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俺の風呂上がりのパピコ消失事件






 苑名(えんな)白鷺(しろさぎ)は美しい。
 長い(まつげ)もすっと通った鼻筋も、(ほほ)輪郭(りんかく)も極めて繊細で(はかな)げで、どこか(うれ)いを秘めている。切れ長の目もとは涼しく、黒い瞳は深い。滑らかな肌は白蝋(びゃくろう)のようだった。ところどころに人間らしい赤みが差していなければ、精巧(せいこう)な人形にしか見えない容貌をしている。
 眉を(ひそ)めているわけでもないのに、(まぶた)を伏せればそれだけで哀しみに暮れているように見える。
 健康的というよりは、病の(ふち)にある寂しげな白い影のような美しさだった。
 だから、頬杖(ほおづえ)をついて思案顔をしているときなんか、結核(けっかく)(おか)された美貌(びぼう)の文豪が、湯治中の古い旅館で窓の遠くに連なる青い山脈に健康を渇望(かつぼう)しているようだし、女物のきものを羽織らせればそれだけで絵になる。美しい放蕩者(ほうとうもの)の文士を夫に持つ、そしてその夫の帰りを待って薄明るい窓辺でか細い溜息(ためいき)をつく薄幸の新妻のような(おもむき)が出る。
 つまり、白鷺はあくまでも『美貌のひと』であって、『イケメン』ではないのだった。
 智依(ちい)も、彼とはじめて会ったときは、なるほどこれが(うわさ)の美形のパーツかと思ったものだ。特に、目もとは印象的だった。一時の(たわむ)れのはずの恋が本気になってしまった哀しい遊女のような睫は、それだけで多くのひとを(とりこ)にするだろう。
 が、それもこれも白鷺が口を開くまでの、ごく短い間の夢物語だった。
 白鷺が優れているのは外見だけではない。彼は学業でも素晴らしい成績を修めているし、運動神経も抜群ときている。
 とても目立つ。
 非常に目立つ。
 ひとの目を()かずにはいられない存在だ。
 当然、彼は女子生徒の熱い眼差(まなざ)しを一身に受けることになる。
 が、それもこれもやはり、白鷺が口を開くまでの、ほんとうにごく短い間の夢物語だった。
 ただ、そのおかげで智依の学校生活は今のところ平穏無事だ。嫉妬(しっと)した女の子の襲撃を()らったことは一度もない。
 智依はふと顔を上げ、窓の外を見た。青空のあまりの(まぶ)しさに、一瞬だけ目がちかりと(またた)く。
 五月というにはいささか暑すぎるきらいのある日だった。ここのところ、気温は夏日を記録しっぱなしで、セーラー服の長袖は少しばかり鬱陶(うっとう)しい。
 せっかくの視聴覚室なのに、同好会だからというだけでエアコンを使わせてもらえないのは、やや理不尽に感じる。これが部活動であれば、エアコンの使用を認められているのだ。それは過去の事例から知られている。
 部活動ならいいのに、同好会だからいけないとは。
 ヒエラルキーとはいかなる時代でも残酷なものなのだ。
 薄暗い視聴覚室の前半分は写真同好会。後ろ半分は郷土研究会の部室代わり。
 ちなみに、写真同好会は、白鷺と智依の学年が卒業を迎えると同時にお取り潰しになることが既に決定づけられている。
「ちいちゃん、これを見ろ」
 後ろから声をかけられて、智依は緩くふり向いた。
 女の子たちがまず幻滅するのが、この『ちいちゃん』だ。
 どんな会話が発端(ほったん)だったかは既に忘れた。だが、智依は白鷺に『おまえ』呼ばわりされたのにむっと来て、それはいくらなんでも失礼だ、知らない仲なのにいきなり『おまえ』はないだろう、というようなことを訴えたのだ。そうしたら、
 ――じゃあ、『ちいちゃん』ならいい?
