反則ダーリン

 謎といえば、ナスカの地上絵とかモアイ像とかピラミッドとか邪馬台国とか色々あるわけだけども。
 さしあたっての(ひろし)の謎は、向かいで味噌汁(葱と豆腐、ちなみに合わせ味噌)を(すす)っている愛妻、柘植(つげ)(みやび)そのひとなのだった。
「うーん……」
「何?」
「や、最近どっこも行ってないなと思って」
 (さわら)の揚げ物を摘みながら言う。
 ハァと博は頷く。
 雅は十六の頃からせっせとアルバイトで金を貯め、諸外国をひとり旅していた。親戚中から借金したり(もちろんもう返したけれど)、ヒッチハイクしたり教会に転がり込んだり色々な手段で放浪したらしい。ひとは見かけによらない。彼女は強く(たくま)しい。サバイバルなんかやったら、もしかすると俺より頼りになるかもしれない、と博は考える。
「まあそれを承知で結婚したからそりゃいいんだけどね。そろそろまたどこか行きたいな。ピースボートにもまた参加したい」
「結婚したくなかった理由ってそれ?」
 雅にプロポーズしたこと実に四回、断られた具体的な理由は部分部分で情報量に差がある。
「うん、理由のひとつではあるね」
 茶碗の底のご飯粒を取りつつ、雅は首を縦に振る。
「もともと私があんまり結婚てもの夢見てなかったんだけどね。お金貯めて旅行するようになったら、結婚のデメリットとメリットの比率がご飯と梅干みたいになっちゃって」
 あははと雅は笑う。
 博からすれば笑い事ではない。
 博はまたもはあと生返事して湯呑みを傾ける。雅は正直だ。歯に(きぬ)着せない。
「ええと……みーさんなんで俺と結婚したんですか……」
「なんでってそんなの。博さんと結婚したら、種類は違っちゃうだろうけどそれでもしあわせかもしれないかなって思ったからに決まってるでしょ。――うん、まあ……しんどかったこともあった、けど」
 馬鹿ね博さん。
 多分照れ隠しで呆れ顔の雅、博は今度は別の意味で沈黙した。
 ほんとうに。
 歯に衣着せない。それが雅の雅たる所以(ゆえん)なのだった。一撃で博を沈めるくせに、無自覚のたった一言で天にも昇る気持ちにさせる。その落差があまりにもシュールすぎて、博は時折、不安と呼ぶには甘い疑問を抱くのだ。
「何番目……」
 ぽつりと呟いた博の言葉に、雅は怪訝(けげん)そうに湯呑みを置いて旦那様を覗き込む。
「俺のことは何番目に好きですか……?」
「――――――――――――――――はぁ?」
 思いっきり、嫌そうな顔をした。
「何馬鹿なこと言ってんの」
「いや結構切羽詰(せっぱつ)まってる上に必死なんだけど」
「何、なんなのナンバンメってのは」
 がっと急須(きゅうす)鷲掴(わしづか)み、おかわりを訊きもせずに博の湯呑みに冷めきった緑茶を注いだ。その湯呑みをぎくしゃくと持ち上げながら、博は、
「いやふと疑問に。一抹の不安とでも申しましょうか」
「それって私に対してすごく失礼じゃない? 愛されてる自信がないの? 結婚までしといて」
「いや。自信はある!」
 博は胸を張った。雅は右頬に「うわぁ……バカ」と書いて博を睥睨(へいげい)する。
「いちばんは期待してないんだ?」
「そんな恐れ多い」
 急須の蓋を開ける。熱い湯を注ぎ込むと、円い口から白い湯気が立ち昇った。その湯気を封じ込めて、雅は自分の湯呑みに香り立つ緑を流し込んだ。そしてにっこり笑顔を浮かべる。
「五番目ね!」
 あっさり。
「ごばんめ」
 博は鸚鵡返(おうむがえ)しにした。
「いちばんは行ったことのない土地で、二番目は未読の本、三番目は見たことない絵、四番は聞いたことない音楽! 博さん五番目!」
 ああこれは。この、わざとらしいまでの、頬に張りついた笑みと滑らかな口調と辛辣(しんらつ)な皮肉は。
 ご機嫌な証拠だ。
 五番目五番目。何度も反芻(はんすう)する。ふふんと悪戯(いたずら)を成功させた子どもみたいに満足そうな雅のほっぺた、くちもと。でもまだ甘いよと博は思う。気づいてしまったから。
 甘いよみーさん。うさぎ屋の金魚鉢パフェ蜂蜜ソースより甘いよ。
 ――バレバレだ。
 冷たい緑茶を口につける。(こら)えきれない笑みが(こぼ)れてしまう。嬉しい。
 恋の対象は、何も人間だけではない。雅が挙げた四つ、それは彼女がとても魅力的と賞賛してやまないものだ。
 それに次いで五番目。
「光栄です」
「苦しゅうない」
 何だそりゃ。
 くすくすと笑う。
「うくくくく。へっへっへっへっへっ」
「ヘンな笑い方しないでよ気持ち悪いな……」
「いやー。だってへへへへへ」
 雅が上目遣いに(にら)む。
 頭もいいから毒舌も半端じゃないが、それが雅の照れ隠しだとわかってしまえば微笑ましいばかりだ。ほんのり頬を染めて、まったくどうして素直じゃないか。
 そういうとこもかわいいんだ。
「人間のうちじゃ俺いちばんだから」
「……」
「文句ありません。充分。ふふふふふ」
 雅はぷいと横を向く。
 博はくちもとを(ほころ)ばせたまま、幸福絶頂に(ひた)って笑う。
「……だらしないカオしないでよ」
「嬉しくて」
「馬鹿」
「ありがと」
「ヤな男」
「最高」
「何考えてんの」
「みーさんのことっ」
 語尾にしっかりピンク色のハートを飛ばしてくれた博に絶句。平静を取り戻そうと熱い緑茶を冷まして口をつける。
「博さんてさ」
 どん。
 湯呑みを置く。
「鋭いから嫌なのよ」
 言っていないことまで、言葉の外までを、読み取ってしまうから。隠していても無駄なのだと、思い知らされてしまうから。
 ――なんだか私だけが振り回されているみたいだ。
「んん」
 博はきょとんとして、それから溜息つくみたいに笑って。
 悔しいなあと、思う。
「それは失礼をば、奥さま。……ふへへ」
 椅子に腰掛けたまま、ぺこりと頭を下げる。見ているこっちが恥ずかしくなるような甘々の笑顔で。こういうときの博の顔は、溶けきっていて直視できない。だけど。
 反則だろ、と思う。
 その身長でその年齢でそのかわいさは反則だろ。
背の高い男なんか苦手なのに。かわいいと言って撫でていい年齢でもないのに。
 ――かわいすぎるよ、この男。
 雅はこっそり溜息をついた。めろめろになってしまっている、救いようのない自分を誤魔化(ごまか)すために。





end.



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