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 並ぶと本当にそっくりだ。こちらが久我八代先輩です、と紹介されて一礼する。
「はじめまして。柘植博です。娘がお世話に――」
 笑顔の言葉がふと途切れた。肩を竦めるようにして微苦笑し、悪戯っぽく言い直す。
「――お世話になりつつ甚大(じんだい)なご迷惑をおかけしているようで申し訳ありません」
 軽妙(けいみょう)な雰囲気をまとう人物だった。穏やかであたたかい。
「いえ。こちらこそお世話になっています。――久我……八代、です」
 名乗るのはあまり好きではない。
 自分の名前を好きではないのだ。
「八代君でいい?」
 博に手を差し出されて、はい、と答えながら握手を返した。
 少し乾いた、あたたかいてのひらだった。
「そいじゃあ帰りましょうかいね。ごめんね八代君、軽で。背高いから窮屈(きゅうくつ)だと思うけど許して。今ちょうど車検に出してるもんだから」
 そう言う博だって小柄なわけではない。八代より少し低いといった程度だ。
「先輩、お荷物貸してください」
 ああもう――
 ――ほんとうに、やぶれかぶれ。
 そして柘植家に着いて、やぶれかぶれの破れた箇所がどんどん広がっていくことになる。



「ただいまーあ」
「おかえりなさい」
 ――え。
 あれ。
 誰?
「いらっしゃい」
 八代に向かって微笑みかけてくれたのは、(うす)蘇芳(すおう)梅鉢(うめばち)小紋(こもん)を着たたおやかな大和撫子だった。肩ほどだろう黒髪を後ろでひとつにまとめている。
「久我先輩、母の(みやび)です」
 弘がにこやかに紹介してくれる。
 母?
 このひとが。
 娘の謀略をあっさり見破って八代の逃走経路を完膚(かんぷ)なきまでに叩き潰し、夫に命じて迎えに行かせた――
 ――弘の母親?
 弘が紹介してくれているのだが、少し――
 絶句してしまった。
「ごめんね八代君」
 何故か後ろの博が謝る。
「あ、いえ……久我八代です」
 なにこの家族。
 主に母親。
「まあ玄関で立ち話も何よ。そもそも婚約者紹介及び挨拶の場が玄関って前代未聞だわ、前人未到よう」
 もしや伊織と同類――といったら失礼極まりないが、同じ、なのだろうか。
 注釈がつくタイプ。
『※黙っていれば』。
「ごはんは?」
「いただいていません」
 弘は家でも「いただく」と言うのか。食べる、と言うときもあるように思うが、頭が働かない。
「じゃあごはんにしましょう、そうしましょう。あったかいうちに」
 なんだか連行されている気分だった。実のところはどうなのだろう。ここに来るまで自己の意思はあっただろうか。
 通されたリビングはあたたかい部屋だった。温度ではなく。
 やさしい。
 光がやわらかい。電灯なのだから特別なものではないのだろう、けれどあたたかいし、やわらかい。
 食卓には四人分の膳が並んでいる。
 同じテーブルに、同じ献立(こんだて)が。
 ピクニックの弁当風景もはじめて見るものだったが、こんな食卓を現実のものとして目の当たりにするのもはじめてだった。
 なんということはない献立なのだろう。
 白いご飯に味噌汁がついて、(さわら)の唐揚げと千切りキャベツ。プチトマトとブロッコリーが添えられている。箸休めは小松菜とちくわの和え物らしい。
 ――はじめて見た。
 こんな食事を、こんなふうに向き合って取る家庭が本当にあったのか。
 これが大多数なのだろうかと思うと、これまでの自分の食事とその風景はまったく別のものに思える。
「八代君、荷物はとりあえず和室に入れといていい?」
「あ、はい。……ありがとうございます」
「ああ箸置き。八代君の箸置き買ってこなきゃね」
 箸置きを買ってくるということはつまり出入りしろという意味だろうか。まさかに住めとは言われないと思うが。
「先輩、こちらへどうぞ」
 笑顔で促されて諾々(だくだく)と従う。
 従うしかない。
 両手を合わせていただきますをして、向き合って取った食事は全然知らない料理のようだった。
 両手を合わせてごちそうさまと言い、弘が緑茶を淹れて落雁(らくがん)と一緒に持ってくる。
 懐紙に載った落雁は、小菊と千鳥(ちどり)のかたちをしていた。
「さて、本題に入りましょうか」
 桜の散った湯呑(ゆのみ)をひとくち傾けた雅が言った。穏やかな微笑の中に、虚偽を許さない真剣を込めて。
「弘が八代君にプロポーズしたことは聞いた。我が子ながら突拍子もないこと言ったもんだわと思ったけどそれは別にいい。弘が決めて弘が言ったことだからね。でも、」
 ――このひとに嘘は通用しない。
 静かな黒い瞳に射抜かれ、瞬時に悟る。
 弘と同じ目だ。
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