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 一誠はじっと秋人を見詰めて、それからはにかんだように破顔した。
「……うん。――えへへ、ありがとー」
 ああ。
 その笑顔を見て、思う。
 なんだってオレは、こんなにもこいつを好きなんだろう。
「あっ。そうだ、ふふふ、井名里くん、メリクリスマス!」
「遅ぇ」
「遅くない! まだ二十四日だもん」
「あー、まあ、だな」
 秋人は勝手にストーブをつけて、その前に陣取った。一誠は一旦風呂場に向かい、すぐ戻って来て、湯を沸かしはじめた。
「緑茶しかないんだけど、いい?」
「おー、なんでも」
 今まで誰もいなかった部屋は冷え冷えとしていて、なかなかあたたまりそうもない。委員長抱っこ(つーかむしろその先々もがっつり)させてくんねーかなーとか不埒(ふらち)な考えもあるにはあるのだが(ついでに言えば、秋人の理性や自制心はお世辞にも発達しているとは言い難い)、一誠の性格を考えるだにここは耐えておいた方が後々自分のためになりそうだ。
 それに。
 彼女は友だちが遊びまわっているこの時期この日に、早朝からこんなに遅くまで労働に従事していたわけだし。そして明日からも、休みなくそれは続いていくわけだし。
「惚れた弱みってホントにあんだな……みっともね」
「何が? みっともない?」
 はい、と湯呑みを秋人に差し出す。ふわと湯気の立つ薄緑色の。秋人はふと、狐みたいなつり目を細めた。
「クリスマスに緑茶。似合わねぇ。委員長はどてら着てるし」
 一誠はうっと怯んだ。
「いいの。くりすます・イン・ジャポン。ワインの代わりに緑茶、チキンじゃなくてお鍋。いいじゃないちょっと素敵じゃない?」
「色気はねえな」
「美味しければよいのです。そうだ井名里くん、何か食べる? おなかすいてない?」
「委員長食いてぇ」
「不可。あ、お風呂もう出来たかな。先にお風呂にする?」
「新婚みてぇ」
「馬鹿は犯罪ですよ井名里くん」
 秋人はへっと鼻で笑った。馬鹿でスミマセンっス、と適当に言って、見ると、一誠はにこにこしていた。身に染みて幸福な場面だと思った。そこで秋人は、
「あ」
「え?」
「思いついた」
 (つぶや)いて、辺りを見回す。一誠は訳がわからずに、怪訝(けげん)そうに秋人を見つめた。
「委員長さあ、紙とペン貸して」
「紙とペン? メモ帳でいい?」
「いい」
 早く早く、と急かす。一誠はよたよたしながら(彼女は真っ直ぐ歩いているつもりなのだろうが、秋人から見ると一誠の歩き方はよたよたと表現する以外にないトロさ、危なっかしさだ)電話の(そば)に置いてあったらしいメモと、ボールペンを持ってきた。
「どうするの?」
「まあ待てや」
 開いた白無地のメモ帳にがりがりと書きつけ、ページを破る。二つ折りにすると、
「オラ」
 ずい、と一誠の目の前に差し出した。
 というか、突きつけた。
「なに?」
「やる。クリスマスプレゼント」
 ええっ、と一誠の頬が紅潮した。
「本当? うわあ、嬉しい! 嬉しい! ありがとう、見てもいい?」
「ドーゾ」
 一誠はわくわくしながら白い紙を開いた。そこには、意外なことにとても綺麗な字で。
 一日王様券
 ――と、書かれていた。
「……」
「どーよ」
「井名里くん」
「おう」
「これはなんですか?」
「見てのとーりっスよ秀才の委員長サマ」
 はあ、と生返事をして秋人を見遣ると、目が合った。秋人はいつものように、皮肉っぽい笑みを見せた。緑茶をひとくち(すす)る。
「使用回数は一回。他人に使用権利を譲渡することは出来ません。アナタがなんもしたくない日にお使いください。この不肖(ふしょう)井名里秋人がどこにいても馳せ参じて、飯の支度から風呂焚き掃除、明日の予習、肩揉みサンドバッグ夜のお相手まで。なーんでもお望みのままにやって差し上げマス」
 用意していたみたいにさらさらと、そんなことを言った。
 一誠は驚いて、――本当に。心から驚いて、両手で持った薄っぺらな紙切れをじっと見つめた。
 目の前の、背が高くて、狐目で、滅多ににっこり笑ったりなんかしない、少し素行不良のこの少年が。
 とても。
 ――とても。
 一誠は笑った。
「ふふ。あはは、なんだか母の日の肩たたき券みたい」
「いらねーなら返せ」
「いや! もう貰ったもん。えっへっへ、いつ使おうかなあ」
 ああ、とても、好きだと。
 好きだ、と。
 一誠はもとの通りに紙を二つ折りにし、近くにあった淡い桃色のクッションを引き寄せると、ファスナーを開いてその中にしまった。
「オイ。なんでんなとこ入れる」
「私、大事なものはクッションカバーの中か枕の下に挟むの」
「……おかしいだろソレ」
 わざと呆れた声を出した。躊躇(ためら)いもなく「大事なもの」と言われて、柄にもなく、照れた。
「ねえ」
 控えめに、一誠が秋人を呼んだ。
「何スかイインチョー」
 これもまた、控えめに。一誠の小さな手が、秋人の指先に触れた。
 大袈裟なほどに心臓が強く打った。
 動揺を隠すのは苦手ではないから、恐らく一誠は気がつかなかったと思う――気がつかれていたら、本気で恥ずかしい。今までの自分をふり返ってみれば、なおさら。笑ってしまうほど純粋とは言えない生活を送ってきたのに。
 今さら、手が触れたくらいで。
「井名里くんは?」
「ああ? 何が」
「プレゼント。何がいい? 肩たたき券?」
「てめ……いるかよんなもん」
 冗談だよ、と一誠は笑った。
 秋人は、どうしようもなくなってしまった。
 大好きなひとの夢を見た朝みたいに。胸の中に、(ほの)かに甘い、哀しい、小さく震えるような熱情が広がってしまって。
 何がいい? と尋ねる一誠の手を、そっと握り返した。
 ああ、なんだってオレは、こんなにもこいつを好きなんだろう。
「――キス」
「ん?」
「キス一個、てのがベストだな」
 一誠は静かな表情で、秋人の真意を探るように彼を見つめた。一誠の目はいつも濡れたように(うる)んでいて、とても綺麗だ。長い髪はまだ少し湿っているようだった。つやつやと照明に輝いていた。
 ――手を握ったのは、実はこれがはじめてだった。
 しばらくして、一誠は本当に言葉通り、花が開くように微笑んだ。
 それを見て、思ったのだ。
 本当に、身に染みて幸福な場面だと。





end.

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