我先輩、申し訳ありま」
(はし)持ってない」
 謝ろうとするのを(さえぎ)ると、弘は一拍あとに、安堵と喜びをそのまま笑顔にした。
「大丈夫です! 先輩の分のお箸、きちんとありますから!」
 ああかわいい。
 いじめて(へこ)ませたあと、ちょっと持ち上げてやったときに見せてくれる笑顔も好きだ。
 ――災難……。
 弘と八代の遣り取りを見ている面々は、口には出さないものの全員がそう思っていた。
 綾野なんかははっきり「あんたの人生最大の汚点はあんなのにプロポーズしたことよ」と言った。それに対する弘は「あんなのじゃなくて、『久我先輩』だよ、綾ちゃん」とにこやかに返したのだから、ズレている。
「あっ、ちょっとお次子、それあたしのっ、あたしの唐揚げ!」
「おまえのじゃないだろ、弘がつくってきたんだから」
「あたしのなの! あたしが欲しいと思った時点でそれはあたしのものなの!」
「我儘もそこまでいくといっそ清々(すがすが)しいな」
「やだあああ食べないで食べないでっ」
「……(やかま)しい……」
 きゃんきゃん(わめ)く伊織の後ろを通り、椅子に座ろうとしたら、
「なんで椅子に座るんだ?」
 と鷹羽に言われた。
「だめなの?」
「だめよ」
 綾野に一刀両断される。
「やあんもおお最後の唐揚げだったのに! ってゆーかやっしー先輩、ピクニックでひとりだけ椅子っておかしいでしょ。超(えら)そう」
「偉いんだよ。それから、俺の前だけでいいから『ってゆーか』と『超』って言うのやめて」
「どーして」
苛々(いらいら)する」
 ひっどおい、とまたむくれる伊織の声を右から左に流していると、弘がにこやかにてのひらで隣を(うなが)していた。
「なにその手」
「こちらにお座りください。()いていますから」
 促されているのは見た瞬間からわかっている。
「柘植サン今の遣り取り見聞きしてた?」
「はい」
「俺は椅子に座りたい」
「せっかくのピクニックですから。椅子からですとお弁当に届きませんし」
「持ってきて」
「いい加減にしろ」
 平坦な声で鷹羽に言われ、にこにこして待っている弘を見て、八代は渋々(しぶしぶ)弘の隣に座った。
 ――居心地が悪い。
 (たたみ)の上でもないのに高低のない場所に座ることに慣れていない。ひとりで自宅でだらけているときなら別だけれど、こんなに他人がいる場所で。
 縄張りとは言ったものの、実際にはここは八代の手のうちにある場所ではない。他人が入ってくる可能性が低いというだけで、完全なる外だ。しかも今は、本当に他人に囲まれている。
 はい、と箸を渡される。きちんと揃え、横にして。
 おとなしく受け取った。
 ――どうすればいいんだろう。
 決まっている。弁当を食えばいいのだ。でもわからない。箸のつけ方がわからなかった。
「これ全部柘植サンがつくってきたの?」
「はい」
 折り畳み式のコップらしきものに茶を(そそ)いでわたしてくれる。これもおとなしく受け取った。弘は紙皿を出している。
「お好きなもの――」
 言いかけた弘が止まった。八代に差し出しかけていた皿も止まった。
 八代の胸に不安が(よぎ)るより早く、弘はおっとりと微笑んだ。
「お取り分けいたしますね。アレルギーや苦手なものはおありですか?」
 ――見透かされた。
 どうしたらいいのかわからず戸惑った瞬間と困惑の胸の内を。
 好きなものを取っていい、と言いかけたのだろう。けれど彼女は、取り分ける、と言い直した。しかも、好きなものは何かではなく、苦手なものは何かと訊いてきたのだ。八代には好物といえる食べ物がないことに、恐らく気づいたのだろう。
 勘――だろうか。
 八代が弁当を前にして硬直したのはほんの一瞬だ。誰も気づいていない。八代に注意を払っていない。早く来いと急かした伊織でさえ、来てくれたからもういいと興味を失っている。
 それに、――誤魔化せる自信がある。
 本心を隠すことなど、告白するよりもずっと容易(たやす)い。嘘をつくことに痛痒(つうよう)を感じたこともないし、(だま)し、はぐらかして何がいけないのかがわからない。
 次子は時々核心をつくことを言うが、それは自身を八代に投影しやすいからだ。似ている部分があるからわかりやすい、想像がつくといった(たぐい)のもので、思い遣って気づいているものではない。
「……なんでもいいよ。なんでも食べるから」
 これは嘘ではない。
 八代はなんでも食べる。
 好き嫌いがない、といった褒められるような意味ではない。何を食べても同じだと考えているだけだった。
 記憶は定かではないが、不味いと思ったことはあると思う。けれど、美味いと思ったことはほとんどない。適当に食べて適度に腹がふくれればそれでじゅうぶんだ。どうだっていい。
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