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ハッピー・ホーリー・ナイトメア






 実のところ、吸血鬼の「血が欲しい」という欲求は、食欲よりも性欲に近い。そもそも食欲と性欲は密接に関係しているので、言及するまでもないようには思うが、それでも人間が「腹減った」と言うのと吸血鬼が「腹減った」と言うのとでは絶対的な隔たりがある。
 人間の場合、腹が減ったといえばそのままの意味で、つまり本日の日替わりお魚定食Bセットに(よだれ)を垂らしハンバーガーにかぶりつき、ラーメンを (すす)ってケーキを貪り食う。そう、胃袋が求めているものなのだ。
 対して吸血鬼の空腹、すなわち「血が欲しい」とは、腹の中が空っぽでつらいというより、まあ、ぶっちらばった言い方をしてしまえば、性的な欲求不満に近い。馬力は出ないが、ないならないでもころりと餓死するようなことはない。
 見上げれば、古来より神聖なるものとして大切にされてきた瑠璃の色の気配が染み渡る冬の空だ。明るいところは不思議に青みがかって黒く、それでも闇は深い。
 ちらちらと細かな雪が降っていた。青藍(せいらん)の潜む夜空も相まって、さながらスノードームの中にいるようだと思う。街路樹にはイルミネーションが飾られていて、火の粉が留まっているみたいに明滅していた。片田舎ではあるが一応中心部ということもあり、賑やかとは言えないもののうら寂しいというほどでもない。一時家庭でのイルミネーションが流行を見せた頃から、ここでも冬になると夜気を彩るようになった。
 そんなわけで。
 クリスマスなのだった。
 冴え冴えとした刃の大気の中、寛人( ひろひと)が公園のベンチに座ってぼんやりしているのは、うまいこと恋人が見つからなかったからだった。
 寛人の理想――というか、好みの女性は、幅広いようで狭く、おまけに女性が聞いたら大半は激怒するだろうタイプだ。
 タイプというより条件だろうか。
 大体、恋人が見つからないのも捕まらないのも寛人自身にその気がないからであって、それは本人も自覚している。欲しいのは恋人ではない。聞こえが悪いし信じてもらえないから、恋人が欲しいと言っているだけだ。
 寛人が女性に求めているもの。
 『処女であること』。
 第一に、何を置いてもとにかく処女であること。
 年齢はできれば十八歳以上三十歳未満、肌が美しく健康で、身体つきはふっくらグラマーがいい。当然美人。かわいらしいタイプに食指は動かない。割り切って、一度きりの逢瀬(おうせ)で引きずらない性格ならなおいい。
 もちろん、そんな都合のいいお人形はどこにもいない。
 はじめての女性はそれなりにそれなりの覚悟をもって (のぞ)んでくる場合が多い。第一、はじめての段階から割り切った関係、おまけに若い女性となると、これはもう(そろ )わない。皆無ではないだろうが、ほいほい見つかるものでないことは確かだ。
「金払うんだがなあ……」
 こういうことを真面目に言うあたり、本当にろくでもない。
 だというのに、寛人はもてる。
 長身でスタイル抜群、端正(たんせい)な顔立ちという恵まれた外見に、高学歴高収入国家公務員、自宅は庭付き一戸建て、一人暮らし。ついでに会話の抽斗(ひきだし)も多く、おしゃべりではないが沈黙を貫くわけでもない。
 たいして深く考えなければ、ちょっとくらっと来そうな条件の、なかなかの好物件だ。
 でも寛人にはいわゆるステディな恋人はいない。ステディではない恋人もいない。そう、繰り返すが、寛人に恋人はいないし、欲しいと思ったことはないのだった。
 街灯も点滅する暗い公園は、ほとんど放棄されているような児童公園ということもあってか、光は入っていない。目線を少し遠くに投げれば、まるで他人事(ひとごと)のイルミネーションが星より存在を誇示して目に(やかま)しい。
 そこに(しつら)えられた、ぼろぼろの木製のベンチに腰掛け、寒風に吹かれながら、寛人は先ほどからぐるぐる考えている。
 ――恋人はいない。欲しいわけでもない。でも恋人って言わないと角が立ちそうだ。で、一回きりがいい。二回目からは処女じゃないからな。大体、経験あり、妊娠出産経験もありともなると舌が(ただ)れて落ちる。友人ならいいけどな、どうしてこの条件に合致した女が見つからないんだ。恋人は欲しくないと思ってるからか?
