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――二日分の荷物。
これか。 三日以上は客ではない。つまりそれ以上滞在するとはすなわち家族扱いであるということ。それなら働くのは当然だろう。 理解はできたが予定に入れるつもりはない。断じてない。 三日分と言いかけた弘が二日分と言い直したのはホームステイ提案に対する予防線、博が予防線と称して手荷物の滞在可能量を質問してきたのも言葉どおり予防線。 なのに弘は何故か乗り気。 ――ふり切って逃げればよかった。 一緒に帰りましょうと追い縋られた時間まで 「まあまあまあまあ。八代君は二日分の荷物しか持ってきてないって言ってるし、そもここまでだっていいとこかなり強引無理矢理だったんだから。心の準備も必要なんだよ、男は繊細な生きものなの。心臓脆いの。 ああ天の助け。 「ホームステイはまた後日。ね?」 ね? じゃない。 天の助けは錯覚だった。 とはいうものの、 ――胃に穴が開く。 「今日寝るところはどうしましょうかね。突然だったからお客様用のお布団きちんと干してないわ」 突然になったのは雅のせいだ。 「俺干したよ? 朝イチで。今日布団当番だったから。みーさん寝ぼけながら起きてきて、寝ぼけながらパスポートの更新に行ったでしょ」 「ああそうだった」 最大の難関だ。 八代は眠れない。 「お気遣いなく」 意識したわけではない。けれどとても、冷淡な声になった。 「眠れませんので。ソファを貸していただければじゅうぶんです」 「それは他人の家では眠れないという意味?」 雅の声が変わった。 のんべんだらりと間延びした、明るく親しみ深い声ではない。 ――この家では大切な話をするとき、相手から目を逸らしてはいけない。 顔を上げた。雅を見据えると、透明な黒い瞳が八代を射た。 黒い石のようだ。 雅はまるで、純粋さのために何ものとも溶け合わない結晶から成る原石のようだ。 「いいえ。どこにいても眠れません。気を失うのを待つだけです」 こん、と音がした。 雅がグラスをシンクに置いたらしい。 「弘」 「はい」 「知ってた?」 俯くという言葉、行為はこの家にはないのだ。 目を逸らすなど、もってのほかなのだ。 「いいえ」 弘は 「知っていることは?」 「久我先輩にご許可をいただいていませんので、言えません」 ――こんな問答まである。 訊かれた以上のことは答えない。 正直だ。 誤魔化していいはずがない。 「不眠症です。薬が効いたことはありません。弘さんが知っているのは、僕が偏頭痛を持っているということだけです」 八代が答えると、雅は、わかった、ありがとうと言った。 「明日も部活だよね。土日だろうが夏休みだろうがヒロが出掛けなかったことないし」 博が少し難しい顔をする。 「んんー。どこにいても眠れないってことは、裏を返せば眠れるときはどこにいようが眠れるって解釈でオッケ?」 水をおかわりしてグラスに口をつけたまま、不明瞭に反響させて上目遣いに確認を取ってくる。 緊迫したかと思えば途端に空気が緩むのだから、抜群の柔軟性だ。臨機応変だけれど 「はい。場所は問いません」 「場合は問うのね」 「はい」 「きみは話しててわかりやすいからいいわ。二者択一の質問にきちんとイエス、ノーで答えてくれるから助かる」 そうでない答え方がある方が意外だ。白か黒かの質問に灰色と答えていては埒が明かない。双方苛立つだけだと思う。 「先輩、わたしとご一緒しませんか?」 袖を引かれて下を見ると、弘がぽんにゃらと笑っていた。 質問に重要な、何を、が抜けている。 「何を?」 仕方ないので自分から尋ねた。 「わたしと一緒に休みませんか? 先輩が眠くなるまで一緒に起きています」 顔が引き 何を言っているのか。意味をわかって言っていると思えないし、八代自身弘が言っている意味がわからない。 休む? 一緒に。 眠くなるまで一緒にいるって、――一緒に寝ろと? 「止めてください」 駄目に決まっている。 両親の前で何を言い出すのかこの馬鹿は。 |
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