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「うん……かわいいと思う」
※カメラは。
「思ってないね」
「思ってるよ」
※カメラに対しては。
「まあいいよ、どう思われても。俺は俺のやりたいようにやる」
 そこが白鷺の白鷺たる所以(ゆえん)なのだが、彼のファンが日を追うにつれて減っていく所以でもあり、智依の身の安全が保障されている所以でもあった。
「それはそうと、ちいちゃん、香坂(こうさか)は?」
「まだ会ってないよ。たぶん(からす)追いかけてるんじゃないかなあ。今、裏門のところにカップルがいるらしいから」
 香坂麻斗(あさと)は、白鷺、智依と並ぶ最後の写真同好会員だ。彼は白鷺とは正反対で、幼い時分からこつこつ貯めたお年玉と、毎月の小遣いを貯めに貯めた金で買った一眼レフを持っている。
 ちなみに、被写体は鴉に限られている。
 智依はといえば、スマートフォンでひたすら実家の猫を撮っていた。なんといっても、彼女が写真同好会に入会したのは、活動日数が少ないからという理由からなのだ。
 智依は特別写真に興味関心があるわけではない。ツイッターともフェイスブックともインスタグラムとも無縁の生活を送っている。
 それでも入会してしまった以上――というか、残りのふたりが方向性は違えど写真に向かっているものだから、自分も何か撮ってみようかな、という気になったのだった。とはいえ、カメラを買うほどの気持ちにはなれない。だから専ら電話機能付きカメラに頼っている。
 部活説明会で説明するだけして、白鷺たちが入会するとともに去っていった先輩方が何を撮っていたのか、智依は未だに知らない。視聴覚室後ろに備えつけられているロッカーを覗けば資料が出てくるだろうが、やはりたいして興味は持てなかった。
 窓の外で、ざざ、と木々がざわめいた。陽光に反射する輝く緑がきらきら揺れる。
 視聴覚室の中は静かだ。
 郷土研究会の生徒だって五人ほどいるのに、話し声も聞こえてこない。
 てのひらを当ててみた横長の机はまだ冷たい。そこだけはまだ五月の気配が残っていた。日陰はまだ涼しいのだ。真夏になれば、机は生ぬるくなる。
「なに?」
 白鷺に見つめられていることに気づいて、智依は彼の目を下から覗き込んだ。
「ちいちゃん、最近なに撮ってるの?」
 白鷺の声は、なんだか気まずげに聞こえた。取り(つくろ)ったみたいな響きだったが、智依は、なんだろうなと思った程度で気にも()めなかった。
「わたしは相変わらず一六(いちろく)ばっかり撮ってるよ。ほら」
 椅子に乗せてある(かばん)を引き寄せて、ポケットからスマートフォンを取り出す。十人中九人が不細工と判断するだろう黒猫のイラストが描かれたカバーの代物だ。
 画像フォルダは、白と黒で埋まっていた。
 一六は白黒ぶち模様の猫で、尻尾と尾の付け根だけが黒い。その、尾の付け根のぶちが渦巻き状をしているから、一六という名がついている。由来は言うまでもなく、四国銘菓の一六(いちろく)タルトだ。何故『タルト』ではなく『一六』なのかというと、『タルト』では範囲が広がりすぎてしまうからだった。一六タルトと苺タルトはまったくの別物なのだ。
「相変わらず大きいね」
 白鷺が無感動に言うので、
「そうなの。よく()えてるの」
 智依も(うなず)いて肯定した。
「苑名、未森〜」
 背後から調子のいい声が聞こえて、ふたりは同時にふり返った。
 短い髪の先だけを少し染めたハリネズミ頭の麻斗が、カメラを大切そうに抱えて小走りに寄ってきた。
「鴉撮れた?」
 白鷺はさしたる興味もなさそうに、でもどことなくやや不機嫌そうに尋ねた。実際、彼にとってこれはどうでもいいことに分類されている。
 麻斗はひひひと肩を震わせて笑った。
「撮れた撮れた。逢引(あいびき)の瞬間、ばっちり」
