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「仕事にしたいレベルの好きって相当じゃん。そらやるわ。なに、花屋? 花屋開くの?」
 あんまりにも明るいので笑ってしまった。
 祐介が嬉しそうな顔をする。
「いいねいいね、久我、おまえもっと笑うといいよ。笑うと結構かわいいから」
「うれしくない」
「まあそう言わんと。で、花屋?」
「いや……」
 花屋か。
 思い至らなかったが、『G*G*』は花屋だ。造園技能士のことで頭がいっぱいだった。
 花屋で働く自分。
 ――想像できない。
「造園技能士とか、造園施工管理技士」
「なにそれ。わかりやすく言って」
「……公共の場も請け負える庭師」
 という感じ――だろうか。なんか違うなという気がしなくもないのだが、ではこれ以上どのように噛み砕けばいいのかといったら、それはそれで思い浮かばない。
「公園つくるとか?」
「そういうのもあるね」
「すごいじゃん」
 祐介の目がきらきらした。
「そんな目で見られても、俺はまだなんでもないんだけど」
 逃げたがっている心があった。職から逃げたいのではなく、単純に祐介の勢いと、よくわからない尊敬の眼差しに戸惑ったのだ。
「えーだってすごいじゃん。しかもそれが好きとか!」
 好きというのも語弊(ごへい)がある。八代が好きなのは花であって、庭ではない。
「あ、……」
 ――そうか。
「庭じゃないんだ」
 ふっと胸の片隅が明るくなった。
 そうだ。好きなのは花であって、庭をつくりたいと思ったことはない。
「俺が好きなのは花」
 確かめるように言ってみる。
 とても自然に身体に馴染んだ。
 祐介はあんぱんにかぶりつくのを中断して首を捻った。
「いいんじゃね? 庭があれば花咲くじゃん。庭さえあればさ、温室みたいに薔薇まみれにできるじゃんか。そのすごい庭師ってどうやったらなれるの。資格?」
「国家資格。受験資格は色々ある」
「へー。職業訓練校とかそういうの?」
「それもあるね。大学でも短大でも、修めるもの修めれば」
「学歴積めるとか文句なしじゃん。もーらいっ」
「あ、ちょっと、卵焼き」
 祐介は器用に卵焼きを摘み上げると、ぱくりとひとくちで食べてしまった。
「うわめっちゃ美味い」
「柘植サンの卵焼きなんだからおいしくて当然なんだよ。恨むからね」
「もう一切れあるのに、そんな恨むまでいかんでも」
 (にら)んでやったが祐介はけろりとしていた。それがまた憎たらしい。
「おーい久我!」
 教室の入り口から呼ばれた。
 見れば、コーヒー牛乳のパックを持った慎吾(しんご)が手招きしている。祐介に視線を送ると、ものすごくいい笑顔を向けられた。こいつ摘み食いする気だ。
「摘んだら明日あんぱんもらうからね」
「いーよそんくらい、安い安い。何食べよっかなー」
「全部食べないでよ」
「安心しろ、そこまで食い意地張ってない」
 信用できなかった。
 昼食の楽しげな空気の中、机とひとの間を縫っていく。
「なに」
「竹下先生が放課後来いってさ」
 なんとも狙ったようなタイミングだった。
 ――俺が好きなのは、庭じゃなくて花。
 ふり向く。メインの唐揚げをもぐもぐやっている祐介と目が合った。
 笑顔で親指を立てられた。美味かったらしい。で、気に入ったらしい。
 ――庭があれば花咲くじゃん。
 庭さえあれば、温室のように薔薇を育てて、咲かせることができる。
 枝垂れ梅を思い出した。
 後悔をすり抜けた憧憬と、悔いるにはあまりにも淡すぎた夢。

 八代が欲しいのは、花が咲く庭だ。




 竹下教諭はぽかんとした。
 禿頭をつるりと撫でる。
 八代は微笑んだ。
「ご心配をおかけしました」
「お、おぉ……」
 いつかの呼び出しと同じように空は晴れていて、けれど暑さは増していて。
 梅雨が来る。
 紫陽花(あじさい)が色づき、緑がますます勢いを増して燃え上がり、下草が輝く季節が来る。
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