ぱんつをはいた日

 これは、(りく)が魔王の屋敷に住むようになってから、まだ幾日も経たないうちの話だ。
 季節は初夏。
 緑が萌え、鳥が歌い、花が香り、虫たちが働きまわる。木々の隙間から漏れる陽光は明るく、そして確実に強さを増している。これから来る、短い夏の暑さを予感させるように。
 薄藁色(うすわらいろ)の長い髪を後ろで一本に結った若葉色の瞳の魔法使いは、がさがさと生い茂る草や低木を掻き分けながら、深い森の中を歩いていた。この森は付近に住む人間たちからは、禁域もしくは聖域とされているから、ひとのための道はない。まるきりの獣道だ。ルンペルシュティルツヘンは、張り出した木の小枝に引っ掛かった髪を(ほど)きながら、
 ――この頃よく通うようになったし、せめて道くらい作ろうかなあ。
 などと考える。
 目的地は、魔王の屋敷。
 森のほぼ中心にある。一時期、まだ魔法を学びはじめた頃には、ルンペルシュティルツヘンもそこに住んでいた。彼の感覚からすれば、もうずいぶん昔の話だ。魔王――ルンペルシュティルツヘンはヴァルグレイヴと呼んでいる――からすれば、昨日一昨日と変わらないのだろうが。
 独立して、自身の屋敷を持ってからも、ルンペルシュティルツヘンは気まぐれに彼のもとを訪れた。けれど、魔にあまり深く干渉し過ぎると、魔に捕らわれてしまう。ヴァルグレイヴと付き合っていたことが直接の原因とは思えないが、事実ルンペルシュティルツヘンは二十歳前後で老化が止まった。時の干渉を、完全にではないものの避けてしまうようになったのだ。
 魔法使いの中でも、ほんの一握りにしか現れない、稀有(けう)な変化。
 代謝はあるから、傍目には普通の人間と何ら変わるところはない。それでもやはり、ごく普通に生を営む人々とは隔たってしまうところがある。それに、単純に、ルンペルシュティルツヘンはヴァルグレイヴを好きだった。
 気難しいし、無愛想だし、寡黙(かもく)で生真面目だけれどどこかズレていて、扱い難いことこの上ない男だけれど、彼の静謐(せいひつ)はすべてを受け入れる。夜の闇のようなものなのだろうと、ルンペルシュティルツヘンは思っている。
 夜の闇は怖ろしいが、一方で、生命に休息という安らぎを与えてくれる。そんなようなもの。だからきっと、彼の屋敷の周囲には、獣や鳥たちが身体を安めに、あるときは傷を癒しにやってくる。
 ルンペルシュティルツヘンは、この頃、以前よりもずっと、それこそ連日にわたり彼の屋敷を訪れるようになっていた。以前は一月に一、二度訪れるだけだったのが、一週間に二、三度の割合になっている。
 ヴァルグレイヴ独りきりだった屋敷に、住人がひとり、増えた。
 名前は陸。それ以外のことについては何も知らない。
 別に知らなくてもいいと思っている。知らなければならないことであるなら、知る必要が出来たときに、望む望まないに関わらず自然に知ることになるだろう。
 陸は小柄で華奢(きゃしゃ)な、赤銅色(しゃくどういろ)の短い髪と紅茶色の瞳の、まるで春を擬人化したみたいな存在だった。恐らく、ヴァルグレイヴにとっては春そのもの。やわらかであたたかく、ふわりと軽やかな、甘い薔薇色(ばらいろ)の。
 人見知りしない陸は、ルンペルシュティルツヘンにすぐに(なつ)いた。もうとっくにこの世にはいないけれど、かわいがっていた妹のことを思い出して、冗談まじりで「お兄ちゃんって呼んで」と言ったら、律義(りちぎ)に「お兄さん」と呼んでくれるようになった。なんだか本当に妹が出来たみたいな、くすぐったい気持ちだ。
 先日、陸が蜂蜜(はちみつ)入りのミルクが好物だということを聞いた。蜂蜜なら、近所――といっても結構な距離を歩くが――の菓子屋に、色々な種類が揃っている。ルンペルシュティルツヘンは早速蜂蜜を土産に、古い友人と陸を訪ねて、決して近くはない道程をのんびりと歩いてきた。
 これまで、幅の広い葉の木の枝が重なり合って真昼だというのにうっすらと暗かった景色が、少しずつ明るさを増してきた。木々が途切れてきているのだ。ヴァルグレイヴの屋敷はもうすぐそこだ。
 低木を(また)いで、また少し歩くと、不意に視界が開けた。
 光が(あふ)れている。季節の花々が、匂いたつように咲き競っている。風に乗って、微かに歌声が聞こえてきた。甘く、やわらかな高い声。春の到来を喜ぶ歌を歌っている。ルンペルシュティルツヘンは微かに笑った。本当に、まるで天使の歌声だと思って。
 歩を進める。玄関を素通りし、南端の部屋を目指す。玄関で呼び鈴を鳴らしたところで、陸がそれに気がつかなければ、そのまま無視されることはわかりきっている。ずかずか図々しく入り込んでいかなければ相手にしてもらえない。
 入り込んでも、相手にしてもらえるとは限らないが。
 この天気にこの陽気なら、ふたりはサンルームにいる確率が高い。陸が日向ぼっこ好きなのだ。そして何気に、ヴァルグレイヴも日向ぼっこは嫌いではない。
 様々な種類の薔薇が咲く庭を横切り、南の庭に出る。歌が止んだ。
「――あ、」
 陽光に輝く赤銅色の髪。(こぼ)れ落ちそうに大きな、紅茶色の双眸(そうぼう)
 陸がルンペルシュティルツヘンに気づいた。にっこりと嬉しそうに笑う。
「お兄さん! ごきげんよう」
「よ、いちごちゃん。ごきげ」
 止まった。
 嬉々として駆け寄ってきた、陸の格好。今まで薔薇の茂みで見えなかったが。
 白い、レースのキャミソールを着ている。それはいい。それはいいが、
 ――それしか着ていない。
 見える。
 もう少しで、見える。
「い、いいいいちごちゃんっ」
 くるりと回れ右をして背中を向ける。陸は呼ばれて立ち止まり、「どうしたの?」と無邪気に尋ねてきた。
「ぱんつ。あのさいちごちゃん、何もヴァルみたいに年がら年中詰襟(つめえり)の服着てろとは言わないけど、ぱんつ。ぱんつくらいはきましょうよ」
 すらりと(すこ)やかに伸びた、白い脚。裸足で、そして確かに、下着を身につけていない。
 ルンペルシュティルツヘンが言うと、陸は、信じられない言葉を返してきた。
 小鳥のように小首を傾げて、
「ぱんつって何?」



