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 智依にとって白鷺は、睫の美しいひと、だった。



 香坂家は十人家族らしい。
 なるほど、確かにどう頑張っても少ないとはいえない。二桁(ふたけた)なのだから、これは間違いなく多い。内訳(うちわけ)は、

 祖母 ひさ子(とりあえず白寿には届いてない)
 父  厚樹(あつき)(知らん)
 母  芳江(よしえ)(知らん)
 長女 箏子(ことこ)(既婚者。家出てる。近所に住んでる。子どもがひとりいる)
 次女 敦子(あつこ)(社会人やってる。バリバリ。男はいらんらしい)
 長男 秀嘉(ひでよし)(大学生。確か三年。社会人の彼女にプロポーズした)
 三女 曜子(ようこ)(大学一年。フランス語がつらいらしい)
 次男 麻斗(俺)
 三男 大輝(だいき)(中二。アホ)
 四女 倫子(みちこ)(小五。すげえ頭いいっぽい)

()めてるのか」
「ごめん! ほんとごめん! でもこれが俺の精一杯!」
 和式ダイニングテーブルに広げられたコピー用紙に書かれている家族一覧を見て、白鷺は眉根を寄せた。もとがいいだけに怒りの形相(ぎょうそう)凄絶(せつぜつ)で、白蝋の肌も絡んで美貌の幽鬼(ゆうき)さながらだ。
 麻斗は、数十分前に智依に見せたのとは別の意味で、白鷺に向かって両手を合わせていた。そのまま何度も頭を下げてぺこぺこ拝んでいる。もとい、謝っている。
「親の(とし)も把握してないどころか、姉兄弟妹(きょうだい)曖昧(あいまい)なのか、おまえのその使えない頭は」
「いや、書いてあるじゃん」
「どこにだ。こんなの書いてあるうちに入らない」
 麻斗の家は、年季の入った日本家屋だった。増築して二階になったのだというもと平屋で、天井が低い。外壁も屋根瓦もどこか黒々としていて、まるで(にかわ)そのものを絵の具にして描いたような(たたず)まいだった。
 白鷺と智依は、低い鴨居をくぐって居間に通された。
 予想外に明るい部屋だった。障子をすべて開け放っているせいもあるだろう。なんでも、窓は真南を向いているらしい。夏は暑くて敵わないのだそうだ。
 擦り切れた(たたみ)に、脚の低い長方形のテーブルが長々と横たわっている。色は飴色(あめいろ)。使い込まれて角が丸くなっている。
 たくさんの、様々な傷がついていた。机の片隅には焦がした(あと)まである。
 十人、否、長女は家を出ているから、今この家に住んでいるのは九人だ。皆が揃えば隙間などなくなるだろうに、机の上には花が()けられていた。てのひらで包めるサイズの丸っこい硝子(がらす)花器(かき)に、(くき)を短くカットしたガーベラとカスミソウが揺れている。
 居間の机の上だけではない。玄関先にもすらりとした花瓶に活けられたオレンジのガーベラがあった。このぶんだと、恐らくはトイレにも花が飾られているだろう。
 季節を思いきり先取りした風鈴は、南部鉄器(なんぶてっき)らしい。そよいだ風にきりんと鳴く。
 麻斗は白鷺と智依、それぞれに手早く麦茶を()れて持ってきてくれた。ふたりがそれを飲んで五月に触れた肌を(いた)わっている横で、彼は自室から持ってきたらしいコピー用紙に家族の内訳を書いて見せたのだ。
 内容はひどい。
「あ、いちばん上の姉ちゃんの子どもは男。名前は夏樹(なつき)
「ふうん。いくつ?」
 麻斗が自分の分の麦茶のグラスを持ち上げて、ううんと(うな)った。
「いくつ? いくつだっけな。小学校上がってたか? 今年上がるんだっけ。昼間いるから小学校でも低学年だよ。よく遊びに来る」
「つまり齢は覚えてない」
有体(ありてい)に言えばそうなる。でもさあ、クリスマスにお菓子贈ってるくらいだもんよ。家族の齢なんてわりとどうでもいいし」
「薄情だな」
「言ってくれるな。今まさに反省してるとこだから」
 どう見ても反省していない口ぶりで言って、麻斗はひとくち麦茶を飲んだ。
 白鷺が頬杖をつく。指紋などある方が嘘のような白い指先で、(あご)悪戯(いたずら)()いた。
「とりあえず『小さい子』なわけだ」
「そうだね、小さい。騒がしいレベルだから、齢はそんなに高くない」
「へえ……」
 ただの生返事だろうか。そうは思えない。白鷺は何事か考えている。
 声をかけても大丈夫かなと考えて、智依はすぐにその考えを捨てた。何を言うというのだろう。智依は語彙(ごい)が貧困なわけではないが、口下手ではある。(たくわ)えている言葉の量はそれなりにあるけれども、口の()(のぼ)るのは数えられるほどしかないのだ。
「とりあえず、誰がどのくらいの時間に帰ってくるんだ? 夜も揃わないのか?」
 顎を掻くのをやめた白鷺が、深い息をつきながら麦茶のグラスを持ち上げる。古い机に、光を透かした硝子の白がやわらかく広がる。
 麻斗がハリネズミ頭をわしわし掻き乱した。彼なりになるべく正確に思い出そうと努めているらしい。
「揃わないかなあ。敦子(ねえ)が残業するし、兄ちゃんは研究してるし。なに研究してるのかは知らんけど。細菌かなんか」
「そう。で? あとは」
 細菌かなんか、のあたりを冷たくあしらって、白鷺は続きを(うなが)した。
「曜子姉は色々。いるときもあればいないときもある」
「昨日は?」
「いた」
「敦子さんと秀嘉さんは?」
 訊かれて、麻斗は(うつむ)き加減だった(おもて)を上げた。ぱちんと指を鳴らす。
「あー、いたいた。そういや昨日は珍しく全員で飯食ったなあ。だから――えっと、なんだ。容疑者はばあちゃん、父さん、母さん、敦子姉と兄ちゃんと曜子姉、大輝と倫子」
「八人も一緒だったんだ……」
 智依はやや呆然と(つぶや)いた。麻斗曰くの『容疑者』が八人いたという点よりも、実は、八人全員が容疑者になり得る――つまり、全員がアイスを食べることに驚いた。智依の家では考えられない。父や母はともかく、祖母までとは。世の中色々な家族がいるものだ。
「風呂掃除までやったし」
「何か関係があるの?」
 おもしろくないといった顔つきの麻斗に、智依がやっと口を開いた。麻斗は面倒くさそうに肩を(すく)める。
「うちじゃ最後に風呂入ったやつがそのまま湯、抜いて掃除して一日が終わるんだよ。昨日はじゃんけんで負けたんだ」
「買い物は?」
「なに?」
「だから、買い物。いつもどうしてるんだ?」
 残りの麦茶を飲み干して、白鷺が言った。グラスを机の上に乗せる音がからりと響く。麻斗は頬をぽりぽりと掻いた。
 智依が座っている位置から、空についと(つばめ)が飛んだのが見えた。
「週末に家族連れて、大型量販店。ちょっと遠いけどこないだ出来たじゃん。商業用の量がお得に買える例の店が」
「じゃあ、普段は行かないの?」
 智依も麦茶を飲み終える。両手でグラスを包んで、そろりと机に戻した。何に怯えているのだか、音を立てるのを妙に避けたがるのは相変わらずだ。

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