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 ――運動はてんでだめなんだけどなあ……。
 気持ちのいい(かたよ)り方ではある。弘の運動実技の結果は学年ぶっちぎりの最下位だ。それは知っている。教師から伝え聞いた。体力と運動能力は必ずしも比例しない。
 伊織は学業は苦手だが運動神経が抜群らしい。
 次子はやる気からして問題だから、何が得意で何が苦手なのか不明だ。そつなくこなせそうなイメージはある。鷹羽は家庭科が破滅的。技術も当然壊滅的。
 そうするとオールラウンダーは綾野だけということになる。
 ……偏っている。
「あと、付き合ってるのかないのかっていう話が一部で盛り上がってて」
「なにそれ」
「え、だからあの、いつもふたりっきりですから。花に囲まれてーなんて場所もいいし、そうじゃなくたって意識しちゃうよねって女子が騒いでて」
「……」
 どいつもこいつも。
 黙り込んだ八代を見て、寿生は説明しだした。
「園芸部がまず有名なので。今ふたりしかいないって、それで何もないはずないよねみたいに思ってるらしいですよ。ここ、人通りほとんどありませんし」
「短絡的だよねえ……」
 祐介(ゆうすけ)に言ったのと同じ言葉を投げた。寿生が、うう、と心持ち項垂(うなだ)れる。
「柘植先輩が万年主席で有名っていうのもあって、余計に知られてるんだと思います。兄姉(きょうだい)いる人間は結構聞いてますよ」
「で、その人間が別の人間に伝えると」
「はい」
 疲れる。
 ああ、と色のついた溜息をついて、八代は寿生を連れてとりあえず温室内の勝手を説明した。温度計やら空調機やら掃除の仕方やら。冷蔵庫とかなんとかかんとか。
「あっこれ去年品評会出てたやつですよね! ハーマイオニー! ああっ、バロン!」
「よく知ってるね」
「はい毎回見てます!」
 なんという有望株。
「あれ、……田崎氏、キミ柘植サンに告白したいんだっけ?」
 遠藤という名の近藤が言っていたような。今思い出した。
 高確率で、八代の取り澄ましたポーカーフェイスを崩したいがためだけの口八丁だろうが。
 寿生は見入っていたアイスバーグから視線を外し、はあと間の抜けた声を出した。
「いえ。特に何も。あ、英語教えてほしいとは思います」
「……柘植サンの英語はレベル高すぎて参考にならないと思うよ」
 やっぱりか。
 明日あんぱん(みつ)いでもらおう、と理不尽なことを考えつつ、ぐるりと一周した。
「キミ覚えいいね」
 思ったまま褒めたら、寿生の顔がぱっと明るくなった。
「ほんとですか! ありがとうございます!」
「それだけ好きなのに農高行かなかったんだね」
「はい。進学希望なんです。小学校の先生になりたくて」
「理科?」
「よくわかりましたね。なんでですか?」
 わからない方がどうかしている。
 寿生に説明をしながら日課のチェックをして、見たら硝子窓の外は既に暗色(あんしょく)もいいところだった。腕時計の針は六時半を過ぎている。いい陽気で日が長くなってきたとはいえ、七時までに家に着かないなどあってはならない。
「柘植先輩って今日は来ないんですか? さっきのあの、すごいかわいいひとが言ってた感じだと休みじゃないみたいに思ったんですけど」
「柘植サン生まれてこの方休んだことないらしいよ。皆勤。今日もちゃんと来てる。会いたい?」
「はい! 挨拶(あいさつ)を! きっちり!」
 真面目だ。そして何かがずれている。
「ここまで遅いのはじめてだな……高槻(たかつき)サンが捕まえてるのかな」
 園芸部から貴重な戦力を奪っていく非情な女、高槻しのぶ。ケタケタと(わら)いながら弘を連れ去った回数はもう何度だかわからない。今日は伊織が売ったわけだが、解放していないのはしのぶだろう。弘君弘君とかわいがっているのはいいが、八代を目にした瞬間笑顔を凍らせて、
 ――失せろ眼鏡。
 とか言うのはやめてほしい。俺が一体何をした。大体弘だって眼鏡をかけている。そう言うしのぶだって眼鏡をかけているのだ。
「田崎氏、今日はもう帰っていいよ。解散」
「柘植先輩はいいんですか?」
 律義(りちぎ)に尋ねてくるところも例のポメラニアンに似ている。
「うん、いい。これから迎えにいくから。明日からよろしくね」
「はいッ」
「喧しい」
 温室の扉を閉めて鍵をかける。八代の背後で何故か帰らない寿生にふり向くと、彼はきっちり立っての待機状態だった。
 ……ついてきて弘に会うつもりだろうか。
 このタイミングとこれから行く先でそれはいやだ。なんやかやとからかわれるに決まっている。特にしのぶなんか嬉々として突っ込んでくるに違いなかった。さっさと卒業して横取りされてしまえとか言われる気がする。
「田崎氏」
「はいッ」
「喧しい。柘植サンとのご対面は明日にして。俺の名誉のために」
「はあ……」
 これももちろん寿生には意味不明の主張で依頼だ。それでも寿生は実直に首肯して、挨拶をして歩いていった。るんたったとでも鳴りそうな足取りで。
 ――いい引継できそう。
 うきうきした背中を見送りつつ、安心する。弘目当てでなく入部希望、しかも基礎知識がある。もの覚えもよくてやる気はじゅうぶん、これからどう変化していくかはわからないものの、そんなことを言っていたら(きり)がない。体力に自信ありとのことだし、これも見てみないと判断はできないが、期待大だ。
 るんたった、とまではいかないが、懸念がひとつ片付いて肩が軽くなる。少なくとも可能性は持てたのだ。大収穫だった。
 そんないい気分で校舎に戻り、職員室に鍵を返却して使用記録にチェックを入れる。暗く静まり返った学校、廊下は延々と長い。窓は大きなものがずっと整然と並んでいるのに、外の景色は見えない。黒い鏡みたいだ。
 廊下を歩く八代の姿を、水よりはっきり映している。
 夜の学校が怖いというのは、たぶんこういう光景そのもののことなのだろう。
 どれだけ歩いても代わり映えのしない直線の廊下、教室なんかみんな同じだ。特別教室はそれ自体が恐怖になってしまっている。
 廊下の先は見えない。直線なのに。
 闇に(かす)んでいるのだ。
 そして、外を見ようとしても、窓は鏡になってしまっている。
 映るのは自分だけ。
 逃げ場がない。
 ――残酷な箱だ。
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