「悪趣味だな」
「鴉ってほんとバカップルだよね。長々愛を語らってたよ。終わりそうになかったから、もったいないけど切り上げてきた。苑名、なに怒ってんの?」
「怒ってないよ。不機嫌になっただけだ」
「怒ってるじゃん。で、聞いてほしい話があるんだけどさ」
「いやだ」
 取りつく島もなく断られて、麻斗は唇を(とが)らせた。
「話聞くくらいやってくれたっていいじゃん。未森、未森からも言ってやって」
「ちいちゃんを巻き込むな」
 白鷺は憎々(にくにく)しげに言って麻斗を(にら)んだが、彼の方は実のところまるでどこ吹く風だった。白鷺の辛辣(しんらつ)な口調に慣れきってしまっているのだ。
「苑名くん、聞くだけだから」
 智依がとりなすように言うと、白鷺は如何(いか)にも渋々(しぶしぶ)といった感じに頷いた。ただし、麻斗には一瞥(いちべつ)もくれない。白鷺に残されたほとんど唯一のささやかな反抗だ。
「…………ちいちゃんがそう言うなら」
 むすっとした小さな声に、麻斗はふふんと勝ち誇ったように胸を張った。
「相変わらず未森を中心に世界が回ってるよな、おまえは」
(やかま)しい。話、聞かなくていいんだな」
「悪かった、前言撤回はしないが謝る」
「撤回しろ」
「しーなーい。だってほんとだもん。それでさ、昨日の夜に事件が起こった」
 麻斗は白鷺の不機嫌などまったく意にも介さずに、言いたいことだけ(しゃべ)りまくる。いつものことだった。ついでに、智依が何も口出ししないのもいつものことだ。智依は、麻斗に話を振られたときにのみ、ちょっとした一言を言う。白鷺以外の人間と話すのは、智依には未だにハードルの高いことだった。だから、大抵は今回のように白鷺と麻斗の橋渡し役だ。それが、
「事件?」
 珍しく智依が声を上げた。聞くのは常態だが()き返すのは珍しい。麻斗もやや驚いたようで、栗鼠(りす)のようなどんぐり眼がさらに大きくなっている。
「ご、ごめんなさい」
 白鷺と麻斗のふたりに見入られて、智依は縮こまった。たとえどんなに少人数でも、注目を浴びるのは苦手だ。たとえばそれが誇らしい内容だとしても、智依はとにかく目立ちたくない。
「いやいや、いいよ、ちょっとびっくりしただけ」
 麻斗が慌てて首を横に振る。白鷺に睨まれて、今度ばかりは麻斗も気まずげに視線を()らした。
「事件って、ずいぶん大袈裟(おおげさ)な言い方だな」
 少しばかりの腹立ちまぎれに白鷺が言うと、麻斗は心外だとばかりに眉を寄せた。例の栗鼠のような大きく愛嬌のある目のせいで、あまり迫力がない。
「事件だよ。俺の風呂上がりのパピコが消失したんだぞ」
 握り(こぶし)も固く言い放つ。白鷺の秀麗(しゅうれい)な眉がぴくりと引き()った。
「アイスがなくなったの?」
 気が抜けたのを隠せない様子で、智依がほけっと口にした。麻斗は大きく頷く。
「そう。俺のパピコ!」
「事件かなあ?」
「大事件だ。我が香坂家では、アイスの数は何人たりとも誤魔化してはいけないことになっている。ちゃんと、常に人数分あるんだ。それがなかった。これを事件と言わずして何を事件だというんだ」
 智依は首を傾げた。そんなに大きなこととは思えないが、麻斗にとっては違うらしい。
 まあ、価値観はひとそれぞれだ。自分にとっては些細(ささい)なことでも、誰かにとってはとんでもない大事であるなんてありふれている。麻斗にとっては、パピコ消失が『とんでもない大事』なのだろう。
 それでもやはり反応に困って、智依は(すが)るように白鷺を見た。これ以上何を言ったらいいのか、台詞(せりふ)がまったく思い浮かばない。
 智依の視線の先で、白鷺は美しい顔を愕然(がくぜん)とさせていた。

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