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 初対面でなくても、言うようなことではない気がするのだが、昨今の二十代女性はみんなこんななのだろうか。だとしたら世も末だ。この国の行末に対する憂慮(ゆうりょ)が爆発してしまう。
 ゆめはにっこりと笑った。苛立(いらだ)つくらいかわいらしい。
「図書館でーよく見かけて。一目惚(ひとめぼ)れです。名前は、ほら、覚えてないかもしれませんけど、貸出カード落っことしたことがあったじゃありませんか。忘れ物とか落し物っていうんじゃなくて、ちょっと手が滑って落としちゃった、みたいな。それでそれを拾って渡したのがわたしです。お名前は、あっこれチャンス! と思ってさり気なーくカード見て覚えました」
 そんなことがあっただろうか。好みか否かはさて置き、ゆめみたいな美少女、一度見たらそう簡単には忘れられない。
 ということは、顔を見なかったのだろう。ああ、ありがとうございますと、恐らくはカードを持った手もとしか見ていなかったのだ。
「まったく覚えとらん。なんでここにいる?」
 それにしたっていい気持ちはしない。眉を(ひそ)めて訊いたら、ゆめは少し(ほほ)を染めてはにかんだ。
「木陰で待ってました。いつもお仕事帰り? にここのベンチに座ってますよね。最初誰かと待ち合わせかなー恋人かなあとか思って落ち込んだりもしたんですけど、ひたすらおひとりで。今日はクリスマスですしーちょぉっと勇気を出してみようかなって」
「……ストーカーか?」
 可能性は捨てきれない。何せ名前の知り方が図書館の貸出カードなのだ。
 ゆめがぶんぶん首を横に振る。ついでに両てのひらも寛人に向け、ぱたぱた振った。
「まさか! お勤め先もおうちも知りませんよ。図書館によく来るのとここによく来るのを知ってるだけです。あとお名前。で、未婚。未婚ですよね? ね?」
「まあ……未婚だが……」
「ならいいじゃありませんか」
 どうしてそうなる。
「恋人は?」
「おらんな」
「じゃあいいですよね! 抱いてください!」
「お前、馬鹿だろ」
「否定しませんけどそれは置いといて、再三言ってますがわたし処女です。ばーじんです。ガチでヴァージンロード歩けます。メリットありますよね」
「意味がわからん。お前がばーじんだってのとメリットになんの関係があるんだ。ついでに、ヴァージンロードは和製英語でその手の意味はない」
 こいつもしかして、お花畑どころの問題ではないのではないだろうか。
 そんな危惧(きぐ)を抱きはじめた寛人に向かい、ゆめは小首を傾げた。心底わからないといった表情だ。(しゃべ)っていることはアレな感じだが、仕草や表情はいちいちかわいい。そして、どうあっても無視できない魅了の唇。
「陣内さんってきゅーけつきですよね? ヴァンプですよね。日本って今あんまりいないみたいですけど」
 まるで当然のように言われて、咄嗟(とっさ)の言葉が出てこなかった。誤魔化(ごまか)そうにも、内容が内容だけに真面目に取り合う方が不自然だ。これまでの人生でこんなことを言われたのはもちろんはじめてだし、だから余計に硬直してしまう。
 ゆめはそんな寛人を見て、手品の種を披露して驚かせるみたいな顔で笑った。
「びっくりしたでしょ? 実はー、わたしはサキュバスってやつです。淫魔(いんま)って呼び方は好きじゃありません。夢魔(むま)っていうのもちょっと違うかと。わたしは夢は扱えないので」
 呼び名などどうでもいい。
「お前……」
「だいぶ血は薄まってますから、ほとんど人間と変わりませんよ。普通に老化するし。あ、でも、ちょっと遅いのかな?」
 年齢の重ね方と身体的な成長、衰えについてもどうでもいい。
 ゆめは白い( あご)にほっそりとした人差し指を当て、唇を、うーと突き出した。どうも癖らしい。たぶん、考え事をするとき、突き出した唇の上に鉛筆を乗せて(うな)る程度のことなのだろう。ほかの人間がやっていれば「ああ考え中だな」くらいで終わるのに、妙な気を起こしそうになるのは、彼女の唇がどうにも魅惑的に過ぎるからだ。
「陣内さん、女の子の男性経験の有無ってわかるんじゃありませんか? なんとなく」
