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「よっぽど足りないとかなら行くけど、普段は行かない。だーかーら、アイスが大事なんだって。今日金曜日だもん、今夜の俺のアイスはどうすればいいんだ。信用問題なんだから、ほかの家族のアイス食うわけにはいかない」
 どうしようもこうしようもない。自分で買いに行けばいい。ここならコンビニまで自転車で十五分もあれば着く。
 ――とは思ったが、白鷺も智依もそれは言わないでおいた。
 白鷺は面倒くさかったから。智依は申し訳なさが先立ったから。
 そのとき、玄関の方から「ただいまぁ」という声が聞こえた。
「誰?」
「母さん。そういやいないな。みっこは遊びに行ってるんだろうけど」
「ほんと薄情だな。お祖母さんは? 姿が見えないけど」
「ばあちゃんは近所の茶飲み友達と夕方まで麻雀やってるよ」
 間もなく、麻斗の母、芳江がひょこりと顔を出した。面長でやや下膨(しもぶく)れの顔に、薄い一重瞼の切れ長の両目、ぽってりとした小さな唇。
 平安時代に生まれていれば、絶世の美女と(うた)われただろう。
 麻斗とはあまり似ていない。どうやら彼は父親似らしい。
「まあ、靴が多いと思ったら、お客様だったの。いらっしゃい」
 芳江が、細い目をますます細めてにこりと笑う。
「お邪魔しております」
 入り口を背にしていた白鷺がふり向き、余所行(よそい)きの声を出した。元来の声がやわらかく甘いから、ちょっと気をつけただけで十分魅了の力を発揮する。
 智依も、小声になってしまわないよう注意して白鷺に(なら)った。
 芳江は真正面から見た白鷺の容貌に驚いたようだった。ぽかんと口を開けている。
「買い物行ってたとか珍しいね。……母さん、いつまで突っ立ってんの」
 麻斗の突っ込みがなければ、いつまで彼女がそうしていたか知れない。
 芳江は少し慌てた素振りで、両手に()げていたやたら大きいビニル袋を僅かに持ち上げた。麻斗に言われたことを肯定するべく、買い物から帰ってきたのだと伝えたいらしい。
「どのお部屋にも花を活けていらっしゃるんですか? 素敵ですね」
 そそくさと居間を通り過ぎて台所へ消えかけた芳江の背中に、相変わらず余所行きの声の白鷺が(やぶ)から棒に言った。芳江はビニル袋を提げたままふり返り、
「子ども部屋以外は全部飾ってあるわ。うちのおばあちゃん、花を活けるのが好きなのよ。生け花ってほどではないんだけどね。特にお客様がいらっしゃるときには必ず用意するの」
 と笑った。
「お客様があったんですか」
 貝の口、貝の口。
 智依はひたすら貝の口。
 芳江が嬉しそうに含み笑いをする。
「昨日ね、孫が遊びに来たの」
「え、夏樹、来たの?」
「来たわよう。あんたと入れ違いになっただけで」
 驚く麻斗を放り置き、白鷺は完璧な営業用スマイルを浮かべて、「そうですか」と頷いた。
「お相手がお孫さんでも飾られるんですね」
「そうね、どんなに小さくてもお客様だから」
 それから、二言三言と無難な言葉を交わす。
「お荷物を持ってらっしゃるのに、お引き留めして申し訳ありません。冷たいものもあるのでしょうに、気が利かなくて」
「あら、いいのよ。冷たいものっていってもアイスくらいだし、アイスなんて冷凍庫に放り込めばすぐ固まるんだから。冷えてるものがあるから出しましょうか」
「いえ、お構いなく。お茶だけで十分です」
「そう? しっかりしてるのねぇ。麻斗、見習いなさい」
 麻斗は気のない返事をした。芳江に見せている姿だけなら見習う価値もあるが、これはあくまでもただの営業用なのだ。営業とはいえきちんと(こな)せるのだからたいしたものではあるけれども、普段の白鷺を知っている身としては、なんとなく頷き(がた)いものがあった。
 台所へ向かう芳江の後ろ姿を見ながら、白鷺が呟いた。
「解決したね」



