Get me on

 暇と金を持て余した上流階級の紳士淑女たち。
 ――紳士、淑女、か。
 ラウルは仮面の下で、嘲笑(ちょうしょう)にも似た笑いを()み殺す。
 西の空に、まだ一筋のオレンジが残っている。今日最後の、太陽の輝きだ。
「今回はいつもと趣向を変えて……」
 そんな理由から、そのパーティーは夜会と呼ぶには早い時間からはじまった。何を祝うわけでもない、何を祭るわけでもない、ただの時間と金の浪費。
 パーティーは無礼講で、皆、顔を仮面で覆い隠している。ざわめく会場。惜しげもなく(とも)された無数の蝋燭(ろうそく)。その光を乱反射する、鏡や燭台(しょくだい)の金細工。仮面舞踏会の夜は、誰もが皆夢の中でひとときまどろむ。
 ラウルはぐるりと周囲を見渡した。友人であるルンペルシュティルツヘンも招待されているはずだ。
 ――ヴァルグレイヴは来ていないだろうな。
 紫水晶の瞳の、白皙(はくせき)の美貌の魔の王は、ひとと深い仲になることを極端に避けている。そして人々からしても、彼は(おそ)れ、(おそ)れられていた。それに、なんといっても腰が重い。とてつもなく重い。彼ほどの出不精を、ラウルは未だかつて見たことがない。今回のパーティーも、たとえ招待されていても当然のように欠席して、いつもと変わらず書庫で読書に(ふけ)っているに違いなかった。
 ルンペルシュティルツヘンはどうだろう。お祭り好きの、若葉色の瞳の魔法使いは。
 ラウルは長身だ。ヴァルグレイヴも平均以上の身長だが、彼よりもさらに高い。大柄、といった方がふさわしいかもしれない。(くだん)の魔の王はすらりと伸びて冷たく静かだが、ラウルは肩幅があって胸の厚い温厚な紳士だ。
 普通に立っているだけで、会場内を高い位置から見渡すことが出来できた。
 ホールでは、気の合った男女が手を取り合って優雅に舞っている。仮面の下の瞳は秘密色――今夜は、名前も、身分も、秘密という甘い酒に溶かして、互いに知らないふりをするのが礼儀だ。
 色とりどりのドレスが(ひるがえ)る。拍子のとりやすい音楽が、秋の宵闇に流れ溶けていく。
 不意に、視線を感じた。
 ラウルは視線の糸を手繰(たぐ)り寄せ、相手を探る。
 どこかから。
 見ている。
 見つめている。
 こちらを、じっと。
 ――相手はすぐに見つかった。
 ラウルが立っている壁際の、ホールを挟んでちょうど真向かいに、相手はいた。
 ホールでは幾組ものカップルが不思議なドレスを身に(まと)って踊っている。耳や髪や首筋を飾る宝石が、蝋燭の明かりにきらめき、鏡を万華鏡(まんげきょう)のように彩る。その、揺れる色の波の向こうに、彼女は立っていた。
 かなりの長身。男性の平均身長よりも高いかもしれない。にもかかわらず、彼女は高いヒールの靴をはいているようだった。着ているドレスは、夜の黒。華やかな色のドレスの中で、その黒はとても目立つ。身体にぴったりと沿っていて、胸元から(へそ)にかけて、鋭い逆三角形に大胆に開いている。スカートには深いスリットが入っているらしく、彼女のかたちのいい脚が太腿から(あらわ)になっていた。
 自信がなければ、到底着られるドレスではない。
 赤い羽毛の仮面をつけていたが、素顔が美しいことはすぐに知れた。纏っている空気が、彼女の美を隠しきれないでいる。
 ――隠すつもりがないのかもしれない。
 そう思った途端、ラウルはその女に興味を抱いた。
 長い黒髪は緩く波打ち、白い肌を際立たせている。深紅の唇は大輪の薔薇(ばら)のよう。シンプルなドレスなのに、アクセサリーはつけていない。けれど、それがかえって彼女自身を引き立てているように見えた。
