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 少し違う。
 ――昨日売れたよ。
 声をかけてきたのが成春だった。
 ――きれいに咲くと思います。
 何故あんなふうに応じたのか、今となっては謎だ。そうですか、とか、気づいてたんですかとか。ほかにも答えようはあったはずだ。会話の流れに沿っていない。突然、「きれいに咲くと思う」なんて。
 成春は人好きのする顔で笑った。
 ――梅が好きか。
 ――はい。
 ――よく来てたな。
 ――はい。
 ――花は好きかい。
 ――好きです。
 ――いちばんのご贔屓(ひいき)は?
 ――…………鷺草(さぎそう)です。
 (しぶ)いなあ、と厭味(いやみ)ではなく笑われた。
 八代はそれまで、特別に何か、好きな花を考えたことはなかった。ただ、成春に(たず)ねられて考えたとき、弘の顔が(よぎ)ったのだ。花の手入れをしているときの、静かに微笑んだくちもと。
 だから鷺草と答えてしまった。
 プロポーズされる前だった。
 こんなふうになるなんて、思っていなかった。
 あのとき弘を想って、そして鷺草の名を口にした自分は、何か予感していたのだろうか。期待していたのだろうか。それとも、無意識の中で、既に決定されていたことだったのだろうか。
 鷺が羽を広げたようなかたちの白い花。小さな繊細な花だが、弘自身のイメージというわけではない。
 ――アルバイトを募集しておられるんですね。
 ――希望かい?
 かつて梅が落ち着いていた空席を見つめたまま言った八代に、成春は興味深げに()き返してきた。八代はそこではじめて笑い、成春の顔を見た。
 ――いいえ。ボランティア希望です。
 そして、現在に至る。
 八代がここに来ていることを、誰も知らない。弘にさえ言っていなかった。理由は判然としない。
 別に悪いことではないのに、何故か言いそびれている。
「悪い話じゃないと思うから、真面目に聞いてくれ」
 成春が机に手をつき、ぐいっと身を乗り出してきた。八代はやや仰け反る。
「なんですか、急に」
「聞いてくれ」
「……はい」
 早く仕事に出たいのだが、そういうわけにはいかないらしい。
「……なあ、もし就職希望なら、ここに来ないか」
 思いもよらなかった言葉に、八代はすぐに反応できなかった。
 成春が、八代の目をまっすぐに見つめて続ける。
「造園技能士目指すならなおさら。欲しい人材なんだ。久我(くが)ほどの優良株はなかなか見つからない」
「……また……いきなり、超重量級のお話ですね」
 まさか正社員の勧誘を受けるなんて想像もしていなかったから、八代は戸惑った。表情にはほとんど出ていない驚愕ではあったけれど、成春には伝わったらしい。
「将来を左右する進路の話が軽量だったら、そっちの方が問題だろ」
「ええ、まあ。確かに」
 成春が言いたいことはわかる。今『G*G*』では正社員を募集しているし、エクステリアも手掛けているから造園技能士が欲しいのも(うなず)けた。現在もいないわけではないが、その一級造園技能士の成春の父が腰を痛めてしまったから、どうにも心許(こころもと)ない。なおのこと人員は必要だった。
 でも、まさかお声をかけられるなんて思ってもみなかった。
「急にこんなこと言われても困るってのはわかるんだけどな。もう三年だし、これから進路の話だって詰めていくだろ。とっとと申し入れた方がいいと思って」
 言って、成春が少し照れたような顔でにかっと笑った。
「ここで決めてくれってわけじゃないんだ。ただな、本当に花が好きみたいだから」
「……はい」
 本当に花が好きみたいだから。
 子どもみたいな理由に笑ってしまいそうになる。
 とても大切なことだ。
 だから、八代は迷ってしまう。
 好きなことを職業にして、本当にいいのだろうか。今、八代は、好きという気持ちだけで部活に励み、ボランティアとして働いている。それを、金銭が発生する労働にして、自分はやっていけるだろうか。
 ()(つぶ)されてしまわないだろうか。
 八代には、(てら)いなく好きだと言えるものが極端に少ない。その中にあって、園芸は特別だ。だから、進路も含めて扱いには神経を使う。
 好きなことをそのまま職業にするというのは、恐らく、言葉ほど簡単ではない。
「迷いますね。いいお話だとは思いますし、能力を買ってくださっているのは素直にうれしく思います。ありがとうございます」
「俺の息子よりよっぽどかしっかりしてるよなあ……」
 (あき)れているのか褒めているのかわからない声と顔で言って、成春は腰に両手を当てて背を反らした。
「今時、大学出た方がいいってのはわかってるんだけどな」
 ぽつりと(つぶや)いて、成春は硬そうな手で(うなじ)(さす)った。
「目指すものがはっきりしている専門職なら、一息に行く方がいいと思っていますよ」
 おべっかではなく、それは本心だった。特に、実務経験が求められるというのなら、迷うこともない。
 人生の先で事故や病気に見舞われ、その職を続けていくことが困難になるかもしれないとしても、そんな心配はするだけ際限がないものだ。
「ひとくちに大学といっても色々ありますからね」
 加えて、専門学校も、職業訓練校もある。一本道ではない。
「……考えさせていただけませんか」
 社交辞令ではない言葉が出て、八代自身が驚いた。
 前向きだ。
 逃げたくて口にした言葉ではなかった。そういう道もあるのだと信じられないほど素直に受け止められたし、迷いはあるけれど、何か細い光の一筋が指先に触れた気がした。
 造園技能士。
 知識と経験だけではなく、長い年月も必要な職業だ。
 けして易くはない。
 でも、拒絶の心は浮かんでもこなかった。
 好きなのだ。
 好きだからこそ迷っている。
「おう、待つのは得意だ、安心してくれ。でな、手を出してくれ」
「……? はい。左右どちらですか」
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