Strawberry girl  |  Sleeping Beauty   


TEMPTATION






(りく)、眠るのならば自室に行け」
「うん……」
 夜の日課として――否、一日中読書をする魔王だったが、その日は珍しく分厚い本を膝に乗せたまま、読み進めることをしなかった。
 陸が来たのだ。
 いつもなら気にも留めない。陸も、ただ(そば)でごろごろしているか、読書に(ふけ)る魔王の手元をじっと見つめるかしているだけで、眠たくなるとすぐに部屋に戻っていく。
 ――の、だけれど。
 魔王は椅子に腰掛けて、陸はその肘掛に頭を預けてじっとしている。
「気持ちいい――……」
 うとうとと、半分眠っているような夢見心地の声で(つぶや)いた。
 陸は、髪を撫でられるのがとても好きだ。髪に触れられると、ところ構わず眠たくなってしまうらしい。動くのが億劫(おっくう)になって、ずっとそのままでいたいような気になるのだという。
 最初、陸はいつものように前触れなく魔王の部屋(というか、屋敷そのものが魔王の所有物なのだが、つまり彼が最も頻繁(ひんぱん)に使用する部屋だ)にやってきた。
 そして彼が落ち着いている椅子の脇に直にぺたりと座った。冷えるぞ、と言えば素直に下にクッションを敷いて、そして肘掛に頭を乗せたのだった。
 陸にとっては、なんとはなしにした行為だった――のだろう。
 それは事実なのだろうが、魔王は、さらさらと肘にかかる柔らかな髪を見ているだに触れてみたくなって、驚かせないようにそっと指で()いたところ、陸は、
「気持ちいい」
 と、くすぐったがるような声で喜んだのだった。
 実際のところ、魔王の指にも陸の髪は心地良かった。
 細く柔らかく、絡むことなく指の間を流れていく。
 大人と成長過程にある中途半端な者では髪の質も違ってくるのだろうかと、ふと思う。
 魔王はヒトの精気を(かて)としている――ことになっている。実のところ必要ないので、ないならないで本当に困らないのだが、あるならそれに越したことはない。魔王は不安定な存在なのだ。少なからず補う必要はある。ただ、それが精気の摂取に限られていないだけだ。
 精気を最も手っ取り早く、そして効率よく摂取出来るのは人と交わることだったから、女を知らないわけではない。が、こんなふうに髪に触れたことなどなかった気がする。
 陸に抱くような感情など、持ったことがなかった。
 (いつく)しんで、愛おしんで、指先で触れることにすら傷つけはしないかと全神経を集中させて。
「陸」
 再度呼びかける。
 喉の奥でくぐもった声を()らすだけで、返事らしい返事はない。
「陸、自室に――」
 戻れないだろう、この状態では。
 髪を撫でる魔王のてのひらの下で、陸は既に寝息を立てていた。
 ――仕方ない。
 小さく溜息をつく。
 部屋は幾つでもあるのだ。
 魔王は脱力しきって、それでもなお軽い陸の身体を抱き上げると、ベッドに横たえた。
「ん、んん……」
 突然体勢が変わったことに違和感を覚えたのか、微かに眉を(ひそ)める。が、すぐにまた呼吸を落ち着けた。
「まったく、お前は――……」
 明りを落とし、ベッドの縁に腰を下ろす。長い窓から射し込んだ光で、室内には蒼い影が落ちた。
 微かに笑みを(こぼ)す。
 手の甲で、やさしく陸の頬を撫でる。
 どんな上等の酒にだって、これほどまでに酔いはしないのに。
 視線を上げる。
 白い月が藍の空にかかっていた。まだまだ高く、一向に沈みそうにない。
「……どうしたものかな」
 枕もとに手をつく。魔王の重みで、ベッドが(わず)かに(きし)む。
 不用意に触れれば壊れてしまいそうだと思いながら。
 それでも魔王は(こら)えきれずに、罪な恋人の唇に小さなキスを落とした。





end.  
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