「ぱんつくらいはかせろよ」
「……」
 南端の部屋、そこにに設えてある、白い円卓。それを囲んで向かい合って座った屋敷の主に、客の魔法使いは挨拶もなしに話しはじめた。
 ヴァルグレイヴは分厚い革表紙の本を手に、そのページから眼を離さないまま、秀麗な眉間に不機嫌な縦皺を刻んだ。なんの話だ、と言っている。わかるのは、長い付き合いの賜物(たまもの)だ。
 若葉色の瞳の魔法使いは、はああと盛大な溜息をついた。
「だーかーらー。いちごちゃんだよ。なんだあの格好。襲ってくれって言ってるようなもんだぞ。まあここにくる人間なんざ滅多(めった)にいないだろうけどさ、常識としてだな、あれはまずいだろ。なんで放置してるんだ」
 ルンペルシュティルツヘンがまくし立てるように言うと、ヴァルグレイヴはふと息をついた。そして不機嫌な顔のまま、
「あれでもよくなった方だ」
 面倒くさそうに一言。
「あれで?」
 ルンペルシュティルツヘンはむーんとしたまま返す。ヴァルグレイヴは、やれやれとでも言いたげに、本に栞紐(しおりひも)を挟み、本を閉じた。
「全裸に羞恥心(しゅうちしん)を持っていない」
「だろうなあの調子じゃ。でもまずいだろ。教えてやれよお前一番身近にいるんだから。――あ、」
 そこでふと気づいたように言葉を止める。そして身を乗り出し、神妙に、
「まさかあの格好が好きとか」
「――」
 ヴァルグレイヴの周囲の温度が一気に下がる。比喩ではない。本当に下がった。初夏、燦々(さんさん)と降る陽光に包まれた南向きのサンルームが、真冬の様相を呈す。ヴァルグレイヴの整った手の周囲に、しんしんと音を立てて冷気が集まってくる。
「すみませんごめんなさい。冗談です、もう言いません」
 心持ち蒼くなって、ルンペルシュティルツヘンは身を引いた。
 自分で勝手に用意した紅茶に、少量のミルクを注ぐ。スプーンでくるくる掻き回しながら、
「あー。まあ。うんん」
 言葉が出てこない。
 ヴァルグレイヴは再び本を開くと、仏頂面(ぶっちょうづら)で黙々と読みはじめた。庭では、陸が小鳥と(たわむ)れている。実に平和な光景だ。小さく、華奢ではあるけれど、健やかに伸びた肢体はそれなりに綺麗だと思う。キャミソールがふわふわと風になびく。純白の薄い布地が陽光に透けて、何かの精霊みたいだ。
 ――確かに、いちごちゃんが素っ裸でもやましー気持ちにはならないんだよな。
 生まれたばかりの赤ん坊を見て微笑む、そんな気持ちに近い。
 が、それとこれとは話が別だ。あの格好はまずい。常識的に。まずい。――と思う。
「眠るときなど未だに何も身につけんぞ」
 疲れたように、ヴァルグレイヴが言った。ルンペルシュティルツヘンは、はははと乾いた笑いを漏らす。
「えー。うん。うーん」
 ――俺がなんとかしてやらなきゃなんだろうな、この場合。
 生来の世話好きからかそう思って、ルンペルシュティルツヘンはその日、早々に友人の屋敷を辞した。