 アホではないだろうか。
 悪いとは言わない。『おまえ』よりははるかにましだ。でも、『未森(みもり)』とか『未森さん』とか、踏むべきステップは二、三段あるだろうに。
 いきなり『ちいちゃん』。
 白鷺の美貌に心奪われていた女の子たちの魂をまったく別の方向へぶっ飛ばしてしまうのには、十分な威力を持っている。
 かっこよくないからだ。
 全然格好よくない。まさに神が手ずからつくり上げたとしか思えない奇跡の美貌の持ち主、芍薬(しゃくやく)(つぼみ)でさえ恥じらって身を隠したがるような唇から出るのが『ちいちゃん』。
 悪夢だ。
 だが、繰り返すがこれが智依の身を助けていることに違いはない。
 智依は小柄で、ほんの少しぽっちゃりしている。BMIは標準ど真ん中だから、数字の上ではごくごく普通ということになる。見た目がもともとふくふくしているのだ。一重瞼(ひとえまぶた)ながらに目はぱっちりしているし、睫も濃く長いから、丸い頬と相まって人好きのする顔をしている。けれども、その程度で白鷺の隣に居座るなど烏滸(おこ)がましい。不釣り合いにもほどがある。
 なのに、誰にも責められない。
 それはやはり『ちいちゃん』のおかげだった。
「なに? 何かいいことがあったの?」
 智依が小首を傾げると、ふたつに分けて結っている髪の先がふわりと揺れた。緩い天然パーマの毛先は、今日もソフトクリームの天辺みたいにやわらかく巻いている。
「あった。ちいちゃんにいちばんに自慢したくて、今日は一日が長かった。授業がなかなか終わらなかったよ」
 白鷺は見るからに嬉しそうだった。ほくほくしている。だから、なんとなくわかった。彼が智依に真っ先に自慢したいとなれば、内容は限られてくる。
「欲しかったカメラ、買えたの?」
「そう!」
 と言って、白鷺は両手で持っていた化粧箱をずいっと差し出してきた。
 黒い箱が白いケースに入れられているかたちだ。その白いケースの表には、飾り文字で『D』とある。
「ああ――」
 これはあれだ。
 なんといっていたか、物欲に(とぼ)しい白鷺が、珍しく欲しい欲しいと言っていたものだ。
「ええと、ぎ――ギズモ? は、夜中にお水あげちゃだめな子か」
()しい。『gizmon-HALF D』だよ」
「そう、それ。よかったね、どこで買えたの?」
「ヤフオクで落とした」
「おおー、すごい」
 人数は少ないものの、郷土研究会も活動中だ。彼らの邪魔にならない程度に、智依は控えめにぱちぱち手を叩いた。その横に腰を落ち着けると、白鷺はいそいそと箱を開封しはじめる。
「ずっと欲しいって言ってたもんね」
「これほどいいトイカメラはないよ。スクエアとカラーモードBIYORIに勝るものはない」
「なんのことかわからないけど、よかったね」
「うん、よかった。先代が没したときは世界が終わったかと思ったから」
「二代目なんだ」
 箱から出てきたのは、本当に小さなカメラだった。縦は四センチもないかもしれない。横の長さも六センチほどで、智依のてのひらでさえ包めてしまう。おまけにとても薄っぺらく、レンズ部分でさえ平たく、凸といえるほどではない。シルバーとブラックのバイカラーが唯一カメラらしいところで、見栄えはどちらかといえばチープな方だろう。
「おもちゃみたい。かわいいねえ」
 初代のときに買ったらしいネックストラップをつけている白鷺の手もとを(のぞ)き込みながら、智依は微笑ましげに笑った。
「トイカメラだからおもちゃだよ。出来がおもちゃじゃないだけで――」
 言いながら、白鷺はひょいとネックストラップを首に引っ掛けた。
「どう?」
「……えっと」
 美貌の笑顔で(たず)ねられ、智依はわずかに口ごもった。
 小さく平たいトイカメラを首から下げた白鷺の姿は、恐ろしく間抜けだった。
 これが一見して重いと知れる、気合の入った一眼レフなら様になっただろう。鏡のような湖や、幻のような夜空を追いかけるひたむきなカメラマンに見えたと思う。でも、哀しいかな、今彼が首にぶら下げているのは、てのひらに包めてしまう程度の大きさしかないトイカメラなのだ。革製のストラップも細い。
 白鷺が長身な上に均整(きんせい)の取れた身体つきで、胸が広いから、余計のことカメラが小さく見える。

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