「ああ、まあ、なんとなくは」
 なんとなくどころではない。はっきりわかる。
 わからなければ困るものでもあった。寛人はゲテモノ食いではないので、男性経験のある女性や経産婦(けいさんぷ)は避けたい。
 寛人もヴァンパイアとしてはかなり血が薄まっているから、ほぼ人間と変わらないが、そういった本能的なものはどうしたって最後まで残る。
「わたしたちも同じで、わたしたちの場合は相手の種族っていうか、どんなものに属しているのかっていうのが大まかにわかります。サキュバスとインキュバスの組み合わせだと子どもができないので、その名残とかいわれてますけど、昔のこと過ぎてほんとかどうかは知りません。直系じゃないし」
 ――子ども。
 寛人の背中を、いやぁな汗が流れる。
「まさか」
 (にら )みつけるようにして言ったら、ゆめは慌てて再び両手をぱたぱた振った。
「違います! 既成事実なんて望んでません」
 本当だろうか。疑わしい。
 そんな寛人の視線の意味は理解したのか、ゆめはうんうんと縦に首を振る。
「今は普通に赤ちゃんできますよ。言ったでしょ? 血はかなり薄まってるって。それに、そういうのはやっぱり結婚してからがいいです」
 結婚という言葉はとりあえず無視するとして、それを言われると納得するしかない。ゆめが既成事実を望んでいるか否かはそれとは関係のないことだし、もちろんわからないのだが、血が薄まっているからこそできるようになったことは山ほどある。寛人だって、真夏の海岸でも何事もなく歩けるし、流れる水も平気で(また)げる。はじめて訪れる家でも、家人に招かれなくても中に入れる上、鏡にも問題なく姿が映る。
 ただ、ちょっと血が欲しいな、と思う程度だ。
 その『ちょっと』が人間と決定的に異なっているというだけで。
 寛人は盛大な溜息(ためいき)をついた。なんだかひどく馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。
「とりあえず、お前が」
「ゆめです。上月ゆめ」
「お前が俺に()れてるのはわかった」
「じゃあ!」
 ゆめの笑顔に期待が広がる。
「断る」
「えっ」
「俺はお前に興味を持てない。女だと認識はできるが扱うことはできない。どういう意味かわかるか?」
 胸の前で手を組み合わせたゆめが、しばらく思案顔をする。
 それから、悄然(しょうぜん)と肩を落とした。
「……『恋愛対象じゃない』……」
「理解できたな。褒めてやる。もう遅いから帰れ」
 無情に言い捨てて、冷たいベンチから腰を上げた。
 ここまで言えば、どんなに脳内お花畑なゆめでも、一応現実は見えるだろう。少なくとも、寛人がやさしい人物でないことだけは伝わったはずだ。
 ゆめに背を向けて歩き出すと、冷徹( れいてつ)な大気が移動して、冬のにおいがした。
 雪は激しくはならないが、止みもしない。ひたすらしんしんと降り注いで、クリスマスのアスファルトを濡らしていた。明日の朝にはさすがに(わず)かではあれ積もっているだろう。
 コートが冷えきっている。手は硬く、頬も冷たくなっていた。
「帰れません」
 背後から小さな声がした。
 縋りつくでもなく、泣き声でもなかったので、思わずふり向いてしまった。
 ゆめが、情けない顔で笑っていた。
「ルームシェアしてるんですけど。友だちが彼氏と一緒で。今から帰るなんて、そんな、ねえ。できませんよ」
「……友だちは選んだ方がいいぞ」
 ルームシェアしている部屋に恋人を呼んで同居人を追い出すなんて、ろくな人間ではない。そう思ったが、ゆめは首を横に振った。髪は濡れて重くなっているらしく、さらりとも揺れない。
「今日やっとくっついたんです。友だち呼んでみんなでパーティーしてて、もうちょっと食べたいねーってなって、ふたりにコンビニまでチキン買いに行ってもらって。それでやっとくっついたんです」
「だからお前を追い出したのか?」
「違いますよう。パーティーのお開きと一緒に、わたしが出てきたんです」

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