 堂々巡りというかいたちごっこというか。
 これもやはり繰り返すが、そんなに都合のいいお人形はどこにもいないのだ。女は人間であって人形ではない。血が流れていなければ意味はない。
 ただ寛人の場合、この「血が流れていなければ意味がない」――これが、よく言う人間的な意味と理由ではないところに大きな問題がある。
「……やらせてくれって、ここまで来たらそこまでの贅沢 (ぜいたく)言わんが」
 血をくれ。
 それだけだ。
 献血するだろう。あれと同じだ。ほぼまったく同じだ。命を繋ぎ止めるという意味では同じだ。俺の場合は差し迫ってるわけじゃないが、用途は変わらん。牛乳瓶一本分くらい抜いたって死にはせんだろ。
「わ、わたしはやってくれてもかまいません……というか、むしろ抱いてください」
「は?」
 ざわっ、と鳥肌が立った。
 声がした右隣をばっと見、ついでにベンチの端まで飛び退るようにして距離を取った。
 気配も何も、まったく感じなかった。物想いに(ふけ)っていたからだとは思ない。寛人の五感は、その程度で(おろそ)かになってしまうものではないのだ。
 足音も聞こえなかったばかりか、隣に座っていることにも気づかなかった。一体いつからいたのだろう。忽然(こつぜん)と現われて声をかけられたなんて、背筋が凍る。
「あのぅ……それで、抱いてくれるんですか? はじめてですよ、どうです? それにほらわたしの顔見てください」
 なんだこの女。
「……失礼ですが……どなたかとお間違えではありませんか?」
「いいえ! 実はーわたしあなたにずっと片想いしてて」
 呆然とする寛人を完全無視で、距離を詰めてきた。ベンチの上をずりずりといざり寄ってくる。もう逃げ場のない寛人はベンチを立って走ってふり切るしかないのだが、何故だか身体は動かなかった。
「ねっ、どうですか! 自分で言うのもなんですけどわたし結構美少女だと思うんですよ! 毎日ばっちりお手入れしてるし! (とし)は二十一です。熟してるとは言えない年齢ですけど若さを評価してください。身長は百六十センチ、スリーサイズは上から86-57-84です。わりといい感じの数字だと思うんですけど、いかがですか? もしかして控えめサイズがお好きですか? それとも女神の谷間がお好みですか」
 なんなんだこの女。
「あっ」
 わけのわからない微力な金縛りをふりほどいて立ち上がると、女――というか、小娘と言った方がよさそうだ。口調からして頭の中はお花畑に違いない。
 馬鹿は嫌いだ。
 コートの(そで)(すが)ってきた赤いミトンの手をふり払う。馬鹿は嫌い、嫌いなのだ。
「申し遅れました、わたしっ、わたし上月(こうづき)ゆめと申しますっ」
()いとらん」
「そんなつれないこと言わないでください。ずっと片想いしててって言ったじゃありませんか。わたし今陣内(じんない)さんに告白してるんですよ! 好きです! 抱いて ください! わたしまだ処女なんでメリットはあると思うんですけどどうですか!」
 歩き出そうとしていた足を止めた。
 上月ゆめと名乗った小娘があまりにも馬鹿だったからだ。
 頭のてっぺんに薄く雪を積もらせているゆめは、なるほど確かに美少女だった。毎日ばっちり手入れしているというのも本当だろう。
 肩までの長さの髪は黒い。カラーリングはしていないらしい。(まつげ)も長く、瞳が大きくて、少し幼く見えるのは顔の輪郭(りんかく)に未熟さが残っているからだろうか。そのわりに、ぽってりしている小ぶりな唇が魅惑的だった。化粧している紅の色は濃いわけでもないのに、とても瑞々(みずみず)しく(うる)んでいる。
 思わずキスしたくなる唇だ。
 思いはしたが顔には出さない。口にするなど絶対にしない。この暗闇の中で色がはっきり見えるなんて、夜行性の獣にだっていないから怪しいわけだが、今に限って言えば、なんだか大切なものに負けてしまった気がするからだった。
「不審な点ばっかりだから質問する」
「はいっ、ありがとうございます!」
 嫌そうに目を細めて言ったのだが、まったく(こた)えていない。それどころか、ゆめはきらきら輝くような笑顔だ。
「これはお前に興味を持ったからじゃない。職務質問と同じだ。事と次第によっては交番に連行する」
「ええー……」
 ええー、じゃない。
 ゆめが、ふくれっ面でつんと唇を突き出す。本人としてはどうということもない日常の仕草なのだろうが、唇のせいで妙に誘われているような気になった。
 気に入らない。
 こんな馬鹿にそんな気が起きるなんて、どうかしている。
「なんで俺の名前を知ってる?」
 男性経験がないのは匂いでわかる。でも、それを自己申告してくる――それも、……初対面、だと思うのだが。

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