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「好きを仕事にするのは、ひとによっては難しいね。うまくいくひとももちろんいるけど」
「自分で言うのもなんだけど、うまくいかない気がするんだよね」
 少し、違う。
 ただ自信がないのだ。
 八代が抱いている思いは、うまくいかない気がする、とはややニュアンスが違うものだった。
 鷹羽が呆れた溜息をつく。
「……おまえは本当になんていうか……自己評価が低いっていうのかな、我儘(わがまま)なわりに臆病だし」
「正直に言わないでよ。傷つく」
「しかも意外と繊細だ。甘えたがりだし」
「傷つく」
 嘘か本当かわからない調子で、実のところ八割方の本気を込めて鷹羽を責めた。鞄のポケットを探って小箱を引き出す。八代の手に収まる大きさのものだ。
 封をしていた口を開けて、箱をわずかに揺らす。ひょこりと飛び出た細い棒を(つま)むと、八代は人差し指と中指でそれを挟み、くちもとに持っていった。
 鷹羽はむっと眉根を寄せた。この男は何度言っても、という気持ちが湧き上がる。
「煙草はやめろって言ってるだろ」
「煙草じゃないよ」
「煙草にしか見えない」
「シガレットチョコ。観察眼が足りてない」
 言いながらぽきりと()み砕いて、(くわ)えたままするする口の中に運んでいく。
「……八代、甘党?」
「筋金入り」
「知らなかった……」
 そもそも、鷹羽は八代が飲み食いしているところをほとんど見たことがなかったのだ。いちばん古い記憶から数えても、まだ一年も経っていない。
 ふ、と気づく。
「――そういえば」
 煙草の気配が消えている。
「喫煙はしても飲酒はしないな。僕が知らないだけ?」
「んん、酒は飲まない」
 煙草はやめろと怒鳴ったことは何度もあるが、酒を飲むなと言ったことは一度もない。あれだけ怒鳴っても聞く耳持たずで煙草を()っていたのだ。飲酒をしていたのなら、鷹羽の前で飲んでいてもなんの不思議もない。隠す必要がないことだ。
 肌に残り香を感じたこともなかった。
「苦いものは嫌いなんだよ」
 小さな子どもみたいだなとは思ったが、口にはしない。代わりに、
「弘君と飲み比べたら負けそうな台詞だね」
 と言ってみた。
 予想外の言葉だったのだろう、八代が怪訝そうに鷹羽を見る。
「柘植サン、酒飲むの?」
「飲むというか……お屠蘇(とそ)だけだろうけど。博さんが強いんだよ。雅さんはザル通り越してワクだし……弘君だけ弱いと思えない」
「ああ……」
 納得したような声が返ってきた。
「弘君がさんまの塩焼き食べるの見たことある?」
「ない」
「頭と骨と尻尾しか残さない」
「……(わた)も食べるの?」
「食べる」
 ものすごくリアルに想像できた。
「苦いもの好きだっけ」
「好きかどうかは……嫌いなものがないっていう方が正しいんじゃないかな」
「それはよくわかる」
 ものすごく、ものすごく納得してしまった。彼女は(ぜん)に上がったものは一切残さない。
「まあ――」
 チョコレートを食べきって背伸びをした。
 八代も鷹羽もそれぞれが感慨深い。
 人前で背伸びなんて、そんな気の抜けた格好を見せるなど、考えられなかったことだ。相手が鷹羽であることを差し引いても、とんでもない変化だと思う。
「進路をはるかに上回る大問題が未解決だしね。進路なんて平和で平凡でありがたい悩みはそのあとかな」
 ミルクティーを飲み干し、八代は礼儀正しく「ごちそうさま」と言った。
 ――大問題。
 未解決。
 ――解決しようという意志がある。
「ハードルくらい?」
 八代の大問題がなんなのか、聞いたことはないが予想はつく。――というよりも、ほかに思いつかない。彼は、養父から与えられたマンションで落ち着けず、眠れないのだ。
 倒れるほど。
 原級留置するほど。
「まさか。万里の長城も目じゃないよ」
 いつもの調子でしれっと返された。
「少し前まで、宇宙から肉眼で観測可能な唯一の建造物って言われてたものだよ」
「それくらい高くて分厚くて長くて根深い」
「四重苦なのか」
「まあね」
 なんでもないように言い、新しいチョコレートを箱から取り出した。先ほどと同じように咥える。
 煙草だと思った。
 八代が煙草を喫うときの仕草や癖は知っている。だからこそ勘違いをした。咥えているもの自体を見て判断したわけではない。八代の俯き方や、煙草を取り出すとき箱を少し揺らして一本を持つ仕草、人差し指と中指で挟んでくちもとへ運び、咥えて――そのわりに音を濁らせることもなく器用にしゃべる。
 それを知っているから、あれは煙草だと。
「禁煙はじめたのか。やっと」
「うん」
「僕がどれだけ言っても聴かなかったくせに」
「鷹羽と柘植サンじゃ俺に対する影響力が違う」
 まったく苛立たない。もちろん腹も立たない。嫉妬なんか根底からない。
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