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「楽しかったし、おもしろいひとだった。いろんな刺激もいっぱい受けた。珍しい体験も、いっぱいさせてもらった。でも、……」
 わかっていたのだ。
 年賀状が来なくなり、返事すら届かなくなったとき、美代子は終わりを予感した。
 そして、それは的中した。
 だからきっと驚かなかったのだ。
 いなくなるという決定的な別れに、失望しなかったのだ。
 当然だと思ったから。
「悪いことをした覚えはあるの。謝ったけど……失敗するたびに謝ったけど、愛想尽かされても仕方ないことばっかりやったとも思う。でもね、私もいやだなって思うところはあったの」
 風鈴が。
 鳴った。
 ちりん。
 小さな音。
「あのひとはね、絶対的に、いつでも自分が正しいって思ってる(ふし)があったのね。私はそれがすごくいやで……でも好きだったから、そのいやなところに気づかないふりしてたの、ずっと」
 ずっと。
 何年間も。
「お美代ちゃん」
 雅が静かに美代子を呼んだ。
 美代子は安堵(あんど)する。
 打ち明ける相手に雅を選んだのは間違っていなかった。
 彼女しかいないと思ったのだ。美代子にとっても、雅にとっても、互いが親友というわけではない。けれど、美代子は、この話をするなら雅しかいないと思った。
 それ以外は考えられなかった。
 彼女なら、残酷に真実を突きつけてくれる。
 雅は手にしていたグラスをコースターに戻した。グラスの水滴に触れた細い指先が、少し濡れている。
「かたちあるものはいつか壊れる。命あるものはいつか死ぬ。はじまったものはいつか終わる。出会ったものはいつか別れる。そういうものだよ」
 ――そう。
 そう言ってほしかったのだ。
 こんな別れ、ありふれているのだと。
 珍しいものでもなんでもないのだと。
 人生の中に、(あふ)れ返っているものなのだと。
 ――はじまったものはいつか終わる。出会ったものはいつか別れる。
「雅。それ、旦那さんにも同じこと言える?」
 答えはわかりきっていた。
 雅は微笑んだ。
「言える」
 ああ、だから私は彼女を選んだのだ。



 403号室の前に立つ。
 思い出はたくさんあった。
 うれしいこともあったけれど、不愉快だと突っぱねられたこともあった。楽しかったこともあったし、哀しかったこともある。
 美代子には悪いところがあった。
 そして、あのひとにも悪いところがあった。
 ネームプレートが空になってはじめて、美代子は気づかないふりをしていた自分と決別できた。
 恐らく、長く一緒にはいられないひとだったのだ。
 好きだったけれど怖かった。
 だから。
 好きだったけれど反発心をないものとして扱えなかった。
 だから。
 きっとこれでよかったのだ。
 どんな気持ちにも嘘はないのだから。
 だから、

 ――さらば、403号室。





end.

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