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 言葉はありふれたものだ。なのに、弘が言っているというだけで、八代はそれだけには逆らえない。怖がりながらでも顔を上げて、どんなものよりも恐ろしい彼女の瞳を見つめてしまう。
「俺は子どもをつくれない。精神的じゃなくて、肉体的に」
 精神的にも無理だが、もしかしたら、何か劇的な変化が訪れ、迎えられる気持ちになることはあるかもしれない。まったく想像できないけれど、もしかしたら。もしかしたら。何か奇跡が起こったら。――けれども、肉体的な点はどうにもならなかった。
「検査してる。自分が気持ち悪くて……倒れて学校行ってなかったときにね」
 先天性のものだった。思えば、自分から何かを頼みに養父のもとを訪れたのは、あれがはじめてだった。
 自分の身体が気持ち悪かった。恐ろしくもあった。顔も見たことのない実父の血と、それが確かに流れているという事実に追い詰められていた。鏡を見るたびに目の当たりにするのだ。養父を裏切った女に似た顔と、それに加担していた男と同じ左目。
 子どもは父親と母親の両者から遺伝子を半分ずつ分け与えられてつくられ、産まれてくる。
 汚らわしかった。
 自身の身体が汚物としか感じられなくなった。たとえ真っ二つに切り裂いたとしても、どちらも汚い。
 八代は、子どもが怖かった。もしも子どもを持ったとしたら、その子どもは、身体半分が汚物で構成されている。自分と子どもはどんなに近しくても他人なのだと、頭でわかっていても受け入れられなかった。心が納得してくれない。
 分身のような気がした。
 子どもに自分自身の幼い影を見つけるたびに、手を上げてしまいそうな恐怖があった。
 汚らわしくて、何もかも怖くて、許容できなくて。
 己の身体は何も生み出さない虚無であると思いたくて、養父に頼み込んだのだ。
 でも、まさか本当に何も生み出せない身体だとは思わなかった。
 安堵と絶望に同時に襲われ、それから八代は自分の身体を適当に扱うようになった。
 妊娠させてしまう心配がないから女と関係していたのではない。どうでもよかったのだ。心の底にわずかばかり残っていた、ぬくもりに触れたいという、唯一と錯覚するような人間らしさに縋ってもいた。
「取り下げるなら、今取り下げて。博さんにも雅さんにも、自分から言うから」
 弘に非はないのだ。
 同時に、八代にも非はない。
 けれど、悪い気がする。こんなふうに生まれついた自分が悪い気がする。何かの罰のようにも思える。親の因果が子に(むく)い、などというつもりはないが、少なくとも養父からすれば、八代は裏切りの象徴なのだ。彼は八代の存在を認めてくれたけれど、事実を変えることはできない。
 だからきっと、これは罰だ。
「八代さん」
 びくりと肩が揺れた。
「……なに?」
 どう反応したらいいのかわからず、動揺を隠せないまま応じる。
 名前を呼ばれたのははじめてだった。
「わたしと結婚してください」
 ――そんな、透明な目で。
「わたしは子どもが欲しくてあなたに結婚を申し込んだのではありません」
 透徹の瞳で。
「柘植サン」
 たまらず、八代は片手で両目を覆った。
 弘の視線を受け止めきれない。
「柘植サン、お願いだから」
 弘の中にも、渦巻くものがあるだろう。八代が明かしたのは、軽んじても特段問題なく済むような類のものではない。
 彼女は真実を尽くすと言ってくれた。
 嘘ではないとわかる。
 その上で、一緒にいたいと言ってくれている。
 ――どんなにつらく思っていても、恥ずかしくても、受け入れてくれるのではないかと。
 ――赦してくれるのではないかと。
 でも、弘のその許容が。
「お願いだから、……そんなふうに……」
 細く吸い込む呼吸が震えた。
「俺のこと全部、肯定しないで」
 手の暗闇の中で目を閉じる。
 ――怖い。
 目を開けてなどいられない。
「俺を赦さないで」

 何もかも赦してくれる、弘の許容が息苦しい。

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