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「なに」
 いただきますをしてからですよ、とにこやかに言い添える弘におとなしく(うなず)いて、両手を合わせたら、つつつっと寄ってきた伊織に覗き込まれた。
「顔悪いよ」
「足りてない」
「足りてねえな」
 伊織の言葉に綾野と次子(つぎこ)が補足を求めたから、たぶん「顔色が悪い」だ。
 なんだか片頬が引き攣る。不機嫌に目を(すが)めた。
「自分の顔立ちなんかどうでもいいからどう言ってくれてもかまわないけど、せめて補足不要な物言いをして。可能な限り」
「一色君は今日はクラスの男子と食べてるの。お弁当の採点をしてもらうらしいよ」
「訊いてない。鷹羽がどこで何やってようとどうだっていい」
 綾野も次子も一瞥(いちべつ)もくれないが、的確な補足を入れてきたということは八代の顔色には気がついたのだろう。
「ね、弘君、やっしー先輩色悪いよねえ?」
 弘に向かって同意を求める伊織の言葉は、今度は、顔、の一文字が抜けていた。
 少しどきりとした。
 この面子(めんつ)だ。
 弘なら言うかもしれない。
 なんといっても、尋ねてきている伊織はもちろん、綾野も次子も、今はこの場にいないが鷹羽も、弘が八代にプロポーズしたのを知っている。
 八代が受けたことも知っている。
 隠し立ての必要がない。
 うん、と弘は頷いた。少し癖のある濃い茶の髪をふわりと揺らして、大粒の鳶色(とびいろ)の瞳を穏やかに瞬かせて肯定した。
「先輩、今日は一緒に帰って一緒におやすみしましょうね」
 ほら見ろ言ったよこの馬鹿は。
 綾野の肩がぴくりと揺れて、それからじっとりと八代を(にら)みつけてきた。もともとが整った日本人形の顔立ちだから、怖い。呪われそうだ。嫉妬と怨念(おんねん)(あふ)れ返る眼差しだけで射殺されそうだった。
 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)はこんな視線の持ち主だったのではないだろうか。
 だとしたら、こんな目線にさらされたなら死ぬのは必定(ひつじょう)だ。
「帰るはともかくおやすみってなに? なに?」
 興味津々で訊いてくる伊織は絶対わかっている。とんでもなく生き生きして輝いているこの顔は明らかに、新しいおもちゃを与えられ、自分の気に入るかどうかを値踏みして品定めしてやろうという意地悪なのに憎めない血統書つき。確証が欲しくて尋ねているのだ。
宇佐美(うさみ)、遊びたいならおもちゃが壊れない程度にしろ」
 さすが次子はわかっている。おもちゃ扱いされるのは気に入らないが、この場合事実なので仕方がない。抵抗するのも面倒くさい八代は、既にすべてを投げていた。弘に任せれば(おおむ)ね収拾はつくし、綾野も鷹羽も渋面(じゅうめん)をつくりはしても引き下がらざるをえない。
 なので八代は全力で弘を利用する。自己防衛は大切だ。
「先輩と一緒に帰っておやすみするの」
 説明になっていない。八代に向けた言葉をそのまま繰り返している。
「泊まるの?」
「うん」
「…………弘」
「はい。なあに綾ちゃん」
 地獄の底から湧き上がるような怨嗟(えんさ)の響きに反応するのが極楽の(はす)の上でまどろんでいる声なのだから、対比が不気味だった。
「どっちに泊まるの」
 疑問符の付属を忘れている。
「どっち……どっち?」
 小首を傾げて地獄の穴を広げないでほしい。
「あんたの家に久我先輩が泊まるの、それとも久我先輩の家にあんたが泊まるの」
「前者です」
 九死に一生を得た気分だった。自分でも(あき)れるほど(やま)しいことはしていないし、弘の両親公認でしかもいつでもおいでと許されている身だ。お天道様を避けなければいけない部分はないが、月のない日に背後から刺されるような気がした。
「一緒におやすみってことは、一緒に寝るの?」
「宇佐美、お気に入りのおもちゃが壊れるぞ」
 (いさ)めているのか(あお)っているのか。次子は香の物を食べている。弘に丸投げしている八代は卵焼きを食べていた。弘の卵焼きは今日もおいしい。ハンバーグを食べたくなったから、明日はハンバーグがいいってねだろう。
 自分勝手絶頂。無責任の極み。
 ――弁当なんかつくったことないけど、柘植サンが喜んでくれるならつくってみようかなあ。
「うん、一緒に寝るの。だから一緒におやすみ」
 のほほん。
 違う。足りない。
 のほほほほほほん。
 伊織が一層顔を輝かせた。最高に喜んでいる。今にも小躍りしそうな顔だ。
 少し視線をずらした先には地獄の業火が燃え盛っている。音がしないだけ恐ろしい。そこいらのホラー映画が喜劇に思える。
「……ああ」
 一応口は挟んできていたものの、それまで傍観者を決め込んでいた次子が、ふと思い至ったような声を上げた。
「それで一緒に寝るのか」
「ええー、それでって何? わかんな――ああ」
 口を(とが)らせた伊織が説明を求めようと次子を見遣りかけ、片膝(かたひざ)を立てて茶を(すす)っている彼女から八代に向き直った。こちらも納得した声を出す。
 ブルネットの(まつげ)が長い。それにきれいに縁取られた猫のような大きな瞳にまじまじと顔を見つめられる。
 顔を見られるのは嫌いだ。
 ――目を見られるのが。
 左目を見られるのが。
 何気ないふうを(よそお)って(おもて)を伏せた。
「なに」
「眠れないの?」
 揶揄(やゆ)の声ではなかった。いつもの、悪戯(いたずら)な声ではない。心配している。
 綾野までが顔を上げ、八代に焦点を合わせた。
「大丈夫なの?」
 低い問いではあったけれど、間違いなく心配の色だった。綾野が自分の体調を案じるなんて思ってもみなかったから、内心驚く。
「大丈夫じゃないから弘と寝るんだろうな。一緒なら眠れるのか」
「うん? ――ああ、うん」
「なら寝ろ」
 ごちそうさま、と言って次子が息をついた。ああよく食ったと背伸びする。
「弘、ごちそうさま」
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