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 笑ってしまう。
「なんで笑われてるのかな。不可解」
「いやごめん。こんなに厭味と皮肉で惚気(のろけ)る人間も珍しいんじゃないかと思って」
 一応(こら)えようと努力はしている。でも(おさ)えきれないからどうにも不自然に声と肩が震えてしまって、結果妙な笑い方になってしまっていた。
 八代は眉を顰め、()ねた。
「もう鷹羽に話したくない」
「僕はいつでも聴くよ」
 笑えて仕方がない。
 なんだか子どもみたいだ。お母さんっ子の小さな子ども。
 でも、それでいいと思う。
 甘えるのも甘ったれるのも、時期と機会さえ見失わずに選べば、必ずしも悪いことではない。泣いている赤ん坊があやされていても誰も叱らないし、幼子が親に抱っこをせがんでも誰も責めない。
 本来それらは乳幼児期に許され満たされ、子どもはそれを無意識という下敷きにして安定を得る。自分を愛してくれるひとがいるのだと身体で知り、ひとを信じられるようになる。
 八代にはそれがなかった。
 鷹羽の知るところではないが、恐らく彼は正反対のものを与えられ押しつけられて、きっと身体に叩き込まれてきた。
 それなら、今、弘に甘えてもいいと思う。
 弘から、愛されることや大切にされること、守られることを教えてもらえばいいと思う。
 彼女の許容量はバケツや(たる)程度ではないのだから、きっと八代はいつか満たされる。
 八代は惰性の無意味な喫煙をやめた。眠れることを知った。
 問題を問題と(とら)えることを覚えた。
「健闘を祈るよ」
 心から言った。
 ――鷹羽くんがわたしに愛してるって言ってくれるみたいに、わたしも先輩のことを愛してるの。
 ――大事なひとなの。
 弘は、好きなひとが幸福でいてくれるのが幸福だという。単純で明快だ。とてもわかりやすい。それはきっと、子を愛する親が、子どもの幸福を願わない親はいないと言い切る確信と信頼のあたたかさだ。
「祈ってくれなくていいから、話聴いて」
「もう話したくないって言ったくせに」
 まだ舌の根は乾いていないように思う。
「そんなの忘れた。話聴いて」
「我儘」
「今さら」
「お願いします、は? たとえ相手が自分より年下でも序列として下でも、何かを頼むときはお願いしますと頭を下げるものって弘君に教わらなかった?」
 八代は黙った。
 また新しいチョコレートを取り出して咥えてぽりぽり食べる。
 一本食べ終わってからぶすくれた溜息をつき、ぷいとそっぽを向いた。
「おねがいします」
 大事なひとなの、と言った弘を思い出す。
 弘にとって、八代は大切なのだ。
 愛するひとなのだ。
「喜んで」
 (こた)えた鷹羽に、すぐに「ありがとう」が出てこないあたりが八代だ。仮に思っていても、たぶん言わない。(ひね)くれているから。
 まだ、言えない。
 でも――
 照れているのかもしれない。
 そう思ったら、幸福な微笑が少しだけ声になって零れた。



 いつの間にか、祐介(ゆうすけ)と弁当を食べるようになっていた。
 温室での昼食は毎日なわけではない。でも、弘は弁当をつくってくれる。昼食が温室で行われなくても、つくってきてくれた。午後の部活の別れ際に、明日は弁当を用意させてもらっていいかと律義(りちぎ)に質問してくる。
 八代はおとなしく頷いていた。
 断る口実が思い浮かばないのだ。彼女を傷つけずに断る口実。「大変でしょ、無理しなくていいよ」と言ったことはある。それに対する返答は、「手間は変わりません」だった。
 彼女は、八代がものを食べられなくなったときのことを知っている。だから手間も暇も時間も惜しまずつくってくれるのだ。柘植家の食事は、無理なく自然に食べられたから。
「ふわー。今日もデザートつきかよ」
 あんぱんにかぶりつく祐介が感嘆の声を漏らした。
「オレンジジュースにアガー入れて固めただけだって言ってたよ」
「アガーってなに。だからどうってことないって思ってんの?」
「まさか。何々するだけってことほど面倒くさくて手間なものないと思ってる。(うらや)ましいでしょ」
 いただきます、と手を合わせた。祐介が口を尖らせる。
「羨ましいよ。羨ましいですよ。あー、いいなあ。かわいい妻の特上愛妻弁当」
「あげないからね」
「わかってますぅ」
 どーせ俺は独り身ですよ、とおもしろくなさそうな顔をして、祐介はあんぱんを噛みちぎった。
「こんなことしてたら、すーぐ卒業だなあ」
 祐介が、不意にそんな言葉を漏らした。
 八代の心がずしりと沈む。
 今どこにいるのか。
 どこへ行きたいのか。
 何を掴みたいのか。
 あれから何度も『G*G*』に行った。成春は八代を()かすこともせず、答えをくれと詰め寄るわけでもなく接してくれる。
「ねえ遠藤(えんどう)
「だから近藤(こんどう)だっつーのにな。人様の名前間違えるとか超失礼だぞ」
「『超』ってやめて。『遠藤』は愛称でしょ」
「祐ちゃんを愛称にしてくれ。どうかしたんか」
「好きを仕事にってどう思う?」
「ちょーさいこー」
 即答。
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