忍ぶれど色に出にけり我が恋は

 惚れ直す、というのは、同じ人間に恋をし直すということと理解していいのだろうか。
 それなら、と(ひろし)は視線を巡らせ、左隣で背筋を真っ直ぐに伸ばして座っている(みやび)を見る。
 俺はもう、まったくおんなじひとに何度も恋し直してる。
 友人の披露宴に出席しているのだった。
 雅は、『日本人がドレスを着てもそれなりに見えるのは、周りみんな日本人だからよ。日本国外行っても綺麗に見えるっつったら、()(ぽど)の美人じゃなきゃまず無理だと思う。遺伝子から洋服を着続けてきた人のドレス姿を()()たりにするとね、日本人女性をいちばん綺麗に見せるのは和装だなあとしみじみ感じ入るよ』――と、言っている。
 ちなみに、このときの彼女の言う日本人というのは、『恐らく先祖は皆和装に身を包んでいた東洋人』を指す。
 何々人、というのは、あくまでもその国に籍を置いている、というだけのことだ。親兄弟親類縁者が皆東洋人でも、フランス国籍を取得すればフランス人なのだ。
 そこんとこを間違っちゃ駄目だ、と雅は言う。
 そこんとこわかってないと、とても無責任なことを口走ってしまうから、と。
 そんなわけで、雅の礼装はいつも和服だ。
 世界各国に幅広い年齢層の友人を持つ彼女は、時々結婚式に呼ばれて海を渡る。そんなときは、和服で出掛けて和服で帰ってくる。ドレスの中にキモノは目立つが、慣れないドレスを着ているよりも、ずっと場にも自分にも馴染(なじ)むらしい。
 だから雅は、着物慣れしている。着物は、着慣れている人間とそうでない人間では、見え方がまったく違う。
 前者である雅は、歩くときの(すそ)()け方までが様になるのだから、これはもう見惚(みと)れずにはいられない。恐らく、博でなくても。
 披露宴会場は、大きいとはいえないけれど、とても明るい――会場というよりは部屋というのがぴったりの、あたたかい印象だった。
 談笑しながら入場する人々の中に友人、知人を見つけて挨拶し合う。友人が雅を見て、本気とも冗談ともつかない口調で(多分半分くらいは本気だろう――それともこれも、博の好いた欲目なのだろうか)、「きれーな嫁さんだなあ」と照れたように礼をした。
 それを受けて、雅は一瞬目を合わせ、すっと伏し目がちに微笑した。丁寧に挨拶を返して折り目正しく礼をする。
 博は、黒髪の(こぼ)れかかった(うなじ)の、少し薔薇色の差した陶磁器のように白い肌にどきりとしてしまった。
 雅はこんなに色の白い子だっただろうか。首だって、すぐに折れてしまいそうに細い。
 あんなにたくさん抱き締めてきていて、壊れたことがないのが不思議な気がした。
 何を嫁さんに見惚れてるんだ、という揶揄(やゆ)台詞(せりふ)に苦笑で返す。面白いひとね、という当り障りのない、雅にとっては興味のなさと程々の好意のこもった評価に返事をすると、(おもて)を上げた雅と目が合ってしまった。
 きちんと薄化粧をした雅は、黒い髪をひとつにして(まと)めている。
 穏やかに微笑を含んだ彼女の表情はやわらかで、すっきりとしていた。そして、一分の隙もない(りん)とした(たたず)まい。重ねられた両手の指先の均衡(きんこう)まで計算され尽くされているかのような落ち着き。
 女の迫力は、こういうところにあると思う。
 ぴんと張り詰めた弓の(つる)のような緊張感と、静けさ、涼やかさ。ほんのりと薫るあたたかさ。
 逆らえない。敵わない。底が見えないのだ。深淵に、畏怖(いふ)さえ覚えてしまう。
 雅の感情の不安定さや、気性の激しさを知っている博ですら、そう思う。
 (ある)いは、知っているからこそ、そう感じるのか。
 テーブルの上には、鏡のように磨かれた皿と銀食器が鎮座していた。席を見つけると、雅の椅子を引いてやる。雅はくすくすと笑いながら、そんなサービスどこで覚えたの、と博をからかった。
 何気なく周囲を見渡すと、和装なのは新郎新婦の親族、特に母親や祖母だけだった。他は皆、色とりどりのドレスに身を包んでいる。普段でも通用しそうなスーツ姿の者もいる。ハレとケの境界線が曖昧(あいまい)になっているのかも知れない、と言ったのは有栖川(ありすがわ)だったか。
 どこか浮世離れした博識の友人の(げん)を思い出しつつ洋装姿の女性たちを見ても、見栄(みば)えがしないとか、しっくりこない等の感想は浮かばない。着飾った女性は――博が男だからだと言われてしまえばそれまでだが――やはりそれなりに、むろん顔の美醜ではなく美しく見える。
 ただ、それ以上の感想はないのだった。
 雅は、向かいに座った英国人男性の冗談にころころと笑っていた。「あら」とか「まあ」とかいう感嘆詞は日本語なのに、会話の部分はしっかり英語だから、傍で聞いているとなんだか不思議な感覚だ。
 雅の両手は綺麗に重ねられて、膝の上に置かれていた。彼女は常に、椅子に深く腰かけることをしない。その習慣が、和装の際にとても美しく映えた。
 雅は着物に身を包むと、博の目にも別人に映る。
 笑みを抑えて(わず)かに伏せられた(まつげ)が、滑らかな頬に淡く影を落とした。
 話を区切ったらしい雅は、会場前方の新郎新婦の席に視線を注いでいる。感情は読み取れなかったが、眼差しはやさしかった。
 何を考えているのだろう。
 雅の左胸に咲く桜の花が、ひっそりときらめいていた。
 博と雅は、壁に背を向けている。背後には誰もいない。円卓にかけられたクロスは淡いオレンジ色で、白い木の窓枠に区切られた青空によく似合った。
 小さな円卓が好都合だった。床にまで届く、長いクロスも。
 そっと、右手を伸ばす。着物の膝の上に落ち着いている彼女の両手に重ね合わせた。
 雅は視線を動かさないまま、少し驚いた様子だった。が、すぐに、ふと目元だけで微笑むと、やはり視線を前に向けたまま、右手を博の右手に重ねる。
 てのひらの中の雅の左手と、その上の彼女の右手。
 細い指の感覚と体温、彼女の左手の薬指の根元だけが硬質だ。
 ――惚れ直す、ということが本当にあるのなら。
 それが、同じひとに恋をし直すということなら。
 博はもう、何度も何度も、雅にばかり恋に落とされてしまっている。
 緩く力を込めると、雅も微かに握り返してくれた。雅はどこまでいっても視線を交えようとしない。それが彼女の高い自立性を表わしているように思えた。
 そうして、また、惚れ直してしまうのだ。
 こんなことを言ったら、馬鹿にされるだろう。そう思うのに、想ってしまう。
 ――俺には雅が一番なんだ。
 雅が、ふふ、と小さく肩を震わせた。そして、博にだけ聞こえる声で、そっと呟く。
「やっぱり、博さんが一番いい男だわ」
 心臓を直撃した。
 いい男だ、いい女だ、頭のいいひとだ、この三つが彼女にとっての最高の褒め言葉であることを、博は知っていたから。
 ――ああ。
 俺はこんなにもいい女に愛されて、幸せだ。





end.



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