 翌日、麻斗は部室でぶすくれていた。土曜日なのに集まったのは、ひとえに麻斗の『俺の風呂上がりのパピコ消失事件』真相解明のためだ。普段は土日に活動などしない。
 麻斗は、白鷺が「解決したね」とひとり納得してさっさと帰ってしまったので、置き去りにされた気持ちが飽和して()ねているのだった。
 不機嫌な人間は怖いから苦手だ。だから、智依は何も言えないでいる。
「何がどうなってわかったんだよ。俺のパピコは?」
「昨日の芳江さんの話がすべてだよ」
「説明しろ」
「ひとにものを頼むときは?」
 ひとのことなど言えた口ではないのに、白鷺は平然と返した。麻斗はぐっと詰まったが、『消失した俺のパピコ』の行方が気になって仕方なかったらしく、
「教えてください、お願いします」
 と、あっさり折れた。
 白鷺はさして満足な様子も見せずにその様を睥睨(へいげい)した。ものすごく(えら)そうだ。
「『アイスの数は何人たりとも誤魔化してはいけないことになっている。ちゃんと、常に人数分あるんだ』」
 その台詞は確か、相談に来た麻斗の台詞そのままだ。
「数が合わなかっただけだろう」
 白鷺はいかにもつまらなそうに言った。
「一昨日、芳江さんはもちろん買い物になんか行かなかった。週末の予定なんだから。違うか?」
 尋ねられた麻斗は、「うむぅ」と妙な声を上げた。
「まあ、それは――たぶん、行ってないんじゃないか。夏樹が来たんだし。大体、行く必要ないだろ」
「行く必要ないかどうかはともかくとして、高確率で行っていない」
「なんでわかんの? まあ、確かに一日中洗濯してるけど」
「自分で言ってたろ、夏樹くんは『よく遊びに来る』って。それならなおさら、特に午後はそうそう留守にはしないはずだ。それに、机に飾られてた花の茎がやたら短かったし、切り口が少しほつれてた。切り口がほつれる程度には時間が経ってたんだろう。買ったばっかりの花なら、茎はもっと長いし切り口が新しいはずだよ。実際、玄関の花は背が高かった。切り口がほつれる程度の時間は経ってるけど、そこまで古いわけじゃない。小さな客でも花を活けるらしいから花は絶やさないだろうし、実際そう言っていらした」
 あ、と気づいて、智依はおずおずと口を開いた。
「花瓶、小さかった。丸くて小さいの……新しいお花なら、いきなりあそこまで短くはしないかも」
「たぶん、夏樹くんが来るからっていうのもあったんだろうね。騒がしいくらいに小さい年齢の子なんだろう。背の高い花瓶は倒す危険がある」
 麻斗は、「花のことなんか覚えてないよ」と溜息をついた。
「で? 俺のアイスは?」
「だから、夏樹くんが食べたんだよ」
 しれっとした白鷺の言葉に、麻斗は腕を組んで顔を(しか)めた。
「はぁ? なんで夏樹が」
「客人だろう。それも身内だ。しかも齢が低いと来てて、一昨日も昨日今日と同じく暑かった。アイス出しても不思議はないと思うけどね。実際、俺たちにアイス振る舞おうとしてくださったし」
「しかも、香坂くん、お風呂最後だったんでしょう」
「……あぁ――ぁぁあ」
 智依の一言でわかったらしく、麻斗は栗鼠の目を見開いて嘆息(たんそく)し、それからがっくりと項垂(うなだ)れた。
 難しいことは何もなかったのだ。
 夏樹が来て、アイスを食べた。そう、恐らくは確実に食べたのだ。夏樹は香坂家の冷凍庫にアイスが常備されていることを知っている。
 芳江は夏樹が来た日、常と同じく買い物に行かなかったのだから、その時点で冷凍庫の中には香坂家人数分マイナス一個のアイスしかなかったわけだ。
 おまけに、その日に限って家族全員が揃っていたという不運が重なっている。誰かひとりでも帰りが遅ければ、麻斗のアイスは後日勘違いが発覚するとはいえ確保されていただろうが、家族全員が揃っていたのだ。
 そして、麻斗は風呂の順番が最後だった――
 ――要するに、家族全員、『風呂上がりのアイス』を食べたあと。
 もしもパピコがほかの家族とかぶっていたとしてもわかりようがないし、麻斗の分が残っているはずもない。
「夏樹くんにアイスを出したはいいものの、数を揃えるために買い物に出かけるには遅い時間だったんだ。香坂と入れ違いになったんなら、大体五時か、遅くても五時半頃だろうし。夕食の支度の時間だろう」
「え、ちょっと待って? それ、いちばん性質(たち)悪いの母さんじゃない? 知ってて食って、しかも何も()び入れてこないとか」
 麻斗の言葉に、白鷺は少し気分を害したようだった。柳の葉のような女性的な眉を顰める。
「そんなことないよ。昨日の夕方、アイス買ってきてらしたじゃないか」
「いや、そりゃあったけど。買ってきてたから。食べたよ。でも、言うまでもなく全員分だった。数えてないけど」
 白鷺の頬に、「なんでわかんないんだろうな」の文字が浮き上がる。
「帰ったら勘定(かんじょう)してみろ。一個多いはずだ」
「なんで?」
「そんなの、埋め合わせに決まってるだろう。わざわざ時間外に出かけたんだ。埋め合わせ分を買ってきてると思ってほぼ間違いない。おまえだって、買い物行ったの珍しいねって言ってたじゃないか。頭は働いているか?」
「はたらいてる……と思う、けど……。そう、……そうかな」
 麻斗が俯いた。そして、低く唸ったかと思ったら、件の一眼レフを抱えて勢いよく立ち上がった。智依は驚いて身を硬くする。
「鴉、撮ってくる」
 言ったきり、麻斗はふり向きもせずに視聴覚室を出ていってしまった。
「……やっぱり、『消失しちゃったアイス』が欲しいのかな」
 智依が思わず漏らすと、白鷺は「たぶんね」と肯定した。
 人間は厄介だ。
 食べ物の恨みは単純なだけに深くて恐ろしい。
 それでも埋め合わせをしてくれるのならと思うと、複雑な気持ちではあるのだろう。
「……不憫(ふびん)だよ」
 智依がぽつりと零すと、白鷺は彼女にしか見せない笑顔でやさしく言った。
「ちいちゃんがそう言うなら」

 そんなわけで、今日も三人で一緒に帰ることが決定された。
 もちろん、彼らの不憫な友人に、アイスをプレゼントするためだ。






end.

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