 数日後。
 ルンペルシュティルツヘンは、一抱えもある大きな木箱を馬に載せてやってきた。馬を繋いで、箱を背負う。陸に私室として与えられたのは、二階の最東端の部屋だ。生まれたての朝日が、一番に射し込んでくる部屋。
 落ち着いた色の部屋だったのを、ルンペルシュティルツヘンが「だって女の子が住むんだぞ」とか言って、壁を薔薇色に塗り替えた。勝手にやった。家具も白で統一してあり、ベッドやカーテンはレースやフリルがふんだんにあしらわれている。もちろんこれも勝手に用意した。
 その部屋の真ん中に、木箱を置いた。
 (ふた)を開ける。
 入っていたのは、洋服が何着かと、――――下着。
「買うのめちゃくちゃ恥ずかしかった……こんな照れたの何年ぶりだったろ」
 馴染みの店のおばちゃんに、さんざん追及されからかわれた。魔法使いは、なんで俺下着なんか差し入れてんのかなあとか思う。
 それからルンペルシュティルツヘンは、陸に着衣の必要性、重要性を滔々(とうとう)と語って聞かせた。(いわ)く、これは人間たちの間の暗黙の了解だから、とか、きちんと服を身につけていることはいわば作法のひとつで、つまるところひとに対しての思いやりのひとつだとかなんとか。説明すると、陸は素直に「わかった」と(うなず)いた。ぱんつをはいて、
「……なんだか変な感じ」
 少し居心地悪そうに、困ったように言う。ルンペルシュティルツヘンは笑った。
「ま、慣れれば問題ないから」
 ほっと一息、そして付け加える。
「いちごちゃん。わかってもらえたとは思うけど――これからは、恋人の前以外ではぽんぽん裸になっちゃ駄目だよ」
 すると陸は、きょとんとした。
「魔王の前なら、何も着ないままでいいの?」
「――……」
 ――ええっと。
「あー……。いや、もっと駄目かも」
「どっち?」
「ああー……。うん」
 ああ、俺、何やってるんだろう。



 とにもかくにも、そうして陸はそれからというもの、きちんと服を身につけるようになった。おいそれと確認できることではないので定かではないが、ルンペルシュティルツヘンの言うことを聞いたのなら、下着もちゃんとつけているはずだ。取り敢えずは、めでたしめでたし――。
 ――それにしても。
 ルンペルシュティルツヘンは考える。
 ――男からしたらあんな()(ぜん)そうあるもんじゃないよなあ……いやでもいちごちゃんとヴァルってどうなんだ、あのふたりに限って言えば、両方とも性別なんてあってないようなもんだしな。いちごちゃんに至ってはほんとにないし。
 そこまで考えて、ぶんぶんと頭を振った。
 ――まったく、年をとると下世話まで焼くようになるんかね。
 ああやだやだ。
 ルンペルシュティルツヘンは独りごちると、レースに縁取られている夏用のワンピースを手に取った。
「マダム・マウ。これちょーだい。贈り物だから、りぼんかけてね」





end.



 text index