THE EMPRESS.





 意外なことだが、伊織(いおり)のことは、綾野(あやの)がよくわかっている。
 一見正反対で相性も悪そうなのに、べたべたとくっつくことはしないまでも彼女たちは(おおむ)ね仲良くやっているらしい。
 (ひろむ)以外には微笑すら見せない綾野が、伊織の自己中心的な喚きや我儘(わがまま)に対して冷たい口調で却下しながら、一応あたたかい目を向けているし、くだらない話にもよく付き合ってやっている。
 恋というフィルタを通したとき、彼女たちは一際距離を縮める。私が、誰を、とはっきりと名前を口にしたり、面と向かって語り合ったりすることはしないが、お互いに誰を好きなのか、どんなふうに想っているのか、どうしたいのか、何ができないのかを感覚で(とら)えている。
「失恋てなんなのかしら」
「あー。伊織そういうテツガクっぽいムズカシイ話キライだなー」
「あたしは何も失っていないのに」



 複雑なようでいてわりに単純な綾野のことは、次子(つぎこ)がわかっている。
 次子は余計なことを言わない。面倒くさいからだ。口は災いのもと、というのが次子の座右の銘だ。そういうところが、綾野には楽らしい。
 このふたりはお互いに干渉し合わない。次子は基本的にあまり他人に興味がないが、綾野のことは少なからず心配している。綾野は頑固で、率直で、自分も他人も守ることをしないから罵詈雑言(ばりぞうごん)も遠慮なく吐く。その上、視野狭窄(しやきょうさく)を起こしやすい。しかも弘のことをばかみたいに好きだ。心配せずにいられない。今のところ思うだけで何も言わないが、そんなふうに思ったり思われたりしながら、ふたりはそれなりにいい距離を保っている。
「おまえは頭はいいくせに、しょうもねえな」
嘲笑(ちょうしょう)でもしたいわけ?」
「しないさ。ただ、馬鹿と阿呆を足して直情で乗じたようなやつだと思っただけだ」



 いい加減なようでいて実はもっとも不可解な次子のことは、弘がよくわかってやっている。
 次子は多くを語らない。常に一歩引いたところから冷静に様々の事象を観察し、分析し、自分の中に蓄積していく。必要なときが来るまで不用意にそれらの情報を振り()くことをしない。明け透けなように見せかけていて、だから次子は実は秘密が多い――結果的に、謎の多い人間になっている。でも弘は、起伏に乏しい次子の感情をよく読み取る。次子が言いたくないと感じていることに対して、執拗(しつよう)に追及しない。次子は弘の、そういうよく気がつい て自己を控えることのできる性質を気に入っている。
 このふたりの間には、だからあまり言葉は必要ない。並んで日向ぼっこをしていたりする。時折煙草を取り出す次子を、弘は容赦なく叱り飛ばす。
「しあわせになるって、そんなに難しいことなの?」
「主観によるだろ」
「……それだけ、のことのはずなのに、どうして、こんなにつらい、のかな」



 鋭いくせに鈍感な弘のことは、信じ難いことだが、伊織がわかっているらしい。
 伊織は甚だわかりづらい弘の地雷の位置をきちんと心得ている。本気で腹を立てた弘が金棒を持った鬼より怖いことも承知している。だから彼女は弘の(かん)(さわ)ることをしないし、言わない。伊織は語彙(ごい)が少なく、いつも適当に「すき」、「きらい」、「いや」、「かわいい」、「腹立つ」の五つで会話を成立させるが、本当はきちんと計算している。表に出すことは間違ってもしない。色々と弊害(へがい)があるからだ。それについて気づかれないよう細心の注意を払いながら、弘の心の機微(きび)をよく捉えている。
 弘は基本的にぼんやりしているが、頭は滅法(めっぽう)いい。おっとりしているくせに癇癪(かんしゃく)持ち。打たれ強いが、自分が大切に思っているひとが落ち込んでいたりすると、つられて一緒にしゅんとする。伊織は弘の性格を結構把握している。
「ヒロリン、伊織と次子とあーやとはーくんとやっしー先輩、誰がいちばん好き?」
「え、そ、そんなの比べられないよ」
「伊織は次子がいちばん好きー!」



 女の子という生き物はまったくもって素晴らしい。
 あの明るさ、軽やかさ、柔軟性、頑丈さ、どれをとっても素晴らしいとしか言いようがない。怒りも哀しみも吐き出される呪詛(じゅそ)の数々でさえ、彼女らの魅力を削減することはできない。
 素晴らしい、と思う。
 男には到底知り得ない領域であり、持ち得ない底力だ。
 女の子という生き物は、まったく誰を見てみても、かわいくて美しくて圧倒的でそして怖い。本気で腹を立てた女の子に立ち向かうくらいなら、空腹のドラゴンの前で裸踊りをする方がマシかもしれないとさえ思う。
 ――ということを、鷹羽(たかは)は身に沁みて感じた。
 弘と出逢い、次子と知り合い、伊織を見、綾野と交流を持って、鷹羽は「駄目だこれはどうしたって敵いっこない」と結論づけた。




 03 THE EMPRESS.
 「相関図」

 END.