 ラウルはゆっくりと、女の視線に自身のそれを絡め合わせる。
 遠目でも、仮面があっても、わかる。女の瞳は、深い緑色。きらめく猫のような。(ある)いは獰猛(どうもう)な肉食獣のような。けれどあくまでも上品で、荒々しさや、飢えた印象は微塵(みじん)もない。
 女が微笑んだ。
 花が開くかのような笑みだった。
 ラウルは息を()む。この女は、自分の魅力を知っている。
 女はつかつかと、ドレスの(すそ)を翻しながら、真っ直ぐにラウルのもとへやってきた。手を伸ばせばすぐ触れられる距離に立つ。やはり、長身だ。そして、豊満な、女そのものを誇張しているかのような身体の輪郭。仮面の下の深緑色(しんりょくいろ)の瞳は、試すような色を宿して笑っている。
「ごきげんよう。あたしを見ていたようだったから来てみたんだけど――気のせいかしら?」
 声も美しい。(つや)めいた声だ。ラウルは笑った。それ以外の答えなど許されていないのを、お互い知っている。
貴女(あなた)があまりにお美しいので。見惚(みと)れてしまっていた。ご無礼をお許しを」
「あら。なのにダンスには誘ってくださらないのね。それとも、あたしにはそうさせるほどの魅力はないってことかしら」
「まさか――」
 ほっそりと長い指を(あご)に添えて、女はラウルの反応を楽しんでいる。ならば、ラウルも遊ばせてもらうだけだ。
「貴女ほど美しいひとを壁の花にしておくとは、ここにいる男たちには、どうやら見る目がないらしい――今の今まで貴女に気づかなかった私も含めて、ね」
 仮面の下で微笑むと、女が満足そうに笑みを広げた。
 及第点、といったところだろうか。
「おひとり?」
「残念ながらね。貴女のお相手は?」
「あなたがなってくれれば、あなただと言えるわ」
 女の黒髪が、蝋燭の光に揺らめき、繊細に輝く。深緑色の瞳は、今は悪戯(いたずら)っぽい表情で、ラウルを見つめている。ラウルは笑った。女も微笑み、そして、なんの飾りもない白いばかりの腕を伸ばしてきた。右手でラウルの左手を、左手でラウルの右手を、それぞれ取る。滑らかな動きでラウルの両腕を自分の腰に回させた。
 胸の中に、猫のように忍び込んでくる。女はラウルの腕の中で、彼を見上げた。深緑色の瞳が、ラウルの冬の海のような濃紺(のうこん)の瞳とぶつかる。時も所も、周囲のざわめきさえ忘れて、ふたりはひっそりと見つめ合った。――一瞬だったのかも知れない間だけ。
 女の細くくびれた腰に腕を回したまま、ラウルは彼女の瞳を(のぞ)()んだ。仮面越しではあるが。
 ――遊ぼうというのか。
「ねえ」
 女が口を開く。深紅の薔薇のような、誘惑の香り。
 ラウルに自身を抱かせたまま、視線を外すこともせず、女はひたりと濃紺の瞳を正面から射抜いて、(ささや)くように言った。
「――あたしを、独占してみたくない……?」
 逆らえる男が、いるだろうか。
 ――ゲーム。
 そうか。
 ラウルは瞬時に理解した。
 これは、ゲーム。ふたりきりの。
 ラウルは笑った。ここで退くほど、野暮(やぼ)ではないつもりだ。退屈な夜、こんな時の(まぎ)らわせ方があってもいいだろう。
「そうだね。いいかもしれない。……では、独占させてもらおうか」
 ラウルは右手を腰から外すと、女の(おとがい)を持ち上げた。羽毛に飾られた仮面をつけたまま、唇を寄せる。
「――まずは君の、心から」
 ラウルの言葉に、女は驚いたようだった。構わず、ラウルは唇を重ねる。
 どちらが勝つのか。
 まだわからない。
 ゲームは今、はじまったばかりだ。





end.



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