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「苑名くん?」
「大事件だ」
 どうやら、この点に関しては智依が異端であるらしかった。
「そう、なの?」
 やはり台詞が思い浮かばない。そもそも智依はひとと話すのが苦手なので、ただの相槌のパターンすら少ないのだ。長台詞なんて、教科書か台本でもなければ無理難題でしかない。
 白鷺が、美しい顔をぐりっと智依に向けた。心なしか怒っている。
「大事件だよ、ちいちゃん。香坂が何をなくしたか聞いたかい? 風呂上がりのアイスだ。ただのアイスじゃない。風呂上がりのアイスだよ!」
 どうしよう、ついていけないっぽい。
 智依の戸惑いをよそに、白鷺は彫刻のような手を、麻斗のようにぐっと握りしめた。
「大事件じゃないか。風呂上がりのアイスがなくなったなんて! もしもこれが特定の人物による犯行だとしたら、大罪もいいところだ。数の余裕がないぶん、唐揚げのつまみ食いよりも罪が重い」
「そうそう、そうなんだよ! 唐揚げはなんとかなるけどさあ。数があるぶん我慢も()くけど、風呂上がりのアイス窃盗は罪深いよな。オンリーワンなんだから。――もしかして俺たち結構仲良くできるんじゃないか? なあ未森」
「う、うん……そ、そうかも?」
 麻斗が顔を明るくしたので、智依はぎくしゃく笑い、中途半端とはいえ一応肯定することに成功した。
「よし、お互いの認識も合致したことだし、苑名、未森、さっそくうちに来てくれ」
「どうしてそうなる」
 さりげなく智依を背後に(かば)った白鷺が、先ほどの熱弁とは打って変わって冷静に尋ねた。
 麻斗は両てのひらを握ったり開いたり、ぱくぱくさせている。なんのジェスチャーなのかはまったくわからない。
「だって、現場を見なきゃなんともならないだろ」
 どうしてそんな当然のことを訊くの? ――と言わんばかりの態度と内容だが、白鷺と、ついでに智依にとっては現場もへったくれもない。
 白鷺は無遠慮にきれいな眉を顰めた。
「どうして俺がなんとかすることになってるんだ。大体、家族全員に問い(ただ)せばいいだけのことだろう。俺には関係ない」
 確かにそうなのだ。それで解決するはずの『大事件』ではある。
 ところが、麻斗は「わかってないなあ」と芝居がかった仕草で(かぶり)を振った。
「そんなの正直に話すわけないじゃん。大体、うちは大家族だ。全員が一堂に会している瞬間が実は少ない」
「ひとりずつ訊けばいいだろう」
「だから、正直に話すわけないって。アイス窃盗は我が家ではトップクラスの重罪なんだよ。家族全員が(そろ)うタイミングが少ないのをいいことに、ここ連日の夏日からくる誘惑に(あらが)えずにこっそりちょろまかしたってこともあり得る」
 あり得るというか、それしかないのではないだろうか。
「名前書いたりはしてないの?」
 智依が尋ねると、
「書いてないよ。ひとのアイス食べちゃだめってのは暗黙の了解事項なんだ。信用問題なんだよ」
 と、麻斗は憤慨(ふんがい)した。
「ともかく! 苑名、おまえ頭いいんだからさ、こう、探偵みたいな感じでさ」
「探偵はアイス捜索なんかしないよ。たとえそれが家庭内でどんなに重罪でも、だ」
「もののたとえだよ。動かせない証拠っていうの? そういうの見つけて」
「それに、俺は頭がいいわけじゃない。成績がいいだけだ」
「少なくとも、学生時代はそういうの頭いいっていうんだよ」
 なんだか出口が見えないなあ、などと智依はふたりをぼんやり(なが)めた。
 風呂上がりのアイス窃盗がどうやらとんでもない重罪であるらしいことだけはわかったが、だから友人を家に招いて探偵よろしく解決してもらおう、というのはよくわからない。
 大体にして、解決ってなんなんだ。
 よしんば家族が一堂に会する瞬間がごく僅かだとしても、ひとりずつ当たっていけばいいだけなのは同じだ。大家族といったって、百人も二百人もいるわけではないだろう。正直に言うはずがないなんて考えるまでもなくある意味当然なわけで、それならとっとと諦めて、学校帰りにコンビニに寄ってアイスを二個買う方がよっぽど建設的だ。どう考えても、家族間で決着がつく内容のように思う。
 苑名くんはそのことに触れないのかなと思っていたら、
「ちいちゃん、時間は大丈夫?」
 (さや)かな睫が目の前にあった。智依はややたじろぐ。
「え、――え?」
 何を言われたのか、目を白黒させていたら、
「これから事件があったという香坂の家に行くことが決まったんだ」
 白鷺は、これまでの言が嘘のように乗り気になっていた――
 ――ように見えた。
 白鷺の肩越しに、麻斗がてのひらを合わせている。
「未森、頷いてくれ。こいつ、ちいちゃんが一緒なら行くとか言ってる」
 こうなったら、実質智依に否という返事は与えられていない。
 智依は、日本でも指折りの日和見(ひよりみ)主義者なのだ。
 そして、白鷺は対峙(たいじ)した存在すべてを屈服させ得るアホ。
 要するに、智依は『白鷺のアホっぷりは何ものにも勝る』と考えているのだった。



 結局、智依は鞄を抱えて麻斗の後ろを白鷺と並んで歩く羽目(はめ)になった。
 まだ五時にもなっていない空は水色に晴れている。陽射しはまだ強いが、風に冷たさが混じりはじめていた。もうすぐ一日が暮れるのだ。
 初春に工事が終わったばかりの舗装(ほそう)された道はまだ新しく、アスファルトが鉄板と同じ色をしている。白いラインも目に眩しいほどで、智依はそれをなんとなく横目で追っていた。
 期間限定ベリーのフラッペの(のぼり)が立っているコンビニを通り過ぎながら、智依は長身の白鷺を見上げた。
「苑名くん、どうして行こうっていう気になったの?」
 部室で話し合っていた際には、面倒ごとは御免(ごめん)だ、という印象を受けたが。
 白鷺は美しい容貌にはやや似つかわしくない、ただし見れば見た者全員が「かわいい」と言いそうな仕草で首を少しだけ傾けた。
 真っ黒く(つや)やかな髪が揺れて、初夏の陽気を気まぐれに反射させる。
「うーん。ちいちゃん、香坂が欲しいものが何かわかるかい?」
「アイス?」
 白鷺は首肯(しゅこう)した。
 拍子抜けする解答だが、それしかない。
「そう。でも、ただのアイスじゃない。『昨日の夜、本当なら自分が食べていたはずの、不運にして消失してしまった風呂上がりのパピコ』だ」
 ――そうか。
 だから、アイスを二個買うのでは駄目なのだ。意味がないのだ。話していて、白鷺はそれに気づいたのだろう。
 どうしようもない想いだが、
「人間は得てしてそういうものだからね」
 しかつめらしく言った白皙(はくせき)の美貌の横顔は、実は智依にはよくわかっていない。周囲が褒めそやしている美貌が、どうにも(とら)えられない。ただ、パーツがこれだけ整っているのだから、それが(そろ)えば美貌のひとになるのはなんとなくわかる。
 でも、智依にはやはり実のところはわからなかった。

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